⑸皆に愛された学校リンク
- 2022年3月22日
ー(1)野球部が氷上で強化合宿=1978年1月、苫小牧工業高 冬休み返上で行われたアイスホッケートレーニング。足腰の筋力を鍛えるのはもちろん、パスやシュートで手首の強化や目のスピード感覚を養うのが狙いとある。氷上合宿は2月末まで続いた。 ―(2)待ちに待った学校リンクで滑走=1994年12
ー(1)野球部が氷上で強化合宿=1978年1月、苫小牧工業高 冬休み返上で行われたアイスホッケートレーニング。足腰の筋力を鍛えるのはもちろん、パスやシュートで手首の強化や目のスピード感覚を養うのが狙いとある。氷上合宿は2月末まで続いた。 ―(2)待ちに待った学校リンクで滑走=1994年12
―(1)学校リンクで練習試合 =1978年1月、北光小 冬休みを利用して北光小と糸井小が対戦。他の学校リンクでも連日、練習試合が盛んに行われているとある。「冬休みもあと1週間。最後の余興を楽しむかのようにリンクの上を滑りまくっている」 ―(2)アイスホッケー部父母の努力が実る =1996年1
―(1)市内初の中庭スケートリンク=1977年1月、苫西小開校100周年記念事業の一環で整備。中庭でのリンク造成は同校が初めてとある。大きさは30メートル四方。グラウンドにあるアイスホッケーリンクと併用して授業や競技活動が行われた他、休み時間や放課後に児童が自由に滑走しにぎわった。 ―(2)
【啓北中】―(1)啓北中 100万円のリンク=1968年11月16日 全生徒を動員した廃品回収、友愛セールなど資金集めに奔走し、悲願の学校リンク造成がかなった。PTAが積み立てた36万円を含む総額100万円ほどの資金を投入。写真は、教員と生徒がリンク外柵用の高さ2メートルの支柱を立て
苫小牧市内の学校にスケートリンクが当たり前にあった時代。児童、生徒、教員、保護者が一致団結し、造り上げた銀盤は連日、スケート授業やアイスホッケーを楽しむ苫小牧っ子であふれていた。在りし日の学校リンクの活気ある昭和、平成の光景を本紙の写真資料や記事を参考に紹介する。 (北畠授、石川優介が担当します