5 子どもたちに伝承 震災の記憶伝える責任 地域学ぶ教育の題材にも
- 2021年9月4日
厚真町表町の住宅地近くに広がる田んぼや畑を毎日のように訪れ、虫捕りをしたり、走り回ったりする斉藤花ちゃん(3)。生後1カ月半で胆振東部地震を「経験」したが、当然ながら地震の記憶はなく天真らんまん。毎日が「楽しい」と元気いっぱいで、父で町職員の烈さん(33)、母の直美さん(38)が笑顔で見守る。
厚真町表町の住宅地近くに広がる田んぼや畑を毎日のように訪れ、虫捕りをしたり、走り回ったりする斉藤花ちゃん(3)。生後1カ月半で胆振東部地震を「経験」したが、当然ながら地震の記憶はなく天真らんまん。毎日が「楽しい」と元気いっぱいで、父で町職員の烈さん(33)、母の直美さん(38)が笑顔で見守る。
「あづま成吉思汗」で知られる市原精肉店(厚真町表町)はこの3年間、胆振東部地震で大きな損害を出し、売り上げが回復したと思ったら新型コロナウイルス流行に見舞われ、不可抗力に翻弄(ほんろう)されてきた。それでも「自分が被災者と言われるのはおこがましい。厚真のために恩返ししていかないと」と3代目の市原泰
「助けていただいた多くの方に、おいしいお米を食べてもらいたい」―。厚真町幌内の稲作農家、末政知和さん(28)は意気込む。今年から親戚の水田6・5ヘクタールを借りて「ななつぼし」の作付けを始めた。2018年9月の胆振東部地震で田んぼが被災し、昨年までアルバイト暮らしだった。黄金色に輝く稲穂に目をやり
「落ち着いて暮らせるだけで十分」―。厚真町の災害公営住宅「新町のぞみ団地」で穏やかな表情を見せる加賀谷俊昭さん(81)。2018年9月の胆振東部地震で宇隆にあった自宅が全壊し、約2年間の仮設住宅暮らしを経験した。妻の弘子さん(78)と「安らいで生活できる場所が見つかった」としみじみ思う。 ◇
「早いですね」―。2018年9月6日の胆振東部地震で、両親と祖母の3人を亡くした厚真町職員の中村真吾さん(45)は今の心境を率直に語った。昨年までは産業経済課に、今年1月から教育委員会に所属。担当する業務が山ほどあり、「立ち止まっていなかったから逆に良かった」。厚真町の復興、発展を願いながら歩んで