東京五輪医療スタッフ体験記~元自転車競技選手木賊弘明さん(9)チャンスあれば、もう一度
- 2021年10月27日
最後の稼働となった8月1日は、BMXフリースタイル・パークの決勝を担当した。何かやり残したことはないか、憧れの五輪舞台に忘れ物はないかと考えながら会場入りしたが、やはり目まぐるしい1日を送り、それどころではなかった。 BMXの試合会場だった有明アーバンスポーツパーク=江東区=ではスケートボ
最後の稼働となった8月1日は、BMXフリースタイル・パークの決勝を担当した。何かやり残したことはないか、憧れの五輪舞台に忘れ物はないかと考えながら会場入りしたが、やはり目まぐるしい1日を送り、それどころではなかった。 BMXの試合会場だった有明アーバンスポーツパーク=江東区=ではスケートボ
BMXレーシング決勝が行われた7月30日、男子優勝のニック・キンマン選手(オランダ)が金メダルを首に掛け、医療室近くを偶然歩いていた。「メダルに触らせて」。冗談半分で声を掛けると「もちろん」と快諾の返答。思わず「リアリー?」とたじろいだが、せっかくの機会なので好意に甘えることにした。 当然
BMXには1日20人以上の医療スタッフが従事した。主に関東、関西圏から20~70代の医師、看護師、理学療法士、柔道整復師、アスレチックトレーナーなどさまざまな職種の人たちが集結。一期一会の記念にと、毎日集合写真を会場内で撮るのが恒例行事になった。 勤務先の白老町から作業療法士として東京五輪に派
選手や大会運営スタッフにとって大敵なのは、新型コロナウイルスだけではない。連日の真夏日や猛暑日を記録した炎天下での救護活動。熱中症予防には細心の注意を払った。 ありがたいことにスタッフには毎日、会場入場時に水が入った500ミリリットルのペットボトル2本とパックタイプのスポーツ飲料水1個、さ
直径50センチほどの車輪が付いたコンパクトな車体を手足のように扱う自転車競技BMX。レーシングは2008年北京五輪、フリースタイル・パークは今回の東京五輪からそれぞれ正式種目に採用された新時代のスポーツだ。 最大8人で起伏の激しいコースを駆け抜けるレーシングは別名「自転車の格闘技」と呼ばれるコ
医療スタッフが毎朝受講する研修の講師を務めたのは、米国人のリチャード・バール氏。恰幅(かっぷく)のよい気さくな性格の「リック」は、国際オリンピック委員会(IOC)から命を受けたBMXの会場責任者で、2016年のリオ・デジャネイロ五輪など世界規模の各種大会にも携わってきたエキスパートだ。 通訳と
医療スタッフの朝は早い。毎日午前7時半から始まる研修を目がけてBMX会場の有明アーバンスポーツパーク=江東区=に向かう。30分ほどの座学や実地訓練、当日の役割分担などを確認する会議を経て、午前8時45分ごろには競技場での業務が始まる。 医師と看護師をベースにした4人一組の救護班を編成し、レ
今回の五輪は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、選手ら大会関係者が外部との接触を断つ「バブル方式」下で行われた。PCR検査は毎朝ホテルの自室で実施。検体(唾液)は競技会場内の回収所に届ける。 結果は五輪・パラリンピック組織委員会に集約される仕組みで個別の通知はなし。最初こそ不安を覚えたが
東京五輪の医療スタッフを志したきっかけは、2014年の国民体育大会(長崎県)自転車競技で北海道代表として共に戦った医師からの誘いだった。作業療法士の資格を持ち、当時は苫小牧市内の病院に勤務していた自身の経歴を踏まえ「力を貸してほしい」と声を掛けられた。 五輪出場は選手時代からの夢。学生時代には