みなさんには親友と呼べる人がいますか。そして親友とはどのようなものだと思いますか。よく遊ぶ人、昔から仲が良い人など、人によって答えはそれぞれだと思います。私は、自分の素の姿が出せて、ありのままの自分をさらけ出すことができる人のことを指すと思います。
私には親友と呼べる人たちが何人かいます。まず、ソフトテニス部の仲間です。部活の友達関係がうまくいかないとき、試合で練習の成果が出せず敗戦してしまったとき、誰よりも私の思いや努力を認めてくれます。例えば、試合で私がミスをしたときにはアドバイスをくれ、良いプレーをしたときには褒めてくれます。その言葉一つ一つが自分では知ることができない改善点につながり、実力を高めることにもつながります。そして何よりも自分にとって唯一の自信にもなります。
中学校に入学してソフトテニスを始めた私にとって、テニスは自信があるほうではありません。そのため、部活の仲間たちが頑張っているところを褒めてくれることがとてもうれしく、モチベーションにつながっています。
さらに「学校に行きたくない」「勉強したくない」、そんなときも放課後にある部活を楽しみにして学校に行くことができます。もちろん部活の練習は楽しいことだけでなく、辛(つら)いこともたくさんありますが、ここまで続けてこられたのも、ソフトテニスの楽しさを教えてくれたのも部活の仲間のおかげだと実感しています。
また、部活以外にも親友がいます。その子とは部活も趣味もクラスも違うのにもかかわらず、楽しいことやうれしことはもちろん、悲しいことも報告したいと思います。例えばテストの結果、恋愛状況、クラスのことなど色々なことを話します。ずっと仲がいいですが、常に一緒にいるわけでもなく、同じような状況や経験をしているわけでもありません。それなのに、こんなにも気の向くままに自分をさらけ出せるのはなぜなんだろう。そう思うと、そこにあるのは安心感だと気づきました。それはきっと、この子には何を言っても自分を嫌わず、受け止めてくれるんだという安心感です。だからこそ、そのおかげで自分の素をさらけ出せるのだと思います。それは私の心の大きな支えになっています。
このように、親友とは私を高めてくれる存在であり、信頼できる大切な存在です。改めて振り返ると、いつもどんなときも親友に支えられていると感じます。だからこそ、この先、もし親友達が悩んでいたら、今度は私が支える側として手を差し伸べていきたいです。
「私には親友と呼べる人がいない」と悩んだ時期もありましたが、視野を広げてみると親友が私を支えてくれていると気づきました。私が親友を大切に思うように、私も彼女らの大切な存在になれるよう、普段の何気ない会話を大事にしていこうと思います。たくさんの思いやりをもって。