九谷赤絵の極致(中) 時代と窯で移り変わる作風

九谷赤絵の極致(中)
時代と窯で移り変わる作風
鶴図瓔珞文輪花形向付(つるずようらくもんりんかがたむこうづけ)=吉田屋窯から宮本屋窯、江戸時代(19世紀)、個人蔵

 「九谷焼」とは、江戸時代の初め、現在の石川県加賀市山中温泉九谷町において初めて焼成され、時代と窯の移り変わりで作風を変えながら、今日まで続いてきました。その特色は何よりも独特な色絵装飾にあり、九谷焼に用いられる緑・黄・紫・紺青・赤の色彩は、「九谷五彩」と呼ばれています。

   宮本屋窯は、1831(天保2)年、現在の石川県加賀市の山代温泉郊外で操業していた吉田屋窯の閉窯後、同じ場所で経営を引き継いだ宮本屋宇右衛門が天保3(1832)年に開窯したものです。

   九谷焼では、色彩的な特徴から、吉田屋窯が「青九谷」、宮本屋窯が「赤九谷」とも称されています。しかし、宮本屋窯の絵付に使用された絵具のバリエーションに着目すると、赤以外の九谷五彩も使われていることが分かります。また、吉田屋窯においても、宮本屋窯の赤絵を想起させる赤を主体としたものも見られ、吉田屋窯から宮本屋窯への移行期の作と考えられる細やかな装飾文様がみられるものも少なくありません。

   貴重な移行期の作品からは、諸窯が緩やかにつながりながら展開していった九谷焼の歴史の中に、宮本屋窯の技巧が息づくものであるということが分かるのです。

   (苫小牧市美術博物館 主任学芸員 立石絵梨子)

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