苫小牧市中学生主張発表大会(5) 優良賞「今できることを探して」 明野中学校2年  渡邉 杏香さん

苫小牧市中学生主張発表大会(5) 優良賞「今できることを探して」 明野中学校2年  渡邉 杏香さん

 あの日の出来事は、一生忘れないだろう。

   夜の11時過ぎ、祖母が危ないとの連絡を受け、家族と病院へ急いだ。私はそんな連絡を受けたにもかかわらず、祖母がこんなにも早く亡くなるなんて、夢にも思っていなかった。

   私の祖母は、昨年の12月ごろから病院に入院していた。コロナ禍の面会規制のため、ずっと会うことができず、やっと面会することができたのは、亡くなる3日前だった。

   病室で目にした祖母は、まるで別人のようだった。私の記憶の中の祖母は、持病はあったものの、いつも笑っていた。昨年の夏休みには一緒にバーベキューをしたり、花火を楽しんだりした。でも目の前にいる祖母は、やせて、病気で苦しんでいる。意識がもうろうとしていて、はっきりと話すこともできなかった。痛くて、つらそうな姿を見るのは、想像以上に辛(つら)かった。私は、祖母に何と声をかけていいのかわからなかった。

   その2日後に、祖母は亡くなった。私は、祖母の死を、すぐに受け入れることができなかった。

   父と母は、お通夜や葬儀の準備に追われることになった。一緒に遺影にする写真を探していると、見慣れた笑顔の祖母がそこにいた。生まれたばかりの私を抱いた、祖母の写真だ。その時の記憶はないが、私のことをいとおしそうに抱く祖母の姿を見ると、心にぐっとこみ上げるものがあった。祖母とは、離れて住んでいたこともあり、会う機会は決して多くなかった。でも、写真で振り返ってみると、お正月を一緒に過ごしたり、誕生日を毎年祝ってくれたり、本当にたくさんのことをしてもらっていた。こんなに多くの思い出を残してくれたのに、「ありがとう」や「大好き」の一言を、伝えることができなかった。そう思うと、申し訳ない気持ちになった。

   棺(ひつぎ)の中の祖母にそっと触れると、頬が柔らかで、まるで生きているようだった。

   「もっとたくさん話したかったな」

   伝えたいことがたくさんあった。何もできなかった後悔が、心の底から一気にこみ上げてきた。

   私は、祖母が亡くなって、初めて「身近な人の死」について考えた。大切な人が亡くなるということは、とても悲しいことだ。しかし、生きている以上、避けることはできない。もし突然、父や母が亡くなってしまったら。自分がかけた言葉、自分の態度、相手のためにできることはなかったのか…。もう、祖母の時のような後悔はしたくないと、強く思った。

   後悔を少しでも減らすためには、どうしたらよいのだろう。どんな言葉が、大切な人と話す最後の言葉になるかわからない。だから、毎日を自分のために、そして、周りの人のために、精一杯生きることが大切なのだと思う。 

   自分を支えてくれる大切な人が、離れて住んでいるなら、電話でもいい。一緒に住んでいるとしても、そばにいるのが当たり前と思わず、普段の温かい関係を大切にしたい。「おはよう」などのあいさつや、「ありがとう」「大好きだよ」などの、温かい言葉を伝えること。相手に伝えたいこと、話したいことを後回しにせず、すぐに伝えること。そして、温かい気持ちになれるような思い出をたくさんつくること。大切な人と一緒にいた時間を、かけがえのない、温かな時間にするために、自分が今、できることを、これからも探していきたいと思う。

   私は、祖母が「身近な人の死」について考えるきっかけをくれたことに、とても感謝している。私は、この経験を通して、今までの自分を振り返り、これからの自分について、深く考えることができた。やっと、祖母の死を本当の意味で、受け入れることができたと思う。

   「おばあちゃん。遅くなってしまったけど、今まで、たくさんの思い出を、本当にありがとう。そして、大好きだよ」

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