監視
- 2020年1月13日
陸上自衛隊と米軍による日米共同訓練「ノーザンヴァイパー」が22日から2月8日まで道内で展開される。陸幕の広報資料によると過去最大規模で、注目は米海兵隊の輸送機MV22オスプレイの参加。沖縄の負担軽減を目的にした訓練移転は国内外で10回目、道内は2回目だが、道内では不思議とニュース価値が高まる傾向に
陸上自衛隊と米軍による日米共同訓練「ノーザンヴァイパー」が22日から2月8日まで道内で展開される。陸幕の広報資料によると過去最大規模で、注目は米海兵隊の輸送機MV22オスプレイの参加。沖縄の負担軽減を目的にした訓練移転は国内外で10回目、道内は2回目だが、道内では不思議とニュース価値が高まる傾向に
ダケカンバを間近で見たのは40年ほど前、日高山脈のペテカリ岳(1736メートル)の西尾根。残雪時期の登山会に裏方として参加、雪の上に大の字に倒れた当方を笑って見下ろしていた。 後志管内の羊蹄山や大雪山系の黒岳でも登山道近くに立派な木が生きている。オロフレ岳を目指す峠の駐車場付近では車内から
年が明けて苫小牧は雪の少ない天気が続く。太平洋岸式気候の典型。冬は降雪(雨)が少なく晴天が多い。穏やかなのはうれしいが深刻な雪不足は困る。気象においても極端は好まない。 衝撃的なニュースの一報が年明け早々に流れた。米国によるイラン司令官の殺害。米軍がイラクの空港付近で司令官の乗った車を空爆
「一年の計は金杯から」と例年、おみくじ的感覚で投票するファンも多いレースだ。2020年の中央競馬が開幕した5日に行われた重賞の中山金杯と京都金杯。共に出走馬にできるだけ平等に勝てるチャンスを与えるため実績などを考慮して斤量(負担重量)を調整するハンデ戦だが、実際は重いハンデを課された馬の方がよく走
晴れた日の日差しが強くなってきた。極端な少雪と寒さの冬。かと思えば、きょうは北日本に暴風と重い雪の予報。異常気象は、春を待つのも難しい。 山の子どもの春はイタヤカエデの樹液取りで明けた。萱野茂さんの「アイヌ歳時記 二風谷のくらしと心」(平凡社新書)で紹介されていて懐かしく思い出した。
空は青くきらきらしているのに、木々の間から夢のような雪片が降って来る。公園を歩いて初詣へ向かう途中。まるで風花みたいだ。遠くの雪雲から、風が運んで来たのかもしれない。 年末年始は帰省せず、札幌で過ごした。見たかった映画を何本か見に行った。どの作品も混み合っていたが、その1本は特に年齢層も幅
年明け早々に恐縮だが、本腰を入れて考えなければならない状況になった。人口減少に伴う税収減や老朽化が進むインフラ対応など私たちの日常に直結する社会問題の話だ。苫小牧市はカジノを含む統合型リゾート施設(IR)を起爆剤にしようと誘致を進めていたが、道が先送りを決定。市が国際リゾート構想に掲げたもう一つの
太陽が水平線を突き破って昇っていく様子を何度か撮影したことがある。燃えたぎった光の塊が、海面から平たい皿のように頭を出して徐々に丸くなり、やがて、ふわっと空に浮かぶ。 圧巻は、太陽が海を離れる瞬間だ。こけしの頭のような太陽と海とをつなぐ太い首が細くなり頭が離れて浮かび上がる。地球は誕生から
主に大人の女性を対象にした雑誌「ミセス」が、読者100人の声を集め、1988(昭和63)年の2月号で「”豊かさ”って何だろう」という特集を組んだことがある。1年後に平成が幕を開けるという頃のことだ。 経済学者の暉峻淑子さんが、89年の著書「豊かさとは何か」(岩波新書
先日、子どもの頃にもらった年賀状を20枚ほど実家で渡された。大掃除の途中、いろいろな場所からまとまりなく現れたようで、白かったはがきはどれも黄色くなっていた。 小学生になる前、年の近いいとこからもらったものには、やっと書いたと分かる「おめでとう」の文字。自分も懸命に書き、住所は親に書いて
隙間だらけの木造住宅で、重く冷たい綿布団をかぶりながら、寒さに対抗するためのまきや石炭、灯油ストーブなど暖房器具の変遷を経験して育った。 まきは穏やかに暖かかったが運搬や火の管理が大変だった。火力の強かったのは石炭。薄着で冷菓を食べる北海道の真冬のぜいたくは、石炭が残した習慣だろう。灯油は
晴れた夜空が広がった日は星々を見上げる。千歳の外気は氷点下10度前後。オリオン座が分かる。一等星のベテルギウスは「冬の大三角」の一角。さえざえとした宇宙空間で光り輝く。 今月中旬には空港着陸態勢の飛行機と円い月の見掛け高度が漆黒の空で重なる光景に見とれた。 「ムーンショット」という
朝起きるとまず、窓の外を見て道路の状態を確かめる。きょうもつるつる路面だ。通勤は徒歩。苫小牧の冬は初めてで、恐怖を覚える。昨年までいた札幌もやはり激しいつるつる路面だった。数十年ぶりに札幌で暮らし始めた4年前の冬、交差点で転んで手の骨を折った。東京やあちこちへの転勤で雪のない冬を過ごした期間も長か
「自分の運転技能に自信ありますか?」。テレビから聞こえてきた問い掛けに、ドキッとした。高齢者の交通事故防止を考える特集を見た時のことだ。 4月に東京で、6月には福岡市で乗用車の暴走事故があった。運転者は87歳と81歳の男性=年齢は事故当時=。東京では横断歩道の母と子、福岡では運転者と妻が死
氷雨に濡れる墓所へこうべを垂れる大学関係者の姿を、ここに納骨された人たちの霊はどんな思いで見詰めていたのだろう。墓所の中の1200体を超える遺骨は北大や東大、京大など全国の大学が研究目的で保管してきたアイヌ民族のものだ。白老町に整備した国の慰霊施設へ移送した各大学の代表者が今月14日、墓所での鎮魂
たびたび世相を反映する結果を生んできた中央競馬のグランプリ有馬記念。昨年もこの時期に「平成最後」ということもあって取り上げた。競馬ファンのさがと言おうか、きのうレース後の興奮冷めやらず、「令和最初」と言い訳しながら振り返る。 今年は牝馬が主役だった。レース前は国内外のG16勝馬アーモンドア
大人が話している不確かな情報を小耳に挟み、声を潜めて周囲に広める子どもがいた。差別は、そんなふうに次の世代に伝えられていったのだと思う。 人は平等。差別や陰口は良くないこと。理念は知っていたはずなのに、その理念と、現実の世界の大人たちの言動との食い違いを、どう処理すればいいのかが、子どもた
寂しい文章を避けたくて考えあぐねた。日本製紙勇払事業所が紙生産を終える。バイオマス発電の計画はあるが、多くの人が配置転換になる。コラム子には国策パルプ、山陽国策パルプの時代に勤めた身内がいる。地域が繁栄した時代を知っていれば書かずにはいられない思いもある。王子製紙と共に”紙のまち&rd
来年3月のJR北海道のダイヤ改正に伴う快速エアポートの大幅増発が話題となっているが札幌と小樽、岩見沢方面を結ぶ区間快速いしかりライナーの廃止、各駅停車化も沿線住民の関心事だ。いしかりライナーの一部が通過し、不便な思いをしてきた苗穂駅の利用者は大歓迎だろう。同駅周辺は再開発で輸送需要拡大が必至。車社
電話という機械にはずいぶんお世話になってきた。電話取材は手抜き取材―と先輩には厳しく叱られたものだが、連絡や確認などには欠かせない機械。 小学生の頃の、重たい黒い電話が付き合いの始まり。受話器を持ち上げて、本体右側の小さなハンドルをガリガリと回すと交換手さんの声が聞こえ、話したい相手の電話
師走の札幌は雪が積もったり、消えたりを繰り返している。ぐっと冷え込んだ日は大通公園の「ホワイトイルミネーション」も、さえざえと映る。気が付けば今年も残り2週間になった。 取材の合間に入った書店で、美しい絵が目に留まり、1冊の本を購入した。絵本作家・前田まゆみさんの「幸せの鍵が見つかる 世界
バタークリームのケーキと、シャンパン風の清涼飲料水がクリスマスイブの定番メニューだった。小さなテーブルには母親手作りの空揚げなどが並び、クリスマスソングを歌ったのはもう40年以上も前のこと。もらったプレゼントの中身は覚えていないが、きょうだいと一緒に布団の中でサンタクロースを待ちながら「トナカイの
今年も残り半月。氷点下10度以下の寒さの数日後には最高気温10度以上の暖かい日も。温度の乱高下は続くが暦だけはしっかりと進み、正月が近づく。 この季節になると、半世紀も前の帰省のことを、懐かしく思い出す。飛行機は、まだ裕福な人の乗り物。青函トンネルも新幹線もなく、首都圏と道央部の行き来に片
本紙の最終ページ。天気欄の【概況】を毎日、楽しみにしている。台風、暴風雪など気象の解説やイルミネーション、焼き芋、タイヤ交換といった季節の話題はもちろんのこと、交通安全、映画、相撲の徳俵の由来など”守備範囲”の広さに感心する。 11月28日には、ビートルズの元メンバ
今年を振り返って記憶に残る出来事に、10月の消費税増税がある。軽減税率が初めて導入され、店では複数税率対応のレジなどが必要になった。この話が報じられた際、店や店員は消費税の導入や増税のたび、店内表示価格や各種システムの作り替えに追われ、客には便乗値上げを疑われ、理不尽な思いをしてきたことも伝えられ
苫小牧市の西部が、この冬初めてふんわりと白い雪に覆われた休日の朝、雪遊びをする子どもの元気な声が聞こえた。歓声が心地良く、うれしくなる。 家人は、隣の町内から遊びに来た友人に驚かれたことがあるそうだ。「うちの方では、子どもの声なんてぜんぜん聞こえないよ」 新聞の中面の、下の方にあっ
今月初旬、振り替え休日を取得した日に支笏湖へ出掛けた。1羽のオオワシが飛んでいた。越冬のため本道に渡って来る最大の猛禽(もうきん)類は千歳でも雄々しく翼を広げている。 低気圧の影響で風は間断なく吹き、雪もちらついた。穏やかな日なら宿で朝食を終えた観光客が散歩している時間帯だったが、そうした
「レイアウトをして、絵をかいたり、線を工夫するのが難しかった」。編集後記にこう書いたのは洸大君。本紙主催の苫小牧地区小学校学級新聞コンクールで、苫小牧北星小6年2組の「銀河」が市教育長賞を受賞した。 良く取材している。運動会の競技種目として続いてきた一輪車レースが終わることになり、6年2組
「俺、子どもをたたいてしまった」。子育ての時期、酒の席で同世代の知人に打ち明けられたことがある。詳細はもう忘れたが、後悔は十分伝わった。 家庭でも学校でも体罰が珍しくない時代に育った。男親の多くは味方や部下にも残虐で理不尽な暴力を振るう「軍隊」の経験や記憶を引きずっていたと思う。せっかんだ
在任わずか8カ月で副町長の職を辞した。体調が優れなくなり、重責を担い続けるのは困難と考えた。責任感の強い人だからこその決断。今月3日、42年以上勤務した白老町役場を去った岡村幸男さん(62)だ。 苫小牧東高を卒業後、1977年に町役場に入庁。政策推進や産業経済、総務などの部門を歩き、地域の