買い物客が商品棚から買いたい物を籠に入れ、レジで精算するという買い物風景が定着したのは、昭和40年代ごろのことのようだ。「この新しいシステムはとても便利で楽しい」という主婦の感想が、昭和30年代の新聞に見られる。その後、「週に1度、車で郊外の大型スーパーに買い出しに行く」というのがはやり出した。移り変わる買い物風景。今回紹介するのは、それ以前、歩いて、あるいはせいぜい自転車で近所の商店に行っていた頃の買い物風景。
■市街地小売店調べ
スーパーもない、マイカーもない。買い物は、歩いてなじみの店主のいる近くのお店へ…というのが普通だった昭和30年代前半、市内にはどんな店がどのくらいあったのだろうか。苫小牧市立中央図書館に残っている同年代初頭の苫小牧市街地の地図の中から、食品を中心に小売店をできるだけ拾い上げてみた。
調べた範囲は浜町、幸町、本町、大町、錦町、栄町の範囲。当時の住宅密集地だ。するとどうだろう。とにかく小売店が多いことに気付いた。
目立つのはまず鮮魚店で14軒もある。当時、鮮魚店では野菜も一緒に売っていた。この時代、冷蔵庫は普及していないから、魚が欲しい、野菜が欲しいと思えば、食べようとするその日に買いに行く以外にない。同じような理由で豆腐を製造販売している店が6軒、精肉店が3軒。まあ、肉より魚の時代だったから精肉専門店は少ないが、それでも3軒あった。
他に一般食品を販売している店が10軒、魚・肉・野菜・その他複数の店が雑居している「市場」が4軒。「幸町市場」「新川市場」「一条市場」「中央市場」などの名は、記憶にある人もいるだろう。それがほぼ等距離で幸町から錦町の間に店開きしていた。
また、酒・米を扱う店が10軒もあった。重量物だから遠くに持って帰れない、配達するのも自転車だからあまり遠くへは行けない。だから、ある程度の密度は必要なのだ。
そんなあれこれで、食品関係の約40店(市場は1軒と数える)が、この浜町、幸町から錦町、栄町辺りの地域に店開きしていた。この他に菓子店などが少なからずある。
■スーパー、大型店の進出
昭和40年代後半以降、道外、市外から大型店やい大型スーパーがどんどん進出してきた。「安くて品数もそろっている。それに1カ所で買い物が済んでしまうから便利で楽しい」。
それはそれで良かったのだろうが、大型スーパーの進出で隣近所にあった小売商店がどんどんなくなり、近年になって、地域の小売店を払い落としてできたようなその大型店が「人口が減ったから」「採算がとれないから」と、閉店したり撤退したりする。それが経済の論理というものらしいが、「残されたものはどうするのか。豆腐一丁買うのも厄介な時代が、豊かな時代といえるのか」と、高齢者を中心に交通弱者から怨嗟(えんさ)の声が上がる。
■「サザエさん」の風景
さて、昭和30年代前半の買い物風景。夕方近くになると、多くの主婦が夕飯の材料を買いになじみの店へと出掛ける。この様子は、本シリーズ第14回中の「苫小牧駅による交通量調査」の中でデータとして示されている。若干重複するが、概要を紹介すると次の通りだ。
昭和31年10月、緑町と若草町を結ぶ緑町踏切で24時間の交通量を調べたところ、徒歩で通過する人(3267人)が自転車(3360台)に次いで多く、自動車(自家用車とトラックを合わせて697台)をはるかに上回っていた。そして、徒歩者の多くが「昼食を食べに家に帰る勤労者」と「夕飯の支度の買い物に行く主婦」だったというのだ。
この時代、共働きは少なく、専業主婦が多い。その主婦が、毎日のように近所の商店に買い物に行く。その途中に、あるいは訪れた商店で、近所の誰かと会っておしゃべりをし、あるいは店員さんと掛け合いをする姿は、故・長谷川町子さんの作品「サザエさん」(昭和21~49年)によく登場する。
地域に小売店が数多くあって住民の台所を支えていた時代、買物、あるいは商売の風景は、経済論理ではなく生活論理の中にあった。地域コミュニティーの中の重要な一部だったと言い換えてもよい。
さて、いま一度紙面中の写真を見ていただきたい。その中に感じる温かさや優しさを、今に生きる私たちは何に求めるとよいのか。
(一耕社・新沼友啓)
昭和30年代には、本紙面に掲載した写真のような風景が日常だったという。人々でにぎわう商店街へ繰り出して八百屋さんで野菜を買い、魚屋さんで魚を買う。酒屋さんに乾物屋さん。店員さんにお薦めや調理方法を聞いて、その日の夕飯メニューを決めることもあったとか。
当時は買った物を入れる袋の提供などはないので、必ず買い物籠を持って行く。昭和の中頃まで、商店は歩いて行ける距離にある身近な存在だった。
今、買い物の仕方は大きく変わった。食材を調達するにはスーパーへ行く。買い物へ行く時は車を使う。歩いていくのは近所のコンビニエンスストアぐらいだろうか。一つのお店で買い物ができるし、なんでもそろう。買い物籠はエコという観点から「エコバック」を持参する。それを盛んに宣伝するが、ビニール袋を買う人も多い。
インターネットも活用して、自宅や出先から注文して配達してもらうこともできる。「置き配」で配達さんの顔も見ない。買い物は簡単で便利になった。対面販売はほとんどなくなり、レジもセルフレジが多くなった。
とにかく、人とのつながりというのが少なくなったように思う。人とのつながりを、あまり求めない風潮にもなった。
本欄上の写真には白い作業着を着た母親と笑顔の子どもたちが写っている。母親の前掛の文字をよく見たら、豆腐屋さんらしい。忙しい商売の合間に、子どもたちを連れて買い物へ行くところだろう。今も、夕方のスーパーでは仕事帰り、保育園帰りの親子を見掛ける。いつの時代でもこういう光景はほほ笑ましい。
写真に写っている一条通へ行くと、通りは飲食店街に変わっていた。明るい時間帯は人通りが少ないが、夜になると人々がにぎわう街になるという。
(一耕社・斉藤彩加)