町の豊かさ 加藤(かとう) 千昇(ちしょう)
- 2023年6月15日
厚真町に来て、3度目の夏を迎えようとしている。地域おこし協力隊の求人を見つけたのが、ちょうど2年前の今頃だった。もともと東京で会社員として働いていた僕にとって、縁もゆかりもない北海道での新生活。今思うと不思議なくらい不安のようなものは一切なかった。新型コロナウイルス流行による2021年の緊急事態宣
厚真町に来て、3度目の夏を迎えようとしている。地域おこし協力隊の求人を見つけたのが、ちょうど2年前の今頃だった。もともと東京で会社員として働いていた僕にとって、縁もゆかりもない北海道での新生活。今思うと不思議なくらい不安のようなものは一切なかった。新型コロナウイルス流行による2021年の緊急事態宣
入社して半年と少し。ようやく手元に自転車が届いた。大学生の時に少し奮発して購入した、約6万円(だったと思う)の青のクロスバイク。長らく後輩に貸しっ放しで、ようやく返してもらえた。 せっかくの北海道での勤務だ。夏場に、涼しげな海沿いを疾走するのは最高のひとときだろう。まずは白老町まで行こうか
【低学年の部】 苫小牧市教育長賞 苫小牧若草小学校3年 能代 結衣さん
あなたに「あの人どうしてるかな?」と思う相手はいるだろうか。 ゆのみを書くことが決まり、初回の内容は何にしようかと考えながら過ごしていたある日。「ゆのみ、楽しみにしてるね」と、1本の電話を頂いた。相手の方は以前、看護師の有償ボランティアで伺った女性だった。お会いしたのは1年前だが、わざわざ
【低学年の部】 苫小牧市長賞 苫小牧大成小学校2年 三浦 梓花さん
―苫小牧港を取り巻く環境や課題について。 「60年前に世界初の掘り込み式港湾として開港し、道内最大の物流港にした先人たちに感謝しているが、やはり他の自然の良港とは違って、多くの市民にとって港が身近な存在ではない。苫小牧は立地に恵まれているので、他の港のように誘致活動など必死にならずとも発展
苫小牧市糸井のパークゴルフ場、糸井の森パークゴルフで働いています。今までパークゴルフをやったことはなかったのですが、ボールを打った時の音がとても爽快で、すっかり魅力に取りつかれました。この楽しさを同世代に広め、若い仲間をどんどん増やしていきたいです。 利用者さんは高齢者中心ですが、皆さんと
苫小牧歯科医師会(阿部雅人会長)主催の「歯と口の健康に関する図画・ポスターコンクール」は今年、市内外6小学校の児童103人が出品し、低学年と高学年の部で入賞者11人を決めた。入賞作品を紹介する。全11回。
年明け早々、新港(東港)に7億6000万円の初年度予算(国費)が付き、景気に弾みを付けた。2月には札幌五輪開催、苫小牧のハイランドはサブリンクだ。苫東開発の用地買収は最終段階を迎え、触発されて土地ブームが起こり、億のカネが飛び交った。港は、フェリー就航で工業港という無骨なイメージを一新し北海道の
「そうそう、さやかさん、いい温泉があるのよ」 10年ほど前のこと。子ども同士も仲良くさせていただいていたお隣の奥さんとの立ち話。わたしが温泉好きで、という話からの流れである。 「あのね、さやかさん、うちの家族みんな、そのお宿が大好きで」「そうなんですね」「お食事が、もうおいしくて」
誰もが最期まで自分らしく生きられる社会を追求し、30年以上が過ぎた。活動を始めた1990年代は、死について考えることをタブー視する人も多かった時代。それでも、尊厳のある死について一人ひとりが考え、個々の決定を支える地域づくりの必要性を信じ、ひたむきに歩み続けてきたことが、権利擁護に携わる現在に生か
初めまして。苫小牧工業高等専門学校の奥山由と申します。これから1年間、ゆのみの執筆を担当しますので、よろしくお願い致します。 読者の皆さまはご存じかと思いますが、高等専門学校は中学校卒業後に5年間かけて専門分野について学ぶ学校であり、苫小牧高専では五つの専門分野について学ぶことができます。
―苫小牧港を取り巻く環境や課題について。 「運送にかかる運賃の値上げが進まないことと人手不足の二つが課題。運賃は昔から同業の過当競争で安い状況が続く。人手の問題も、作業時間が長くてつらく、かつ給料が上がらない状況では、トラックドライバーや荷役をする港湾作業員、船員はなかなか集まらない。さら
支笏湖のヒメマス釣りが解禁されました。私は焼きが好きです。 ヒメマスが一般(和人)に知られたのは、江戸幕府がまとめた「東蝦夷物産誌」(1799年)に「カバルチェッポ」の魚名で記されたのが最初とされています。アイヌ語名については「カバルチェッポ」「カバチェッポ」「カバチェップ」の表記がありま
ダスキン(大阪)のフランチャイズ加盟、ノースアジャスト(帯広市、工藤貴樹社長)が1日付でリニューアルオープンした。開発ストアの「ダスキンレントオール苫小牧ステーション」(苫小牧市明野新町)の営業譲渡を受けたことに伴い、店名を変えて、苫小牧市一本松町に移転開業した。 「イベントセンター」の店
5月25日の定期総会で、15代目会長に就任。拓勇東町内会の会長を務めているが「コロナ禍で、町内会のニーズが不透明になってしまった」と危機感を示しつつ「若者が町内会に興味を持ってもらえるように活動していきたい」と意気込む。 地域イベントについては「子どもの輪に大人が参加することで盛り上がる」
強健流空手は、体のへその少し下にある「丹田」を中心とした動きを取り入れる。NPO法人として競技を通じた青少年の健全育成、社会貢献にも力を注ぐ。中学校教諭で空手歴30年の山田五郎代表(51)は「鍛練によって体と心を育てることができる」と話し、教育現場への働き掛けも視野に入れる。 幅広い年齢層
―苫小牧港を取り巻く環境や課題について。 「RORO船(フェリー型貨物船)近代化船の発着はほぼ西港で、今後もRORO船やフェリーの増便、荷物の増加を期待している」 「一方、コンテナ船の動向は新型コロナウイルス禍の影響からか変わった。北海道に外国からの船が直接入らなくなっており、(国
スポーツ部に配属されてはや1年がたった。子どもから大人まで、懸命に汗を流す姿にいつも胸を打たれる。勝利にこぼれる満面の笑みや、プレーに納得がいかず涙をのむ姿―。選手たちが輝くその瞬間を、少しでも紙面上で形に残すべく努めている。 十勝管内芽室町出身の記者は小学3年から6年間、紅一点で軟式野球
―苫小牧港開港から60年。現状や課題は。 「苫小牧港は当初、工業港として期待されていたが、現在は道内貨物の半分以上を扱う物流港としての側面が大きい。2020年には(横浜港を抜き)全国3位の貨物量を誇るまでに至っている。国や道の産業発展、市民の生活を支える港となっているが、大きな課題としてト
とましん結婚相談所をご存じでしょうか。 この取り組みを開始したのは、今から約10年前。少子高齢化・人口減少が大きな社会問題として取り上げられていた頃です。その要因の一つとして、結婚を考えてはいるものの「出会い」の機会に恵まれず、晩婚化・未婚化が進行していることが挙げられ、全国各地で出会いの
5月20日に開かれた総会で就任。苫小牧電気工事業協同組合の会員企業で、管理職や幹部候補の47歳以下のメンバー27人で、新体制のスタートを切った。 新型コロナウイルス禍で活動を制限してきたが、今年は電気工事業に関する体験行事などを企画。「地元の子どもたちとコミュニケーションを図りたい」と意気
―苫小牧港を取り巻く環境や課題について。 「苫東では医療機器工場(カネカ)、隣の千歳市は総投資額5兆円と言われるラピダスの半導体工場、米国のウイスキー工場と進出が相次いでいる。都市の壁を乗り越え、それぞれの港、空港という機能をどう高め合っていくか、検討や連携が求められる」 「苫小牧
日本野鳥の会のレンジャーで、4月から苫小牧市植苗のウトナイ湖サンクチュアリネイチャーセンターで働いています。大阪府出身で、苫小牧暮らしは初めてです。 岩手大学時代にエゾナキウサギの研究で北海道に調査活動に来ていて、帯広畜産大学大学院に進学しました。その後、東京の建設コンサルティング会社で3
私は大学時代、数多くのアルバイトをしました。親元を離れての寮生活でしたが、親からの仕送りを抑えていましたので、カロリーをお金に変えないと生活が回っていかなかったからです。 中高生向けの塾の講師のアルバイトは大学4年間続けましたが、それ以外に、団体旅行の添乗員、リゾートホテルのドアボーイや別
絵画の門をたたいたのは「家に絵を飾りたい」との思いからだった。「絵は『絵描き同士の勝負』」と夢中になった時期もあり、抽象画や風景画など幅広いジャンルで道内や全国を股にかけて展示会を行ってきた。絵を描き始めて50年がたった今も、毎年個展を開き制作活動に励んでいる。 太平洋戦争の終戦から2年が
白老町に移住し、早くも1年が過ぎました。白老の地域おこし協力隊に着任したのが昨年5月。今年1月より、大町にて「またたび文庫」という本屋を営んでいます。 沖縄県出身です、と自己紹介すると、「遠い所からよく来たねー!」とすぐに顔を覚えてもらえます。これは地の利、でしょうか。 これまで多
「おいしさや楽しさを家族、友人らと共有してもらいたい」と願いを込める向井幸生さん(32)。5月1日に市道駅前本通沿いで、フルーツサンドやピザなどの販売店を開業した。中心市街地活性化への思いも強く、「手土産にもぴったりな商品を用意した」とアピールする。 店名の「ヤム」は英語で「おいしい」を砕
私が「ゆのみ」のコラムを執筆するとは思ってもいませんでした。何を書こうかと悩んでいましたが、やはり初めてなので、西川良雄を少し知ってもらうことに致しました。 生まれたのは1951年、福井県から移住した開拓農家の次男として、豊浦町桜無番地で生を受けました。きょうだいは姉、兄、妹と私の4人です
青森市生まれの渡辺貞一(1917~81)は、48年の苫小牧での個展を皮切りに53年および62年に室蘭、64年には旭川で個展を開催。晩年に近い76年、77年、79年と立て続けに再び苫小牧で個展を開催するなど、北海道ないし当地にもゆかりのある画家といえる。 生来、病弱だったという渡辺は入退院を