今、みなさんには私の声がよく聞こえていますか。
私は小学5年生の頃、突発性難聴という片耳や両耳の聞こえが悪くなる病気にかかりました。約10日間入院しましたが、今でも右耳の聞こえが悪くなり、耳鳴りもよくするようになってしまいました。障がいとまでは至らなかったものの、その後は不便だと感じることも増えました。
私は、突発性難聴になってから気付いたことがいくつかあります。一つは、周りの人の「優しさ」です。退院してから初めて学校に行くまでは不安でいっぱいでした。しかし、いざ学校に行くと友達や先生が優しい言葉をかけてくれたのでとても安心できました。
ただ、大きい音を聞くと雑音が一緒に入り、「自分って、こんなに大きい音が苦手だったっけ」と感じることは今でもあります。話していても、友達から「あれっ?どうしたの?」と不思議がられることもあります。
それ以来、私は「少し聞こえが悪くなるだけで生活がこんなにも変わってしまうのだから、世の中の障がいをもつ人はもっと不便なのだろう」と考えるようになりました。
残念ながら、私たちが生きる社会では障がい者を差別する人がいます。私は、そんな社会に不満を持っています。一方で、障がいをもっている人の方でも周りに気を使いすぎて自分から理解をしてもらうのはあきらめているように見えることもあります。
こんな状況を変えていくために必要なことは何でしょうか。
私は、障がいを「個性」と捉えることが必要だと考えています。障がいもまた「個性」と捉えることで、差別が減り、障がいをもつ人も気遣いをしすぎることなく、自分を周りに理解してもらいやすくなると思います。
このように私が「個性」というものを重視するようになったのは、中学校で所属している卓球部での経験があるからです。
私は中学生になってから、卓球部に所属しています。今年もたくさんの1年生が入部し、24人で楽しく活動しています。この中に左利きの部員が2人だけいます。どちらの手でラケットを握るか。これは卓球という競技においては、大変重要です。この「左利き」こそが卓球では有利に働くのです。日本人は左利きが少なく、その割合は10人に1人と言われています。当然、右手でラケットを持つ選手が大多数となり、左利きは珍しい存在となります。自然と左利きとの試合に慣れていない人が多くなるので、左利きの選手は試合に勝つ確率が上がってくるのです。また、チームメイトに左利きの選手がいれば、周りの部員も左利きの選手と練習する機会が得られるので大いに助かります。この利き手が他の選手とは違うという「個性」こそが卓球では自分の強みにもなり、周りの仲間を助けることにもなるのです。世間では「左利きは何かと不便だから、右利きに直さなければいけない」と言われることがあるようですが、それはとてももったいないことだと私は思います。左利きは左利きのまま、それを大切な「個性」として認めることで自分にとっても、周りの人にとっても力となる場面が確かにあるからです。
これは「障がい」についても同じことが言えるのではないでしょうか。確かに、私のように耳の聞こえが悪かったり、もっと重たい障がいがあったりすれば、不便なこともあるはずです。しかし、このような障がいを「個性」として捉え直すことで、自分にとっても周りの人にとっても力となる場面もきっとあるはずです。
障がいも利き手も大切な「個性」として捉えることで、自分も周りの人も、みんなが生きやすい社会をつくっていきませんか。その方がお互いをよく見て、お互いを認めることができると私は考えています。