目指すは優しく強い大人 苫小牧市拓勇西町 武田(たけだ) 有真(ゆうま)さん(13)
- 2024年3月18日
小学1年生の時、母と一緒に芦原会館苫小牧支部の稽古に参加して興味を持ち、空手を始めました。芦原は攻撃をさばいて、相手のバランスが崩れたところやタイミングで攻撃するので、うまくさばけた時は、空手の楽しさを感じます。 小学3年で、組み手の大会で上段回し蹴りの1本を取れた喜びは今でも覚えています
小学1年生の時、母と一緒に芦原会館苫小牧支部の稽古に参加して興味を持ち、空手を始めました。芦原は攻撃をさばいて、相手のバランスが崩れたところやタイミングで攻撃するので、うまくさばけた時は、空手の楽しさを感じます。 小学3年で、組み手の大会で上段回し蹴りの1本を取れた喜びは今でも覚えています
「最近、学校が怖い。行くのが辛(つら)い…」 突然、私の友人から発せられた一言。 私も、「学校に行きたくない」という思いが頭をよぎることがある。例えば、体調が悪いとき。先生に叱られた次の日。友達とちょっとしたケンカをしているとき。ルールを守っていない人に注意をして嫌な
鹿毛正三は美術研修のため48歳だった1971年に3カ月間、50歳となった73年に2カ月間渡欧し、フランス・パリを中心に各地を巡っています。自然景観を描いた画家としてのイメージを持たれている方も多いかもしれませんが、”街景”の作品もまた見逃せません。かつては非具象(描く対象の
2010年9月。苫小牧市内で開かれた第47回全道老人クラブ大会に市老人クラブ連合会(市老連)の副会長として携わった記憶は今も忘れられない。市の65歳以上の高齢化率は現在30%を超えるが、当時はまだ20%ほど。若いまちと評価されていた苫小牧に、全道各地から2日間で延べ2900人も集まる盛況ぶりだった
先代の故西川辰美氏は1985年、研究開発型企業を目指し、苫小牧発明研究会を立ち上げました。私はその時より、事務局員として携わっています。 当会は2015年に創立30周年を迎え、今に至っています。事業の一つに「発明&デザイン引力おこし」があり、12年はトヨタ自動車北海道の田中義克社長に「もの
私は将来、警察官になりたいです。私が考える警察官とは、大きな決断を迫られても即断し行動できるような人物です。でも今の自分は臆病で、警察官を目指すにはほど遠いと思っています。それは私には本音を引っ込めてしまうところがあるからです。 私には本音を言えない相手がいます。それは私の姉と弟です。私の
このたび、ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの展示ホールに、哺乳類の剥製が設置されました。これは2013年より苫小牧市美術博物館と当センターとの共催事業で始まった「サテライト展」の一環で、ウトナイ湖や勇払原野で見られる生き物について、同博物館で収蔵されている剥製を学芸員の方に選定、設置いただいています
函館市で生まれ育ち、地元の北海道教育大学函館校を卒業。白老竹浦中学校で国語科の教員として教職の道をスタートさせた。 大学では書道を専攻。「国語科教育を専攻した人には負けないぞ」という気持ちで授業研究に打ち込み、胆振管内の国語科の研究会にも所属。著名な講師を招くなどし、より良い指導を追究した
みなさんには親友と呼べる人がいますか。そして親友とはどのようなものだと思いますか。よく遊ぶ人、昔から仲が良い人など、人によって答えはそれぞれだと思います。私は、自分の素の姿が出せて、ありのままの自分をさらけ出すことができる人のことを指すと思います。 私には親友と呼べる人たちが何人かいます。
2019年の新春、私は絵描きchicaさんの才能と温かな作品に出合い、感銘を受けました。進行性の肺の難病と闘いながらも、愛にあふれるアートを創作する彼女の存在は、私たちの心に深く響いてきます。彼女のオンラインサロン参加をきっかけに、神奈川県や福岡県での個展に足を運ぶなど、熱烈なサポーターになりまし
小中学生時代、話が面白く、いつも笑顔で接してくれた先生に出会ったことがきっかけで同じ道を目指すことを決意した。 洞爺湖町出身。北海道教育大学旭川校卒業。これまで壮瞥町、伊達市、登別市、苫小牧市の小学校に勤めた。全校児童約50人の小規模校から約900人の大規模校まで経験し、両方の良さや課題を
あの日の出来事は、一生忘れないだろう。 夜の11時過ぎ、祖母が危ないとの連絡を受け、家族と病院へ急いだ。私はそんな連絡を受けたにもかかわらず、祖母がこんなにも早く亡くなるなんて、夢にも思っていなかった。 私の祖母は、昨年の12月ごろから病院に入院していた。コロナ禍の面会規制のため、
札幌市中央区の「チョコが売っていないチョコ専門店」というコンセプトの「Tony Bake(トニー・ベイク)」。バター香るチョコクロワッサンの店舗を名前通り100日間限定で、旭川や釧路に相次いで出店して注目度を高めており、胆振・日高管内では初の出店となった。10日から道道苫小牧環状線沿いで営業してい
最近、気温が上昇して雪解けが進み、冬の間は見られなかった水たまりが現れるようになった。先日、取材で小学校に朝一番で行った時のこと。「おはようございます!」と元気な声を掛けられ、振り向くと、まるで自衛隊のレンジャー部隊のように泥だらけの児童がいた。そう、車に水を掛けられたのだ。「命懸けの通学路」と言
教員だった父親の背中を見て、子どもと関わる仕事に憧れ、教師を目指した。 後志管内岩内町出身。北海道教育大学旭川校卒業。教員人生は苫小牧明徳小学校で始まり、苫小牧市内7校、安平町1校の小学校に勤めた。 教員時代はバレーボール少年団や陸上のクラブを率いて体を動かす喜びを伝えてきた。
「そういえば、なんで髪縛ってんの?」 そう聞かれたとき、私はパッと答えることができなかった。 「えっと…、なんでだろう。なんとなく?」 なんとなく髪を結ぶ「男子」なんていない。 「うち、性別とかよくわかんなくてさ」 スッと言うことができればよか
苫小牧市美術博物館は24日まで、企画展「鹿毛正三(かげしょうぞう)―アトリエ”薔薇絵亭(ばらえてい)”より―」を開催している。地域を代表する風景画家である鹿毛正三さんの生誕100年を記念し、アトリエに保管されていた油絵作品など81点を展示。担当学芸員が3回にわたり紹介する。
「早く勉強しなさい」「部屋の片づけをしなさい」そう言われたら、どう返す。「はい」と従うか、「嫌だ」「後でやる」と反抗するか。 僕は中学校に入学した当初から、何かきつい口調で言われたり、命令されたりすることが大嫌いだった。家では、まさに反抗期そのもの。学校では「そこら辺にいる、ごく普通の中学
苫小牧市は2024年度、市内在住の85歳以上で条件を満たした世帯を対象に、家庭ごみの戸別収集を実施する。「戸別収集85(エイティーファイブ)」と銘打ち、4月1日から申請を受け付ける。市は現在のモデル事業も継続し、いずれ全市拡大を目指す方針だ。一方、物価高騰などを背景に委託費が増える中、人手や収集車
民謡が好きな母の影響で、民謡は幼い頃から自分に身近な存在でした。 7年ほど前、山形県出身の民謡歌手朝倉さやさんの歌う「最上川舟唄」を聞き、母と一緒に民謡を聞いていた幼少期の思い出が一気によみがえってきました。同時に「自分も歌ってみたい」と強く思い、民謡教室に通い始めました。 練習は
「ありがとう」 そう言われるとみなさんは、どのような気持ちになりますか。おそらく嫌な気持ちになる人は少なく、良い気持ちになる人の方が多いと思います。 私は、「ありがとうの力」を実感する出来事がありました。 ある日のことです。私は、バスに乗っていました。バスの中は混んでいて、
景気が上昇を続けている。この時代のわが国経済のバブル期というのは一般に昭和60(1985)年12月以降、平成2年に株価が下落し、翌3年に土地価格が下落して破裂するまでの景気上昇期とされる。ただ、その景気が泡(バブル)のように中身の無いものであるか否かは、当時は分からない。ともあれ昭和63年、苫小牧
もうすぐ春がくる。もうすぐ楽しみにしていた旭川への旅。北海道出身の人を見つければ「旭川だとどこがおすすめです?」と聞き、隙間時間ができればネットで「旭川 温泉」「旭川 湖」「旭川 観光」などと調べ続けて1カ月。もはや行った気にすらなってきた。しかし、ふと気付いたのだ。車で遠出を、と思い富良野だ大雪
昨年の東京の夏は想像以上に暑く、私は体中が溶けそうになりながらアイス屋の列に並んでいました。私の後には中国人の観光客が数組いて、楽しそうな話し声が聞こえていました。その時、突如肩に石でも落ちたかのような重い何かが当たり、咄嗟(とっさ)に振り向くと、中国人の男性が肘を押さえてこちらを見ていました。相
新国際空手道連盟芦原会館苫小牧支部の立ち上げメンバーの1人として38年間、空手を続けてきた。「空手は生涯武道として他者と競うのではなく、自分を高めるもの。同じ練習場の中に強さを求める人、護身のために空手を習う人など、さまざまな目的を持った人たちがいるので、それぞれが上達していくような環境を今後も整
太陽の光の強さが日に日に増しています。辺り一面を覆う雪も太陽に照らされて徐々に消えていくのでしょう。真っ白な雪の世界に身を置けるのもあと少しです。 この時期の森の雪面は堅雪になっています。日中解けて、朝晩冷えて固まる―を繰り返すと雪面はしっかり固まります。スノーシューを装着し森の奥へ行くな
苫小牧市東開町にある東開文化交流サロン。おしゃれな内装に、さまざまな分野の本が並ぶ図書コーナー、かわいらしいキッズスペースに加えて、たくさんの人が集まることができるホールやキッチンスペースがある。中にはカフェもあり、ランチやコーヒーを楽しむことができる。施設は北海道福祉のまちづくり賞(公共的施設部
隣町の厚真町を拠点に約5年過ごした胆振東部支局から、本社の苫小牧に帰ってきた。慣れない担当業務に四苦八苦しながら、ここ数日を過ごしている。 特に初日は体も動かす羽目になった。忘れ物を取りに会社へ戻った後、12階建ての市役所へ。記憶があいまいなことから途中迷子になり、階段の上り下りを繰り返し
欧州方面に行く場合、フランスのシャルル・ド・ゴール空港や英国のヒースロー空港などへ、日本からの直通便が出ているものもありますが、それ以外の所については大きな空港を経由して乗り継ぎ便で向かうことになります。コロナ禍で各都市への直行便が減っておりましたが、昨年の夏から徐々に復活してきているようです。
3月になると、雪解け水と土が混ざり合って、どこからともなく土の匂いが漂ってくるようになりますが、その匂いを私は自分の中で勝手に「卒業式の匂い」と名付けています。通い慣れた学びやを後にする寂しい気持ちと、雪解けの水たまりが広がる道を進む中、ふと漂ってきた土の匂いが、私の頭の中で強く結び付いているのか