◇14 昭和31年 自転車 入学、進学祝いに飛ぶ売れ行き 一家に何台もある「サイクル都市」 風景今昔  磨いて注油し自分でメンテナンス 今は大事にしなくなった?

愛車に乗って勢ぞろいした子どもたち(昭和31年)

 昭和31年といえば、前年に始まった高度経済成長の波が地方にも寄せて来た頃で、苫小牧でテレビが売り出されたのがこの年。もう一つ、大人気だったのが子ども用自転車で、前年はさほどでもなかった売り上げが「ものすごいほどになった」という自転車店もあった。1店で80台ほども売り上げるのはざらで、入学祝い、進学祝いにもてはやされたと、当時の新聞は報じている。ちなみに価格は9000円から1万円ほどと高価。だから支払いは10カ月ほどの月賦が多かったらしく、景気が良いとはいえ、そこは庶民の財布だ。以下は同時代の自転車事情の中に見る苫小牧の風景。

   ■一家に1台の時代

   昭和31年当時、苫小牧の人たちは「自転車の街」とか「サイクル都市」といった言葉で自分たちの街を形容することがあった。「会社(王子製紙)勤めの通勤者が多い」「人口増加で街が拡大して移動距離が伸びた」「地形が平坦」などのことが自転車の普及の好条件となったようだ。

   それに、大正の昔から自転車に親しんできたという伝統もある。大正7、8年ごろから競馬場(旭町)のグラウンドを会場として、選手への報賞金を用意しての「自転車競走」が催されてにぎわい、町内ばかりでなく函館や奈井江からも出場者があり、選手たちは特別製の自転車を用意して速さを競ったという(田中へいみ著「聞き書きと私」)。

   そんな要素があって、昭和30年ごろには一家に1台ほどに自転車が普及していた。そして翌年、つまり同31年から急に子ども用自転車が増え始めたほか、その普及に伴って公民館主催の「自転車ハイキング」(現在の北大研究林まで、中学生以上対象)なども催され、自転車が「仕事」「通勤」だけでなくレクリエーションに使われるようになった。

   この年(昭和31年)、市営球場で東日本準硬式野球大会があった。それを見に、多くの人たちが自転車で詰め掛け、自転車預かり所もできて繁盛した。盗難防止に駆り出された警察官が暇に任せてその台数を数えたところ、1300台ほどもあったという。

   ■苫小牧駅による交通量調査

   この自転車の普及と、それによる街の様子、人々の生活をイメージさせる調査結果が残されている。昭和31年10月、当時の国鉄苫小牧駅が緑町踏切(現在の若草町と緑町を結んでいた踏切)で丸一日(24時間)の交通量を調べたもので、一番多かったのが自転車で3360台も通ったというから驚く。次いで歩行者が3267人。3番目が乗用車・トラックで697台。続いて馬車・リヤカーが366台。オートバイ・スクーターが324台だった。

   調査を実施した苫小牧駅は、この結果を次のように分析する。

   「自転車の大半は通勤者で、昨年(昭和30年)建設された緑町の公営住宅の入居者が多い。歩行者は昼食を食べに自宅に帰る通勤者が相当いるようで、他に緑町方面の主婦の買い物も多い」

   緑町の主婦が買い物に若草町側に行くというのは、緑町の新興住宅地に商店がまだ不足していたと推測できる。「トラックは風倒木処理(昭和29年の洞爺丸台風による樽前山麓林の風倒木の処理)によるもので、朝方に山に向かい、夕方に帰って来る。馬車・リヤカーは冬支度の石炭や(漬け物用の)大根を運んでいた。オートバイやスクーターはこのごろ増えてきたものだ」

   ■税金とルール

   自転車の保有台数が多くなるにつれ、苫小牧市役所は税金の未納者対策に頭を悩ませたようだ。というのもこの時代、「自転車荷車税」というのがあって、自転車や荷車の保有者には税金がかかった。自転車保有者は役所に届け出て税を払う必要があり、そうすると現在の自動車のナンバーに当たる「鑑札」が発行された。

   「新規購入したり譲渡、廃棄したりする場合は7日以内に市役所に届けてください」と市政だより(広報)などで繰り返し呼び掛けていることから、無届けはかなり多かったようで、自転車の大量普及の中で昭和33年に廃止された。

   自転車の増加で、交通事故も多くなった。バイクや自動車も増え、それが入り交じって道路の真ん中を走る。交通ルールが人々に浸透していないから事故が起こる。市や警察は盛んに「自転車に乗る際のルール」を宣伝し、事故防止に努めた。

   ともあれそんなあれこれが、何となくほんのりとしたいい時代を思わせる。

     (一耕社・新沼友啓)

   子どもたちが自転車にまたがっている本欄上の写真。昭和30年代に入ってようやく子どもたちにも自分用の自転車が当たり始めた時代。それまでは自転車という乗り物は大人が通勤や荷運びなどの仕事に使うものだった。写真をよく見ると、今は当たり前に付いている籠が無く、何だか寂しげだ。

   自転車に乗って右左折するときは片手をハンドルから離し、伸ばしたり曲げたりして方向を手信号で示さなければならないというルールは、この頃決まったらしい。でも、今の子どもたちに手信号というのは通用するのだろうか。むしろ「片手運転はだめ」と注意されそうだ。

   「昔」の子どもたちは、春に物置から引っ張り出したときや冬の初めにしまい込むときなど、自分の自転車を機械油でさびないように磨き上げ、大切にしていたと聞く。今の時代はどうだろう…。自分でするのはタイヤに空気を入れるぐらいか。

   苫小牧駅の駐輪場へ行くと「ママチャリ」からマウンテンバイクまでさまざまな自転車が並び、ちょうど学校終わりの高校生たちで混み合っていた。混雑の中でバラバラに置かれた自転車をきれいに整列している年配の人がいた。尋ねると午後3時から2時間ほど、駐輪場を管理しているのだという。ものを大切にする心が薄れた時代、街の中にあふれる自転車をこうして管理してくれる人がいることに感謝だ。

  (一耕社・斉藤彩加)

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