「時には命に関わる選択」
- 2025年1月24日
世界が混迷する今だからこそ、26年ぶりにフィリピン最南端に位置する、絶海の小さな島を再訪する計画を立てている。いつまでも忘れがたく、前からどうしても戻ってみたいところだ。 だが、ここにきて行くかどうか再考を迫られている。それというのも一帯の島々は今、フィリピンからの分離独立をめざすイスラム
世界が混迷する今だからこそ、26年ぶりにフィリピン最南端に位置する、絶海の小さな島を再訪する計画を立てている。いつまでも忘れがたく、前からどうしても戻ってみたいところだ。 だが、ここにきて行くかどうか再考を迫られている。それというのも一帯の島々は今、フィリピンからの分離独立をめざすイスラム
フィリピンで仕事場を探そうとしていたおりのこと。 首都マニラの居酒屋で、私の知人から四十年配のフィリピーナを紹介される。サウジアラビアへの出稼ぎから帰国したばかりだという彼女は、マニラの郊外に手頃な新築の物件を所有しており、借り手を探していた。 数日後の夕方、その女性を訪ねて、賃貸
中国の江南地方を回って上海に戻ってきたところだ。四半世紀ぶりに訪れた周荘(ジョウジュアン)、西塘(シータン)、烏鎮(ウージェン)などは今や大都市といっていいほどで、すっかり様変わりしていた。特にホテルはとても快適になっている。 その昔、地方に行くと、どのホテルも何がサービスなのか、よくわか
私は、作家としてお世話になってきたアジアの国々で、奨学金制度「内山アジア教育基金」を主宰している。 われわれの基金を支援する山川夫妻は、フィリピンで6人もの小学生に奨学金を出している。このほど支援の主戦場たる現地を訪れた。 私の紹介で初めて会う子どもたちを集めて、ビーチ沿いのしゃれ
成田空港からフィリピンへの出発当日、航空会社のカウンターでのこと。荷物が重量オーバーなので超過分の支払いが必要だという。 「5万円の追加料金が発生します」 係の女性がごく事務的にいい放った。 実はこの私、物書きとしてお世話になってきたアジアに少しでも恩返しすべく、現地の子ども
アジア各国を経て、パリオリンピックの直前にフランスに降り立ち、目下ヨーロッパを周遊中だ。そこで旅の携行品の話をしよう。 海外を一定期間取材して歩く時、携行品一つ一つの重さにとても神経質になっている。100グラムどころか、時には10グラムでも軽いものにしようというのだから、周りには異様なこだ
初めてインドを旅して帰国すると、すぐにまた行きたくなるか、二度と行きたくなくなるか、両極端のタイプに分かれる――とよくいわれる。 なにゆえに? そのわけを目下滞在しているインドで、我(わ)が体験から解き明かしてみたい。 コルカタの空港に降り立ち、空港タクシーを発券カウンターでチャー
韓国を知り合いと一緒に観光旅行中、思いがけぬ災難に見舞われる。 オプショナルツアーに参加してランチの時、連れがビールを大瓶で3本も注文したのに、ほとんど口をつけようとしない。急に飲みたくなくなったのだという。 やむなく私が一手に引き受け、さして飲みたくもないビールを無理に胃袋に流し
回教国にして、アジアどころか世界の最貧国のひとつとされるバングラデシュを初めて訪れている。 田舎はもちろんのこと、首都のダッカでも街中を歩いていると、すぐに誰かしら私に声をかけてくる。客引き、呼び込みは当たり前だろう。だが好奇心盛りの子どもたちが、一言だけ知っている英語で話しかけてくる。
本紙をはじめとして、いくつかのメディアでこの私、自分の名前はもちろん、時に顔写真もさらしている。よってネットの社会でプライバシーをある程度あばかれても文句はいえないだろう。 アジア系の情報サイトで以下のようにさらし者にされたことが何度かある。 「ウチヤマヤスオが○月×日
タイ東北部の農村に滞在しているのだが、こっちにきて感じるのは、どの家に行ってもとにかく子供が多いということだ。3人、4人なんて少ないほうで、5人、6人はごく当たり前、もっとたくさんいる家も少しも珍しくない。田舎に行けば行くほど、その傾向が強いようだ。 これは何もタイにかぎったことではない。
この季節にふさわしく、ちょっと寒さにまつわる話にしよう。 東ヨーロッパの社会主義の国々が民主化革命で揺れていた時期、国際列車を乗り継いで各国の実情を見て歩いた。パリ発の国際列車に揺られ、次の日に降り立ったのはブルガリアの首都、真冬のソフィア。そこが乗っていた列車の終着駅だった。間もなく日付
奨学金制度を主宰する私は、還暦を迎えた頃からサンドロという10代半ばのフィリピン人少年を援助するようになった。 サンドロは生まれながらにして肢体に重度の障害を持ち、そのせいなのかどうか、生後間もなく父親が出奔してしまう。さらに母親も、乳飲み子のサンドロを残して、恋仲になった近所の男性と駆け
この私、百に近い国々を周遊してきたが、いつの頃からか、アジアを訪ね歩くことが多くなっているようだ。そのせいだろう、いろんな方から「なぜ作家としてアジアを主たるテリトリーにしているのか?」とよく聞かれる。 その理由は青春時代にくり返しヨーロッパに滞在していたことにある。 ベルリンへの
昨今は日本もずいぶん物騒になったといわれる。だが世界的に見れば、これでもまだ相対的にかなり安全なほうだろう。 アジアの国々は、日本に比べれば治安があまりよくないといえるかもしれない。そのアジアを旅していて白昼堂々、公衆の面前で強盗に襲われたらどうなるか? その場に居合わせた人々は助けてくれ
今滞在中のフィリピンは、この10年ほどで大きく変貌している。 首都のマニラだけでも何百という和食レストランがいたる地区、いたる通りでにぎわっている。かつて客の圧倒的大多数が日本人に限られていた。ところが今、大衆クラスの和食レストランだと、客層の7割から8割が、時に9割が現地の人たちのようだ
コロナ禍がやや小休止のようで、日本ではインバウンド、アウトバウンドともに回復しつつあるらしい。私も今年になってから2度仕事がらみで海外に渡航している。で、直近の訪問先のバンコクにまつわる話題だ。 租界時代の上海が魔都として有名だが、昨今ではバンコクがそのイメージにぴったりのようだ。世界中か
この私、作家としてお世話になったアジアに少しでも恩返しすべく、長らく奨学金制度「内山アジア教育基金」を主宰している。 コロナ禍が収まってきたので、久しぶりにアジアの各国を周遊している最中だ。 奨学金制度をやっていると楽しいこと嬉(うれ)しいことがいくらでもある。が、たまに喜んでばか
私が主宰する奨学金制度「内山アジア教育基金」の主戦場である東南アジアに3月いっぱい滞在していた。そして今は南アジアを周遊中、この先ヨーロッパをめざしている。 私の花粉症は仕事にならないほどにひどいので、春先になると決まって花粉症のない熱帯に避難している。 例年セブ島では海沿いに立つ
私が主宰する奨学金制度「内山アジア教育基金」の用事で、支援者の方々と一緒にフィリピンに旅立つことになっている。そこで海外旅行のノウハウについて話をしましょう。 実はこのところ、コロナ禍の少し前から、私の旅のスタイルがちょっと変わってきたようだ。若い時分は移動手段ひとつを例にとっても、いかに
この原稿が皆さんの目に触れる頃、私は日本にいない。私が主宰する奨学金制度『内山アジア教育基金』の活動拠点であるフィリピンを皮切りに、長期世界周遊の途上にあるはず。 今頃は、かつて若い時代をすごしたパリに滞在していることだろう。そこから戦況次第では著名なカメラマンと一緒に、その昔旅をしたウク
目下私のところに時ならぬ特殊詐欺事件のルフィやマニラのビクタン収容所がらみの原稿依頼が雑誌や新聞から相次いでいる。 余談になるがくり返し報道されているビクタン収容所内で、この私の著作がバイブル扱いされているというのだ。驚き桃の木だが、私はフィリピンを、特にマニラを舞台にした小説やノンフィク
タクシーというのは行き先を伝えればたどり着いて当たり前。ほとんどの人がそう思うだろう。ところがアジアの大都市ではそうとはかぎらない。その一例をあげよう。 タイの首都、バンコクで観光客なら誰もが知っているカオサンというところに行こうとして流しのタクシーをつかまえた。 「カオサンロード、
コロナ禍の直前、数カ月ぶりに日本に戻って、所属するテニスクラブを新しいところに変えてみた。 ゲームを楽しんだ後、クラブハウスのシャワールームに向かう。使うブースを適当に選んでその前に立つなり、びっくり仰天する。各ブースのドアの下が60センチほども空いているのだ。しゃがんで隙間からのぞきこめ
まだ海外旅行がしにくいようだ。そんな時期なので、旅そのものではなく、私が聞いた海外暮らしにまつわる面白い話をしよう。 インドネシアに駐在する商社マンの友だちがあきれ顔でいう。ちょっと以前の話ではあるが……。 「引っ越し先でのトイレの改装をうちの使用人にやら
いまだにちょっと海外旅行に出かけにくいご時世のようなので、旅の後日談をしよう。 若き日の私が放送作家としてテレビの取材でモロッコ王国へ旅したおりのこと。国王直属の鉱山公社総裁から思いがけないものをいただく。ドキュメンタリー番組を通してモロッコの宣伝をしてくれたお礼なのだという。 失
今なお海外旅行がままならないようなので、旅そのものからはちょっと離れた話をしましょう。 私は職業作家として長らくアジアや第三世界をテーマに、あるいは主戦場にしてきた。そのせいもあって、誰もが私のことをブランドになど興味も関係もない物書きだと思っているようだ。 ところが、この私、恥ず
プロの物書きである以上、文章表現にはとても気をつけている。 仕事柄人種や民族といった出自の違う人々としょっちゅう出会っている。違う人種との間に生まれた人のことを”混血”と呼ぶのはマスコミ的に完全なタブーとなっている。 一方で、「あの人は日本とアメリカのハーフ
たまには私が直接関与しそうになった、ちょっと刺激の強い話をしてみよう。 8年前に弱冠24歳の日本人男性がタイで数多くの子供を代理母に産ませていた問題がクローズアップされた。タイ人女性に20人以上(未確認や妊娠中を含む)を代理出産させていたことが発覚し、世界中から注目が集まり、大きな騒動とな