• 鵡川で観察できる自然を表現 ムカワの語源とツルニンジン ◇16
    鵡川で観察できる自然を表現 ムカワの語源とツルニンジン ◇16

       「むかわ」。いつからそう呼ばれてきたのか。はっきりとしたことは分かりませんが、17世紀ごろに成立した松前藩の歴史書『新羅之記録』に鎌倉時代のむかわに関する伝説が残されています。「昔、この国では、上りに二〇日程、下りに二〇日程かかり、松前から東は陬川まで、西は輿依地まで人が住んでいた。右大将源頼朝卿

    • 2021年3月18日
  • 御休憩所は社殿として活用 数寄屋造りの鵡川神社 (下) ◇15
    御休憩所は社殿として活用 数寄屋造りの鵡川神社 (下) ◇15

       戸長役場では、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の鵡川村ご訪問に当たり、1911(明治44)年6月16日付で、鵡川から辺富内(現在の富内)に至る各地の代表者をもって委員会を組織しました。そして式典当日までに永安寺に設置した奉迎事務所ヘ参集し、当日は健康診断もあるので遠方から来て居住地と事務所を一日で往

    • 2021年3月4日
  • 数寄屋造りの鵡川神社(上)  皇太子嘉仁親王が御休憩
    数寄屋造りの鵡川神社(上)  皇太子嘉仁親王が御休憩

       様似町の様似郷土館で戦前の鵡川村に関する古写真を拝見させていただきました。その中の1枚に鵡川神社の写真があり、1919(大正8)年8月15日に霜口製炭部が就業安全大祈祷を催した記念写真でした。鵡川村礎基35年記念写真帖(1928年刊行)の紹介文によると、創業者の大廣政太郎氏が17(大正6)年に鵡川

    • 2021年2月18日
  • 鹿別原野の開拓(下) 1943年、地名「田浦」に
    鹿別原野の開拓(下) 1943年、地名「田浦」に

       「胆振国勇払郡入鹿別殖民区画地、七線二五番、二七番、一 未開地拾町歩」と書かれた土地の払い下げに関する願書があります。所在地の横に土地の見取り図が示され、入鹿別殖民地区画図の地番表記と一致しています。7線25番であれば、7線道路と4号道路の交わる十字路の北東に接する区画の土地であることが図面上で一

    • 2021年2月4日
  • 入鹿別原野の開拓(上)   碁盤の目状に区画整備
    入鹿別原野の開拓(上) 碁盤の目状に区画整備

       2018年春先、学校の先生と一緒にむかわ町田浦地区を題材とした郷土史の調査として、社会科のフィールドワークに同行しました。田浦地区について、自分自身も掘り下げて調べたことがなかったため、まずは町史を開き、史料調査を継続したところ、同地区の歴史は、北海道の開拓計画と密接なつながりのあることに気が付き

    • 2021年1月21日
  • 八王子千人同心市川彦太夫墓石(下) 移住隊士とアイヌに親密な交流
    八王子千人同心市川彦太夫墓石(下) 移住隊士とアイヌに親密な交流

       市川彦太夫は、原半左衛門と共に第1陣の移住隊に参加した隊士の一人です。1801(享和元)年6月9日に、病人を内地へ護送するため一時帰国した後、7月17日に蝦夷地へ出発し、06(文化3)年正月9日に死去しています。  市川彦太夫の墓石はざらざらした岩肌むき出しの、自然の形をそのまま生かした砂岩

    • 2020年12月17日
  • 八王子千人同心市川彦太夫墓石 鵡川開拓とアイヌ民族の交流
    八王子千人同心市川彦太夫墓石 鵡川開拓とアイヌ民族の交流

       今年の初夏、鵡川永安寺の石崎紀彦住職にお願いし、江戸時代の市川彦太夫という人物の墓石の銘文を記録する目的で拓本をとらせていただきました。市川彦太夫は19世紀初頭に開拓と北方警備のため北海道へやって来た八王子千人同心隊の移住隊士の一人です。  1800(寛政12)年、武蔵国多摩郡八王子(現在の

    • 2020年12月3日
  • 古い写真から見る明治時代の鵡川市街地 かつてのにぎわい物語る絵ビラ
    古い写真から見る明治時代の鵡川市街地 かつてのにぎわい物語る絵ビラ

       鵡川の市街地で明治の面影を残す建物と言えば、旧鵡川駅逓の布施旅館が有名でした。1910(明治43)年建築の木造2階建てでにぎやかだった頃の町の様子を伝えるシンボル的な存在として、住民に親しまれていました。しかし2018年の胆振東部地震で建物本体が傾き、そのままの状態で修理改築することは難しく、住民

    • 2020年11月19日
  • シシャモ伝説のススランペツとシシャモカムイノミ  神がアイヌに与えた食料
    シシャモ伝説のススランペツとシシャモカムイノミ 神がアイヌに与えた食料

       毎年10月、むかわ町ではシシャモの豊漁を願い、鵡川アイヌ文化伝承保存会とむかわアイヌ協会による「シシャモカムイノミ」の神事を執り行います。この季節、外に立っていられないほど風が強い日は「シシャモ荒れ」とも呼ばれ、シシャモがたくさん遡上(そじょう)する開始の合図になったと言われています。  む

    • 2020年11月5日
  • 鵡川天保の石灯籠 数少ない近世ムカワの石造物
    鵡川天保の石灯籠 数少ない近世ムカワの石造物

       以前、鵡川中央小学校の改築工事があった時、校門近くの庭木のある場所から江戸時代の石灯籠が見つかりました。地域の言い伝えによると、1977(昭和52)年に当時鵡川小学校の用務員さんが学校の前庭から掘り出し、銘文から天保年間のユウフツ場所に何か関係があるらしいと現地で保管していました。天保の石灯籠とし

    • 2020年10月15日
  • 鵡川汐見の先史文化 謎の鵡川盛土墳墓群を考察
    鵡川汐見の先史文化 謎の鵡川盛土墳墓群を考察

       鵡川の鉄橋の近くに、鵡川盛土(もりつち)墳墓群(ふんぼぐん)という北海道の指定文化財があります。現地は看板が立っているだけで町民でも知っている方は少ないと思います。この遺跡は昔、汐見遺跡と呼ばれていました。  1963年4月、北海道大学医学部解剖学教室の大場利夫教授が中心となって3日間の発掘

    • 2020年10月1日
  • 開拓使三角測量鵡川基点を求めて 近代北海道地図の原点
    開拓使三角測量鵡川基点を求めて 近代北海道地図の原点

       先日、鵡川の河口に行きました。砂丘にはテンキグサという、麦をたくましくしたような外見のイネ科の植物が繁茂していました。テンキグサのわらを干したものは、テンキというアイヌ民族の伝統的な籠やコダシなどの容器を作る材料になります。この海岸線のどこかに埋もれているものが今回の話の主役です。明治時代に開拓使

    • 2020年9月17日
  • 海の守護神 宮戸のイモッペさん 人々が救いを求め信仰
    海の守護神 宮戸のイモッペさん 人々が救いを求め信仰

       むかわ町内では毎年8月23、24日に、宮戸地区の鵡川大漁地蔵尊堂でお祭りが催されます。「イモッペ地蔵まつり」の愛称で親しまれる鵡川地方では古いお祭りの一つです。北海道には内地にあまり見られないアイヌ語起源の地名がたくさんありますが、「イモッペ」は特に珍しい地名でしょう。芋のことではありません。諸説

    • 2020年9月3日
  • アイヌが使った鎧の一部出土 霊力を身に付けるマジックアイテム
    アイヌが使った鎧の一部出土 霊力を身に付けるマジックアイテム

       皆さんこんにちは。むかわ町ではこの時期、むかわアイヌ協会と鵡川アイヌ文化伝承保存会による、カムイノミが開催されます。宮戸の鵡川大漁地蔵尊境内にあるアイヌ碑の前で厳かにイナウ(木幣)を祭り、アペフチカムイ(老婆の姿をした火の神様)が見守る中、アイヌを守護する自然界の神々にイナウを通じてお酒をささげ、

    • 2020年8月20日
  • 続・活発だったアイヌの交易 根室のラッコが道南松前へ
    続・活発だったアイヌの交易 根室のラッコが道南松前へ

       皆さんこんにちは。今回は「旧穂別町の町史に登場する山庫の宝物」の続編です。  前回の最後で触れたイタリアのイエズス会宣教師ジローラモ・デ・アンジェリスが取りまとめた報告書には、アイヌ民族のことが紹介されています。アイヌ民族は乾魚、ニシン、白鳥、ツル、タカ、鯨、トドの皮や油などを松前へ持って来

    • 2020年8月6日
  • 活発だったアイヌの交易 穂別に伝わる「山庫の宝物」
    活発だったアイヌの交易 穂別に伝わる「山庫の宝物」

       皆さんこんにちは。夏らしくなってきましたね、いかがお過ごしでしょうか。新型コロナウイルス対策で手洗いの励行やマスクの着用、不要不急の外出自粛などさまざまな予防活動に取り組まれている方が多いこととお察しいたします。  このたび人生で初めて、一般紙の連載をしてみませんか―というお声掛けをちょうだ

    • 2020年7月16日