子どもがまだ小さい頃、家人の一日の締めくくりは、子どもが翌日に着る下着や服を一つの袋に入れて、子どもの枕元に置くことだった。それが防災対策でもあると分かったのはずいぶん後のこと。
内閣府と気象庁が16日正午、日高沖から三陸沖にかけて地震の規模を示すM(マグニチュード)7以上の地震が発生した際に1週間程度、大きな後発地震への備えを求める「北海道・三陸沖後発地震注意情報」の運用を始めた。胆振や日高など道内では63市町村が対象。東日本大震災の時に発生例はあるものの世界的には100回の大地震に対して後発地震は1回程度という。道によると大地震が起きた場合、道内の死者数は最大14万9千人に上ると推計される。
避難を求めるのではなく避難経路の確認や携帯電話の充電、すぐに逃げられる服装で就寝、防寒具をあらかじめ準備―などを呼び掛ける。行政の対応は手探り、浸透不足で住民混乱―など報道の見出しはいろいろ。
家人は函館で幼時を過ごし、青函連絡船などの転覆で1361人が死亡した1954年9月下旬の洞爺丸台風を体験していた。暴風に襲われて転覆し夜通し救助を求める悲鳴のような霧笛を聞いた記憶が残っている。避難を経験した親がすぐに実践したのが子どもの衣類とランドセルの用意。数十年後、子どもを育てるようになってもこの習慣は残った。防災の基本はきっと習慣。批評で終わるか一部でも取り入れるか。考える。(水)