6 石沢矜子さん(苫小牧市日吉町、88)空襲で父が命の危機に、何が正しいか自身で考えて
- 2021年8月14日
「あの時ほど泣いたことはない」。 戦時中、苫小牧町(現苫小牧市)緑町に住んでいた石沢矜子さん(88)=日吉町=は、76年前の夏に味わった恐怖を思い出し、声を震わせた。 終戦間際の1945(昭和20)年7月14日。苫小牧の市街地は、米軍の艦載機グラマンによる機銃や焼夷(しょうい)弾の
「あの時ほど泣いたことはない」。 戦時中、苫小牧町(現苫小牧市)緑町に住んでいた石沢矜子さん(88)=日吉町=は、76年前の夏に味わった恐怖を思い出し、声を震わせた。 終戦間際の1945(昭和20)年7月14日。苫小牧の市街地は、米軍の艦載機グラマンによる機銃や焼夷(しょうい)弾の
「明るいものに都合の悪いものを溶かし込んで、私たちの心を何か巨大な力で誘導してはいないか」 高橋善雄さん(89)=苫小牧市大成町=は、兄を戦争で亡くし、軍事教練や援農に明け暮れた日々を静かに振り返った。今月8日まで、17日間にわたって繰り広げられた平和の祭典・東京五輪。その進め方に、あの頃
「今にも降参だと手を挙げそうな日本に対して、原子爆弾を試しに使った。こんなことが許せますか」。それまで穏やかだった表情が一変。渡辺清一さん(86)=苫小牧市柳町=は、怒りに満ちた力強い口調で語った。 10歳の時、爆心地から3キロ離れた長崎市内の自宅で被爆した。幸い、やけどなど大きな外傷はな
日本で唯一、地上戦が繰り広げられた沖縄。中でも浦添市前田地区は米軍による攻撃が集中し、「ありったけの地獄を一つにまとめたよう」と表現されるほどの凄惨(せいさん)な戦いとなった。 丹治秀一さん(98)=苫小牧市植苗=が所属していた陸軍満州803部隊もこの戦いに投入され、多くの仲間が戦死した。
9歳だった夏の朝。祖母宅の縁側に座って休んでいると、遠くに南へ進む飛行機が見えた。「ピカッ」と激しく光ったかと思うと、家ごと大きく揺れた。地震だと思った。揺れが収まり、ふと空を見上げると南の空に見たこともないきのこ雲が立ち上っていた。原子爆弾が広島の市街地に落ちたと知ったのは、それからかなり後にな
日本の敗色が濃くなった、第2次世界大戦末期。日本軍は兵士が乗った魚雷を敵艦にぶつける特攻作戦に打って出た。人間魚雷とも呼ばれたこの特攻兵器で、140人を超える若い命が海に散った。 「命令が下れば、何もためらわずに自分も命を投げ出していただろう」。人間魚雷「回天」が配備されていた宮崎県日向市