植苗・美沢プロジェクト社長 丹治(たんじ)有貴(ゆうき)さん(50)
- 2024年8月29日
6月28日付で株式会社植苗・美沢プロジェクトの社長に就任。生まれも育ちも植苗で「植苗・美沢から苫小牧を盛り上げたい」と意気込む。 同社は道の駅ウトナイ湖と植苗ファミリーセンターの指定管理者。道の駅のリニューアルオープンで「人の出入りが増えた」といい、「農作物や山菜を道の駅で売るおじいちゃん
6月28日付で株式会社植苗・美沢プロジェクトの社長に就任。生まれも育ちも植苗で「植苗・美沢から苫小牧を盛り上げたい」と意気込む。 同社は道の駅ウトナイ湖と植苗ファミリーセンターの指定管理者。道の駅のリニューアルオープンで「人の出入りが増えた」といい、「農作物や山菜を道の駅で売るおじいちゃん
5月末の理事会で「海の駅ぷらっとみなと市場」を運営する組合の代表に就任した。市場にはこの1、2年で飲食店の新規出店が相次ぎ、客の選択肢も増えたが「十分に周知されていない」と指摘。「市民の中には『ぷらっと』の名は知っていても行ったことのない人が多くいる」とみて、地域との結びつきを強めたい考えだ。
苫小牧市柏原の自動車部品製造、アイシン北海道の社長に5月31日付で就任。座右の銘は「継続は力なり」で、「現場主権でものづくり力を底上げし、競争力を高める。人材も育成したい」と意気込む。 愛知県北名古屋市出身、岐阜大工学部卒。親会社アイシン精機(愛知県、現アイシン)に入り、品質管理畑を中心に
4月24日の総会で、11代目支部長に就任。「同友会には『会員1人1人が辞書の1ページ』という言葉がある。学ぶことに楽しさを感じたり、会員同士が交流を深められたりする会にしたい」と意気込む。 多くの中小企業にとって、人手不足が大きな課題で「若者が突然いなくなったわけではない。来てもらうために
4月18日に開かれた定期総会で、16代目会長に選任された。コロナ禍による活動休止などに伴う老人クラブ活動の弱体化を懸念。「皆で知恵を絞り、集中的に会員数を増やしていきたい」と力を込める。 苫老連は苫小牧市内の老人クラブでつくる組織で、前年度末時点で45クラブが所属。自身も宮の森町の老人クラ
30年超の道庁勤務で、人材育成に関する仕事は初。「『ものづくり人材なら学院』と言ってもらえるよう一からのスタート」と語る。 主に「経済畑」を歩み、前任は本庁の産業振興課課長補佐。企業誘致や、大手企業と道内中小企業のマッチングなどに奔走してきた。データセンター誘致にも携わり「オンラインを駆使
4月15日に着任。「海の安全、安心を守っていく意識を持ち、職員同士はもちろん、関係機関としっかりコミュニケーションを取ってほしい」。訓示でそう強調した。 広島県の海上保安大学校を1997年3月に卒業し、初任地の第11管区海上保安部では巡視船に乗り、尖閣諸島の警備などに当たった。横浜海上保安
3月25日付で、道警本部の本部警務部参事官兼監察官室長・首席監察官から着任。苫小牧署長として、管内(東胆振1市4町)の治安、交通事故防止に目を光らせる。 高校卒業後、民間企業で2年半ほど働いたが「人のため」に重きを置く警察の仕事に魅力を感じ、1988年に道警入り。警察大学校特別捜査幹部研修
4日の総会で、14代目の会長に就任した。2016年度の入会以来、設立20周年記念事業の責任者や副会長などを歴任。新年度事業については「若手経営者が経営の勉強をする場に特化したい」と意気込む。 「さまざまな組織が苫小牧にある中で、『経営を勉強しよう』という会はあまりない。そこが(友知会の)強
1日付で着任した。前任は同病院の副院長。「王子総合病院と並ぶ東胆振の中核病院。地域の医療ニーズを考え、役割を果たしていきたい」と語る。 「周産期から高齢者までしっかりと急性期医療をやっていくことが原点」と気を引き締める。「いい医療を提供するためには、病院で働く職員が健康でいなければならない
11月1日に就任してから1カ月余り。千歳市で次世代半導体の量産を目指すラピダスに関連した工場やデータセンターの進出が相次ぐ中、「商議所の会員企業が関われるように情報収集を進めたい」と抱負を語る。 トヨタ自動車北海道で長年製造畑を歩んできた。専務理事就任の打診には「驚いたが、挑戦できるチャン
5月25日の定期総会で、15代目会長に就任。拓勇東町内会の会長を務めているが「コロナ禍で、町内会のニーズが不透明になってしまった」と危機感を示しつつ「若者が町内会に興味を持ってもらえるように活動していきたい」と意気込む。 地域イベントについては「子どもの輪に大人が参加することで盛り上がる」
5月20日に開かれた総会で就任。苫小牧電気工事業協同組合の会員企業で、管理職や幹部候補の47歳以下のメンバー27人で、新体制のスタートを切った。 新型コロナウイルス禍で活動を制限してきたが、今年は電気工事業に関する体験行事などを企画。「地元の子どもたちとコミュニケーションを図りたい」と意気
「働き方改革関連法などの施行で、労働現場の対応が変わってきている。改正法令のポイントを周知するお手伝いができれば」と語る。管内(東胆振1市4町と千歳市)各地を回り、労務管理などの勉強会に署員を派遣できることも案内している。 酪農学園大を卒業し、1988年に室蘭労基署入り。労働基準監督官の試
「地元企業と一緒に発展していきたい」―。苫小牧市が柏原に開設する製造業など産業の振興施設、市テクノセンターの館長に4月1日付で就任した。さまざまな企業が点在する工業都市での仕事に「気が引き締まる思い」と語る。 前職は道科学技術総合振興センターのコーディネーター。道立総合研究機構に在籍したこ
4月20日に行われた苫小牧市統計協議会の総会で、会長に就任。統計調査員49人(3月31日時点)の先頭に立つ。「不安もあるが、キャリアを重ねてきた。できることをしたい」と意気込みを語る。 統計調査員は国勢調査や経済センサス、事業所企業統計調査などの各種調査で、調査票の配布と回収を担う。近年、
4月1日付で就任。法務局に勤めて42年目で、初の苫小牧勤務となる。「港や空港、高速道路を抱え、発展する要素がたくさんある。より住みやすいまちになっていくのでは」と地域の印象を語る。 管轄エリアは東胆振1市4町。「法務局は人権や登記などを扱っており、市民生活と密接に関わっている。市民に寄り添
1日付で着任。苫小牧保健所長が室蘭保健所長との兼任ポストになり、普段は胆振総合振興局(室蘭)で勤務するが「苫小牧にも定期的に通う」と話す。 オホーツク管内斜里町出身。旭川医大を卒業後、1986年に公衆衛生医師として道庁入り。初任地は苫小牧保健所で、「当時とまちの雰囲気が同じ」と喜ぶ。
今月4日の総会で、13代目の会長に就任した。入会以来、副幹事長や委員長として例会などで他業種の会員と活発に交流。その経験を、自ら経営する住宅設備・工場用機械の販売会社で、若手従業員とのコミュニケーションなどに生かしてきた。 会長としてのスローガンは「ゼロからイチを生み出す創造力」。会員は地
4月11日に書面形式で行われた総会で、苫小牧更生保護女性会の新会長に選出された。「コロナ禍の影響を受ける中、重責を担うこととなって緊張している」と話す。 犯罪に手を染めてしまう人が後を絶たない上、出所した人が地域で孤立してしまうことで、再犯に至るケースも増えている。そのような状況下、女性と
5月31日付で、海の駅ぷらっとみなと市場(苫小牧市港町)を運営する商業協同組合苫小牧港市場の代表理事に就任した。 市場内に店舗を構える17の組合員から成る組織。イベントの企画、実施を通し、今まで以上に「市民に『ぷらっと』気軽に立ち寄ってもらえる場所にしたい」と意気込む。 道央道苫小
「今の時代は情報が一番大事」と考え、商店街同士の横のつながり強化を目指す。「地域コミュニティーにおける商店街の役割を明確にしたい。市商連の活動が盛り上がれば、各所に元気が出てくる」と展望する。 市内の商店街振興組合や商店会など14団体(約500事業所)で組織。理事長交代は10年ぶりで、今月
4月21日の総会で、8代目の会長に就任。「前例にとらわれない取り組みを推し進め、より質のいい文化を市民に提供できるようにしたい」と意気込む。 「文化は今、曲がり角に差し掛かっている」と指摘。新型コロナウイルス禍による活動スタイルの変化や高齢化などで、文化団体は活動継続が難しい現状にあるが「
4月1日付で、苫小牧市高齢者福祉センターのセンター長に就任。「高齢者の目線に立って、利用者が明るく健やかに安心して過ごせる施設にすることが大命題」と語る。 各種講座や教室は昨年に続き、5月から新型コロナウイルスの感染防止対策を徹底させながら実施。「少しずつ日常を取り戻したい」と意気込む。
4月1日付で着任。「いかにして労働者が安心して働ける職場をつくってもらうか。行政の役割を果たしたい」と抱負を語る。 東京の大学を卒業後、1994年、当時の労働省(現・厚生労働省)に入庁した。栃木県や神奈川県の労働基準監督署などを経て、前任は北見労基署の署長。苫小牧労基署は、11年に監督課長
時代が大きく変化する中、「会社を守り、生きていくには、自身が成長しなければならない。人脈を増やし、自分にはない知識を得ていくことが大切」と強調する。「人との出会いは学びや経験につながる」をスローガンに年間の事業を進めていく方針だ。 2004年、45歳以下の若手経営者らで構成する北海道中小企
1日付で館長に就任。「学芸員や市民の皆さんとよりよい施設運営を目指していきたい」と抱負を語る。苫小牧市出身で苫小牧南高を卒業後、市役所に入った。市民税課や教育委員会学校教育課などを経て、前任は生涯学習課の主幹。 2013年、美術博物館は改編され、文化・芸術の複合的な施設として歩み始めた。「
3月25日付で着任。道警本部の刑事部総括管理官や捜査4課長を務めるなど、主に刑事畑を渡り歩いた。 2001年から2年間、苫小牧署の刑事1課に勤務。管内で殺人事件が多発していた時期で、捜査に追われる日々を過ごした。「苫小牧勤務がその後の警察官人生の土台になった」と言う。 被害者からの
4月1日付で、12代目消防団長に就任。東西に長い苫小牧市の防災の一翼を担う。「団員数増加が第1の使命。防災に加え、広報活動にも全力を注ぐ」と抱負を語る。 市内澄川町で、エース電器を経営。1994年6月、市消防団錦岡分団に入った。2012年から同分団で分団長、13年から副団長を務めてきた。
苫小牧市植苗の道の駅ウトナイ湖の4代目駅長に1日付で就任した。「生まれ育った愛着のあるまちを盛り上げたい」と意気込む。 これまでは市内の民間企業で営業を担当。市の指定管理者である植苗・美沢プロジェクトが駅長を公募しており、申し込んだ。前職で培った経験を「接客面などに生かしたい」と語る。