苫小牧市中学生主張発表大会(7) 努力賞 「はるばあちゃんとタッチ」 明野中学校2年 鹿嶋 ひなさん

苫小牧市中学生主張発表大会(7) 努力賞 「はるばあちゃんとタッチ」 明野中学校2年 鹿嶋 ひなさん

 はるばあちゃんは今年91歳、私のひいおばあちゃんだ。はるばあちゃんは父の実家に祖父母と3人で暮らしている。私は幼い頃から毎週のように父の実家へ顔を見せに行き、はるばあちゃんとトランプをしたり公園で遊んだりしていた。「さぁ帰るぞ」となったとき、いつも父は決まってこう言った。

  「もうはるばあちゃんが死ぬかもしれないんだからタッチしなさい、もう明日死んでるかもしれないよ」。そして私は握手をして帰る。

   はるばあちゃんはご飯支度も自分でしていたし、大好きなパチンコ屋へ毎週通うほど元気だった。父の言葉にはるばあちゃんは「まだまだ死なないから、からかうんじゃないよ」と少し怒って言った。私も内心「まだ元気だし、このタッチは何なのだろう?」とよく分かっていなかった。幼かった私は、とりあえず言われるがままにはるばちゃんと毎週タッチをして帰るのが習慣になっていった。

   5年生のときのことだ。ある日のこと兄弟と公園で遊んでいた。いつもなら「元気かい? みんなでなにやってるのさ?」と言いながらはるばあちゃんは家の中から出て来るのだが、その日は公園に姿を現さなかった。帰り際にタッチをするとき、「最近パチンコ屋に行ってないんだよね」とつぶやいていた。この頃からはるばあちゃんはあまり外出しなくなり、元気がなくなっていくように見えた。 それから3年経った今年の春、はるばあちゃんは急にやせ細り、口数も少なくなり、すっかり元気がなくなってしまった。それでも父は変わらず「もう死ぬかもしれないんだから早くタッチしなさい」と言う。はるばあちゃんは「ありがとうね、またおいでよ」と怒ることもなく、「タッチしてくれてありがとう」といった顔をして、いつもの握手をして帰るのが今の習慣になってしまった。

   元気だったあの頃は気付くことはなかった。もし突然ケガをしていたら、病気になっていたりしたらもうタッチをすることすらできなくなっていたかもしれない。

   「元気がなくなってからじゃ遅い。だから元気があるうちにはるばあちゃんとタッチをしていい思い出をつくっておこう」という、父の思いにはるばあちゃんの元気がなくなってから私はようやく気づくことができた。

   そう思えるようになってから、私ははるばあちゃんとのタッチを自分からするようになった。そして「また来るね」といつもよりも気持ちを込めて言えるようになった。

   私ははるばあちゃんと毎回タッチをすることによって必ず会話をして帰る。話の中ではるばあちゃんは「金運が上がりそうだから金色が一番好きなんだよ」。そんなことを言っていた。100歳まで長生きしてねと思いを込めて誕生日に金色の折り紙で百羽鶴を贈った。はるばあちゃんは「お金がたくさん入りそうだね」とすごく喜んでくれた。「タッチ」によって生まれる会話の積み重ねによって、はるばあちゃんとの距離がぐっと縮まっていった、そんな気がした。

   2022年10月22日はるばあちゃんは帰らぬ人となった。

   毎週のように会いに行っていたせいか大きな後悔はない。今の時代はスマホも普及し、離れた人とも連絡を取りやすくなった。でも大切な人が近くに住んでいるのなら直接会って人のぬくもりを感じながら話すのもいい。それはいつの時代でも大切にされていくべきだと思う。だから私ははるばあちゃんとタッチしてきたことを忘れず大切な人としっかり関わっていきたい。

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