突然だが、少し考えてみてほしい。世の中は今「平等」という言葉であふれている。だが、本当に世の中は平等であるか否か。
私は思う。生まれたばかりの赤ちゃんは、病気や障害を持って生まれてくる赤ちゃんを除けば平等かもしれない。だが、その後は勉強したかしないかや、周りの環境などで少しずつ違いが生まれてしまうと。全ての人が平等というのは、不可能と言えるほど難しいことだと言えると思う。
最近、世の中はSDGsを意識した取り組みが増えている。その中でも「ジェンダー平等」を掲げて活動している組織や団体が増えている。実際、私の妹の小学校でも「ジェンダー平等」を意識した取り組みが行われている。例えば、出席番号の順番を男女混合にする、徒競走なども男女混合にし、順位をつけないことなどだ。前者については特に問題は感じないが、後者については、はじめて耳にしたときに、なんか変じゃない?と思った。なぜなら、成長の過程で、男女の身体能力には必ず差ができるし、小学校で順位がつかなくても、中学校や高等学校へと進んでいくと、多くの場面で順位がつけられていくことになるからである。順位がつけられるという経験が少ない環境で学び、成長してきた人が社会に出て、現実に向き合ったとき、モラハラやパワハラなどのハラスメントと受け取りやすくなり、社会問題に発展しかねないのではないだろうか。
日本国憲法の基本的人権の中には、平等権というものがある。性別、職業、生まれた場所などに関係なく全ての人が等しい扱いを受ける権利だが、今の世の中は本当に「平等」と言えないように思う。だからといって「不平等」とも言いがたい。この矛盾を解消するために、全てを平等にするということよりも、その活動を行う場合に、どのように活動をすれば不平等にならないかを考えながら行動したほうが良いと思った。改めて「平等」という言葉でこの世の中をあふれそうなくらいにいっぱいにすることは、本当に難しいことだと実感した。
そこで、もう一度問いたい。「本当に世の中は平等であるか否か」。ただふとした時、ほんの少しの時間でも良いから、「平等」について、多くの人に考えてもらいたい。私はこれから先、もっとこの言葉や活動に関係した人生を送っていくだろう。だからこれからの人生では、ジェンダー平等を始めとする平等に関わる目標が多く含まれているSDGsを意識しながら過ごしていきたいと思う。
この世界では、戦争、貧困など様々な問題が毎日のように起きているが、その中で様々な人たちがいろいろな活動を行っている。その中で、チャンスや試練、才能や努力が誰にでも平等に、同じ数だけあるわけではない。もしかしたら世の中の平等とは、制限されていると言えるかもしれない。だからこそ、表面だけで平等を取り繕うのではなくて、できるだけ多くの人が平等について考え、その考えを一人でも多くの人に知ってもらうことが必要だと思う。誰もがより快適に楽しく過ごせ、後悔のない人生を送れるような、そんな世の中にしていきたい。