待ち遠しい札幌
- 2024年12月14日
うれしい仕事を頂いた。北海道に行ける! 来年1月札幌での講演会の依頼。20年前女芸人として「ちょっとどこ見てんのよ!」というギャグで一世風靡(ふうび)したわたしだ(自分で言ってみました)。現在の仕事はありがたいことに多岐にわたり、ドラマ舞台執筆、そして講演会のお話も時々頂く。 初めて講演の
うれしい仕事を頂いた。北海道に行ける! 来年1月札幌での講演会の依頼。20年前女芸人として「ちょっとどこ見てんのよ!」というギャグで一世風靡(ふうび)したわたしだ(自分で言ってみました)。現在の仕事はありがたいことに多岐にわたり、ドラマ舞台執筆、そして講演会のお話も時々頂く。 初めて講演の
前回は補助金を獲得してイベントなどを行ってきたことをお伝えしました。今回は活用した補助金の中で一番思い出に残っているものを報告したいと思います。 それは今年のことです。アルプス処理水の関係で日本の海産物が中国へ輸入されることが全面廃止となった時がありました。そこで、ホタテの漁業関係者に何か
多くの人が学生時代に経験したであろう「部活」が学校から切り離されようとしている。苫小牧市でも今年度から、国のガイドラインに基づく部活動の地域移行が始まった。目的は教職員の負担軽減のほか、専門性の高い指導を提供するためで、2028年までに完了させる計画だ。 市教委は今年度、陸上や水泳など個人
支笏湖の雄大で美しい湖面、周辺の山々などの大自然の中で、ひときわ目を引く朱色の鉄橋があります。「山線鉄橋」です。 この橋は道内に現存する現役最古の鋼橋でイギリスのパテントシャフト&アクスルトゥリー社が製造し、1899(明治32)年に空知川に架設されました。その後、支笏湖に移設され、王子軽便
元競走馬で、とまこまい観光大使を務めるホッコータルマエ(牡15歳)が1日、”お引っ越し”をした。2023年から2年間過ごした浦河町のイーストスタッドから、新冠町の優駿スタリオンステーションに移動した。種牡馬になった17年から2年ごとに二つの施設で供用されてきており、25年か
今年4月に入社した私は幼児教育分野や町内会活動の取材を担当しており、未就学児から高齢者まで幅広い年代の市民と触れ合う機会に恵まれた。 記者1年生として取材現場を訪れると皆、勉強不足を責めず、辛抱強く、丁寧に対応してくれた。時には手作りパンや手打ちそばをごちそうになるなど大変かわいがってもら
昨今、少子高齢化などの影響で人手不足が続いていますが、コロナ禍を経て採用現場は大きく変わりました。WEB(ウェブ)面接などのITツールの進化や採用代行サービスなどの新しい手法が活性化し、働き手側からするとやりたい仕事を探しやすい環境になってきていると感じます。 私の学生時代はまだインターネ
2013年9月、苫小牧市議会の定例会で、道内の自治体で初となる男女平等参画都市宣言が全会一致で可決された。正式な宣言日は同年11月17日。それから11年目の今年11月17日、市民団体の主催で同都市宣言の記念講演会が市民会館で開かれた。 市民団体を代表して13年当時、市議会議長を務めていた西
6月12日夜、苫小牧市三光町の道道沿い自転車用道路で、中学3年の男子生徒(15)が自転車で走行中、鉄製ごみステーションの突起部分に接触し、左脚を約15センチ切る大けがを負った。 この事故を同18日付本紙で報じると、市や道が動きだし、事故のあった場所を含め、自転車用道路を緊急点検。安全確保の
詩人で童話作家の宮沢賢治が来苫して100年の今年、市内では春から市民有志主催の講演会や読書会、作品展、コンサートなど多彩な記念イベントが繰り広げられた。約30年の新聞社勤務を振り返っても、こんなに取材で賢治の話題に触れる機会はなかった。 道産子の祖父母から賢治来苫の話を聞いた記憶はなく、初
2022年10月29日。新型コロナウイルスの猛威も完全に収束していない中、青年会議所の活動で人民と経済の熱気渦巻くベトナムのホーチミン市に私はいました。 私のミッションは日本が有する魅力あるコンテンツを海外に広め、インバウンド、アウトバウンドを加速させ、日本各地、特に地方地域経済を復活させ
苫小牧市消防本部予防室主査として、建物の消防設備の検査業務や火災予防啓発などに取り組んでいます。 4月に開設した消防本部公式のインスタグラムは啓発事業の推進が狙いで、予防室の仲間と運用しています。週1回の投稿を目標にし、これまで60本の動画を公開しました。避難器具の使い方の説明や隊員らの人
戦後も昭和30年を過ぎると世の中はどうにか落ち着き始め、多くの人々が人らしく、子どもたちが子どもらしく暮らせるようになってきた。だが、この中で、なお悲惨な目に遭っていたのは、人間の良き友であるはずの犬たちだった。各地で昭和20年代から毎年「野犬掃討」が実施され、同50年近くになってもそれは行われ、
天気の予測精度の計算方法はさまざまなものがあり、気象予報士試験の出題範囲にもなっています。試験ではひねった計算問題はあまり出ないため、試験で出た際は点の取りこぼしが無いようにしたい問題です。気象庁の予報精度に関してはホームページに掲載されており、毎月中ごろに前月分が更新され、それ以前の過去の成績も
外国人の日本語力は日本語能力試験の結果で示すことが多い。この試験では課題遂行のためのコミュニケーション能力を測るために、日本語の文字や語彙(ごい)、文法に関する知識を問う「言語知識」と、実際のコミュニケーションにおいてその言語知識をどのくらい使いこなせるかを問う「読解・聴解」がある。試験は、最もレ
かつての高校球児たちが、世代を超えたOB戦を阪神甲子園球場を舞台に繰り広げる「マスターズ甲子園」を、この地に根付かせる先駆的な役割を担った。自らが発起人となって立ち上げた道央支部は、今年で10周年を迎えた。 戦後の1950(昭和25)年に厚真村(現厚真町)で出生。地元の小中学校を経て進学し
日吉町町内会長として数年前から他の町内会と一緒に、市に沿岸地域への防潮堤建設を要望しています。防潮堤の整備は本来、国の管轄だと分かっていますが、市長が市民の思いを受け止め、国に訴えてもらうことで実現性が高まると考えています。 1月の能登半島地震など各地で災害、異常気象が相次いでおり、住民の
11月下旬、胆振の少し西側で森や川を友人と歩いた。普段から野生生物を一緒に観察する仲。友人が「林道にヒグマの痕跡があったが、野鳥の気配もありそう」と話すのにひかれ、案内してもらった。 遠くでカラたちが飛び交う姿が見えるほどに、林道を包み込む木々の葉は落ち、どこか寂しいが、「ヒグマ」という言
札幌のブライダル関連の専門学校に通い、ヘアメークなどを学んでます。苫小牧市内で勉強できる学校がなく、高校卒業後は市外に出る選択肢しかありませんでした。 週5日、1時間半かけて電車で通学していますがJR南千歳駅で乗り継ぎがあったり、終電が早く学校の友達と遊べなかったり、正直大変。苫小牧駅に着
染色家だった母がいつも「『都の赤』じゃあないと気に入らないのよ」と言っていた。たくさんの色の中でも、特にその赤い色を大切にして帯やバックなどを見事に染め上げ、完成させていた。もしかしたら本当の呼び名は違うのかもしれないが、母の愛が詰まった、母の生きた証しを表現する色として「都の赤」は私の中で生きて
2024年12月、白老に赴任して3回目の年末を迎えようとしている。来年4月でようやく丸3年なので、白老支局の駐在歴としてはまだ2年目の記者である。 取材先を往来していると、ありがたいことに、いろいろな人から「どこでも会うね。もう10年いるみたいな気がする」と言われたりする。それだけ顔と名前
私たちが運営しているフードバンクとまこまいには日々、物価の高騰に苦しむ市民からの相談が寄せられています。「ひとり親」からの相談も多く、食料を受け取った人からは「高くてお米を買うのも大変なので助かった」という声が聞かれます。 最低賃金が引き上げられていますが、生活が楽になっているという実感は
住民から買い物、通院の苦労話を多く耳にします。高齢化が進む中、これからも安心して暮らしていける環境づくりを要望します。 2019年2月に町内唯一のスーパーが閉店したことで、買い物難民が増加しました。有珠の沢地区は中心部から離れていますが、自家用車を持たない高齢者が少なくありません。大半の住
先週の事、「ぎゃぁん!」という猫の声で飛び起きた。ほかに2匹いる猫たちは私と共に寝ていたので、叫び声の主は、わが家の長老猫「シッポ」。保護猫なので正確な年齢は分からないが、15歳にはなる。 年の割には元気なシッポが、野太い声をあげながらパニックに陥っている。足を引きずるように見えたので、高
JR函館線踏切道路で貨物列車の脱線事故が起きた。詳細は調査結果を待つが、腐食したレールの破断が原因という。公開されたレールは解けかけた軒下のつららのような細さだ。旅客車がこの上を走っていたらと思うと、ぞっとする。 報道では2度の通常検査で超音波探傷器が異常を察知したが目視止まり。敷板を外し
少し肌寒くなり、夜が長くなる季節です。書斎のパソコンの画面には、クラウドサービスを使って共同編集しているプログラムコード(コンピューターに命令を与える文字列)の修正提案や共同研究者とのボイスチャット(インターネット上の音声通話)の内容が画面に並んでいます。 異なる分野が人工知能(AI)の発
買い物客が商品棚から買いたい物を籠に入れ、レジで精算するという買い物風景が定着したのは、昭和40年代ごろのことのようだ。「この新しいシステムはとても便利で楽しい」という主婦の感想が、昭和30年代の新聞に見られる。その後、「週に1度、車で郊外の大型スーパーに買い出しに行く」というのがはやり出した。移
北海道は相撲王国。子どもの時はそう聞かされていた。そのシンボルともいえる元横綱の北の富士さんが亡くなった。 北の富士さんは、オホーツク管内美幌町生まれ。留萌市の小学校を経て、中学の半ばからは旭川市へ。スポーツ万能で道内の多くの高校から勧誘があったそうだが、結局、中学卒業と同時に相撲部屋入り
前回まで、海の駅ぷらっとみなと市場の来店客を増やすために、SNSを活用したり、補助金を活用してさまざまなイベントを継続的に行ったりしてきたことをお伝えしました。 この市場も開業してから半世紀以上たちますので、組合員さんの脱退や新規加入など、入れ替えが目立っていました。時代の流れからか、次第
中国の江南地方を回って上海に戻ってきたところだ。四半世紀ぶりに訪れた周荘(ジョウジュアン)、西塘(シータン)、烏鎮(ウージェン)などは今や大都市といっていいほどで、すっかり様変わりしていた。特にホテルはとても快適になっている。 その昔、地方に行くと、どのホテルも何がサービスなのか、よくわか