時空を超えて とまこまいの文化財(10) 【史跡】馬櫪神碑および馬頭観音碑 功績と感謝を刻む

1923年、運送関係者により建てられた馬櫪神碑(苫小牧市緑ケ丘公園内)

 苫小牧で長年にわたり獣医師として活躍した猪狩一郎は「自動車が登場するまで、馬は重要な輸送手段であり動力源だった」と、証言している。開墾や物資、商品などの運搬、競走馬や軍馬としても活躍した。馬櫪神(ばれきじん)碑や馬頭観音碑は馬の守護神をまつる石碑で、現在市内に24基が確認されている。

   苫小牧と馬のつながりを探る上で興味深いのが、江戸時代後期に勇払に移住した八王子千人同心の原新介の存在だ。原は騎馬に優れた甲斐武田の家臣団の子孫。幕府の牧場である、有珠虻田牧の命により牧場開設に加わり、1807年育てた馬を将軍家に献上している。その頃、勇払会所は交通の要所に位置し、移動や輸送手段として馬が関わっていたと推測される。

   1910年王子製紙苫小牧工場が創業したことで、建設資材や木材運搬のため運搬業が活発になる。馬の生産も盛んになり、能力を競う競馬が現在の旭町付近で行われようになる。移動や搬送に使われた「馬種」による、持久力や速さを競う競走が盛んだった。現在の末広町にあった旧苫小牧工業高校付近では、1960年代前半まで、輓馬(ばんば)競走が行われた。

   功績に感謝し霊を弔う馬櫪神碑

   1934年の「苫小牧町案内図」の栄町周辺には、馬に関する職業の馬運業や獣医、蹄鉄職人、馬具店などが描かれている。多くの馬と関わる人々によって、馬の功績に感謝し霊を弔う馬櫪神碑や馬頭観音碑が建てられた。

   現在、緑ケ丘公園内にある馬櫪神碑は市内に現存する最古の石碑。当初現在の末広町に建てられたが、苫小牧港建設に伴い矢代町に移転。さらに道路建設のため緑ケ丘公園に移された。

  「開墾や街の発展は、馬の労働力なしでは成し得なかった」と、勇武津資料館学芸員の武田正哉さんは語る。今は私たちの前から姿を消した馬の存在だが、石碑は文化財的遺産として大きな役割を担う。

  (通信員 山田みえこ)

  【メモ】

   市内最古の馬櫪神碑

   所在地…苫小牧市緑ケ丘公園内

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