いのちと自然の造形譚 【下】入り交じる夢と幻想
- 2024年11月6日
本展の「第4章」では、作者の心の奥深くから浮かび上がるかのような夢や幻想の入り交じる作品群を紹介しています。 苫小牧ゆかりの画家・町田徹哉は、点描による細密な描写と繊細な色彩感覚により幻想的なメルヘンの世界を築き上げました。夢やおとぎ話に出てくるようなその魅惑的な楽園は、20世紀初頭にかけ
本展の「第4章」では、作者の心の奥深くから浮かび上がるかのような夢や幻想の入り交じる作品群を紹介しています。 苫小牧ゆかりの画家・町田徹哉は、点描による細密な描写と繊細な色彩感覚により幻想的なメルヘンの世界を築き上げました。夢やおとぎ話に出てくるようなその魅惑的な楽園は、20世紀初頭にかけ
本展の「第2章」では、モデルとなる人物の個性やその気配が際立つ彫刻や絵画を紹介しています。今回は、遠くを見つめるまなざしが印象的な舟越桂の作品と、保井智貴の等身大の女性像を紹介します。 舟越桂の楠を素材とする《そこだけの冬》は、「冬」をタイトルに持つ5点のシリーズのうちの一つです。音楽家を
子どもから大人まで幅広い方々の鑑賞機会の創出を目指すこの展覧会では、人や動植物などをかたどった、親しみやすい絵画をはじめ彫刻、写真作品105点を展示しています。当館の収蔵作品をはじめ、「彫刻のまち」として知られる旭川市の彫刻美術館や「写真のまち」東川町の文化ギャラリーなどから貴重な作品もお借りして
宮本屋窯の作に描かれる画は道釈人物、山水、花鳥、霊獣など、中国由来のものが多く見受けられます。宮本屋窯の作に描かれた画や意匠は、中国・明時代の万暦16(1588)年に刊行された墨のデザイン帳である画譜『方氏墨譜(ほうしぼくふ)』に基づいていることが判明しています。 また、画工の飯田屋八郎右
「九谷焼」とは、江戸時代の初め、現在の石川県加賀市山中温泉九谷町において初めて焼成され、時代と窯の移り変わりで作風を変えながら、今日まで続いてきました。その特色は何よりも独特な色絵装飾にあり、九谷焼に用いられる緑・黄・紫・紺青・赤の色彩は、「九谷五彩」と呼ばれています。 宮本屋窯は、183
「九谷赤絵」とは、九谷焼の様式の中で、赤と金の細密描写を特徴とします。その技法は、中国の宋赤絵を起源に江戸時代に日本に伝わったものです。江戸時代後期に現在の石川県加賀市に開窯した宮本屋窯(1832〈天保3〉~59〈安政6〉年)は、赤絵を大成したとされており、類まれな緻密な文様で埋め尽くされた器面は
樽前山は標高1041メートル。市街地の北西約20キロにあって、現在も活動を続ける活火山だ。1739年を最後に、これまでに4回の大噴火がある。周辺の地層からどれほどの規模の噴火だったか、噴出した軽石や火山灰などから知ることができる。その後噴火は規模を縮小しながら、19世紀以降でも70回以上記録されて
苫小牧で長年にわたり獣医師として活躍した猪狩一郎は「自動車が登場するまで、馬は重要な輸送手段であり動力源だった」と、証言している。開墾や物資、商品などの運搬、競走馬や軍馬としても活躍した。馬櫪神(ばれきじん)碑や馬頭観音碑は馬の守護神をまつる石碑で、現在市内に24基が確認されている。 苫小
苫小牧市宮前町にある錦岡樽前山神社には、江戸時代前期の僧の円空が造仏した権現像が奉納されている。大きさは高さ45センチ、幅26・5センチ、厚さ11センチ。オンコ(イチイ)の木でできており、背に「たろまゑ乃たけ」と刻まれている。 円空は美濃国(現在の岐阜県)の生まれ。1665年30代の頃に、
江戸時代後期、勇払地区は勇払会所を中心に幕府役人や商人、漁場労働者が集い栄えていた。社堂(やしろどう)と呼ばれる、神と仏を一緒にまつる建物が複数あった。勇払で最も古いとされる社堂は弁天社と考えられる。18世紀半ばに設立され、本州と蝦夷地を往来する商人が海上の安全や大漁、商売繁盛を祈願し、守護神とし
1878年、苫小牧の美々に約185平方メートルの鹿肉の缶詰製造所が完成した。初年度は年間7万6313缶を製造し、10~20人が働いていた。翌年には倉庫や従業員が休む小屋を建て、設備も増設した。 開拓使は北海道の振興のため、ビールやみそ、しょうゆ、紙、缶詰などの工場を全道各地に造った。美々の
勇払開拓史跡公園には、八王子千人同心など合わせて29人がまつられている。最も古い墓石は1800年のものだ。 同年、勇払会所が開いた翌年、千人同心は北方警備と開拓のため、蝦夷地(現在の北海道および周辺地域)に移住してきた。千人頭の原半左衛門を隊長に、その弟新介を副士に100人を伴い蝦夷地に入
タプコプ遺跡は、苫小牧市植苗の国道36号植苗橋交差点の西の丘に位置する。1940年に発刊された「苫小牧町史」でも紹介されている古い遺跡だ。本格的な発掘調査は、83年に国道工事に伴い行われた。縄文時代のものと思われる17カ所の住居や六つの墓、続縄文時代の漆塗りの弓、海外(大陸)から持ち込まれたガラス
苫小牧東部地域(苫東)の静川地区に広がる、火山灰が積もった大地に静川遺跡はある。1980年の石油備蓄施設建設に伴い発掘調査が行われ、その後東西二つのエリアに分かれた広大な遺跡が発見された。縄文時代の竪穴式住居跡や火をたいた跡など生活した跡が130基、土器装身具類など18万点が見つかっている。
丸木舟は1本の大きな木をくりぬいて作られる。アイヌ民族は海や川、湖を移動する交通手段として丸木舟を使い、荷物の運搬、人の移動、漁などを行った。 1966年7月、旧勇払川右岸(現沼ノ端)から丸木舟5隻とかい、さおなどが大量の火山灰の中から発見された。1667年、樽前山の大噴火によって火山灰に
オホーツク管内遠軽町生まれの吉田傑(すぐる)は、日常生活に欠かせない身近な素材である段ボールを用いて、等身大の生き物を制作しています。紙としての柔軟性や加工の容易さ、さらには親しみやすさといった段ボールの可能性を感じたのが創作に取り組むきっかけだったといいます。 生き物たちの姿形はもちろん
札幌在住の森迫暁夫は、自然や生命などから着想を得ながら、カラフルでかわいらしいキャラクターなど、親しみやすいイメージを作品として表現する美術家です。版画技法による平面作品をはじめ、粘土を焼成する陶芸作品なども手掛けています。森迫が多用するシルクスクリーンとは、その名の通り木枠に目地の細かいスクリー
苫小牧市樽前を拠点に活動する金属工芸家藤沢レオさん、札幌市在住のイラストレーター兼美術家森迫暁夫さん、オホーツク管内遠軽町出身の造形作家吉田傑さんによる企画展「ボン・ヴォヤージュ!―アートの森へ旅にでよう」が16日まで、苫小牧市美術博物館で開かれている。同館の細矢久人学芸員が、現代作家3人の作品に
鹿毛正三は、画作のみならず、随筆集『絵かきつれづれ』(1977年)、『随筆 北の風景』(83年)を出版するなど秀逸なエッセーの書き手でもありました。文筆家としてのセンスは、自身で名付けた二つのアトリエ、“薔薇絵亭”と“暮居時亭”の名称にも表れています
鹿毛正三は美術研修のため48歳だった1971年に3カ月間、50歳となった73年に2カ月間渡欧し、フランス・パリを中心に各地を巡っています。自然景観を描いた画家としてのイメージを持たれている方も多いかもしれませんが、”街景”の作品もまた見逃せません。かつては非具象(描く対象の
苫小牧市美術博物館は24日まで、企画展「鹿毛正三(かげしょうぞう)―アトリエ”薔薇絵亭(ばらえてい)”より―」を開催している。地域を代表する風景画家である鹿毛正三さんの生誕100年を記念し、アトリエに保管されていた油絵作品など81点を展示。担当学芸員が3回にわたり紹介する。
昭和30年代、電気洗濯機の普及と時を同じくして、手回し洗濯器「カモメホーム洗濯器」が群馬県の林製作所から発売された。 使用方法は、球体の洗濯槽部分に衣類を詰め(1回の洗濯でシャツ2枚程度)、洗剤と熱湯を注ぎ入れる。ふたを閉めて洗濯槽内部を密閉し、ハンドルを約20秒回転させると、内部に残った
苫小牧市美術博物館は28日まで、企画展「昔の道具~水と暮らし~」を開催している。電気洗濯機や五右衛門風呂など昭和時代を支えた94点を展示。同館の歴史担当の佐藤麻莉学芸員が2回にわたって解説する。 ◇ 昭和初期、洗濯は家事の中でも重労働であった。5人家族の洗濯物は、年間
本展では、新たな可能性に挑戦する近代の工芸作品も見どころです。近代の工芸家たちは、アール・ヌーボーなど海外の潮流に学ぶと共に、自然を観察し、これまでにない意匠が展開されています。特に大正や昭和時代には、それまで工芸を飾ることのなかった新しい花々が意匠に取り入れられることも特徴です。 板谷波
大正時代には、西洋美術を受容した芸術家たちが、改めて東洋の伝統的な価値観に目覚め、日本的な情感を作品に表現しようとする画家たちが現れます。 その代表的な画家であり、極めて特異な存在感を放つのが小杉放菴(1881~1964年)といえるでしょう。写実によらず、画家の心情や自然に身を委ねながら、
苫小牧市美術博物館は19日まで、特別展「出光美術館近代美術名品選―四季が彩る美の世界」を開いている。出光美術館(東京)収蔵作品を61点厳選し展示中で、担当学芸員が3回にわたって紹介する。 ◇ 美術博物館は、出光興産北海道製油所操業50周年と同博物館開館10周年を記念し、特
日本初の本格的な内陸掘り込み式人造港である苫小牧港(西港)は、北海道で産出した石炭を本州の工業地帯へと積み出す港として、1963(昭和38)年4月に開港した。同月24日には、室蘭港から回航した第三北星丸(3016トン)と東京港から直航した光輝丸(1998トン)の2隻が、港に整備された石炭岸壁に横付
苫小牧市美術博物館第3展示室で9月3日まで、特集展示「〈はちとま〉の海にまつわる自然と歴史」が開かれている。苫小牧港―八戸港(青森県)間のフェリー航路開設50年、苫小牧港開港60周年を記念し、自然史と歴史の2部門に分け、計約40点を展示している。それぞれの担当学芸員が展示物を紹介する。
縄文土器は字の通り縄目文様が付けられる。それ以外にも貝殻や木の棒、魚骨、爪などさまざまな素材を用いて多種多様な文様がある。文様は時代、地域ごとに変わり、土器の移動や文様の伝達から人々の交流を見ることができる。広域で共通した文様が使われることもあれば、狭い地域だけで見られる文様もある。 多く
青森県出身の成田亨(1929~2002)は、彫刻家と美術監督という二つの顔を持つ美術家であり、ウルトラシリーズの初期3部作のヒーローや怪獣、星人などのデザインを手掛けたことで知られている。「変形」や「合成」といった手法を用いながら意外性の高いフォルムを創出した成田のデザインは、動植物の図版をはじめ