怪談
- 2023年8月26日
中学生の頃、学校には軍隊経験のある先生が何人かいた。確か教頭を務めていたA先生もそうだった。担任や教科担当の先生が休みの日など、代講で教室に来ると生徒が喜んだ。特に夏は、軍隊で経験した怪談話などをしてくれる―と生徒の期待がいつもよりも高まった。先生の怖い話、悲しい話が始まると、教室は水を打ったよう
中学生の頃、学校には軍隊経験のある先生が何人かいた。確か教頭を務めていたA先生もそうだった。担任や教科担当の先生が休みの日など、代講で教室に来ると生徒が喜んだ。特に夏は、軍隊で経験した怪談話などをしてくれる―と生徒の期待がいつもよりも高まった。先生の怖い話、悲しい話が始まると、教室は水を打ったよう
東京電力福島第1原発の処理水の海洋放出が24日始まった。事故発生から12年半。東京五輪・パラリンピックの誘致に結論が出る2013年9月の国際オリンピック委員会で、当時の安倍晋三首相が汚染水は「アンダーコントロール」(制御されている)と宣言してから10年。地元漁業者の苦悩は変わらないどころか、深まっ
3月、北広島市に開業したプロ野球・北海道日本ハムの新球場、エスコンフィールド北海道の入場動員数が7月中旬に100万人を突破したという。千歳市への進出を発表した半導体製造のラピダス(東京)の操業準備も国や道の支援を得て進む。石狩南部の二つの自治体が誘致に成功した企業、施設の動向に近隣市町だけでなく全
日本の食料自給率が2022年度もカロリーベースで38%にとどまった(8日付本紙)。前年度から横ばい。政府は30年度「45%」を目標にした計画を立てているが、達成は見通せない。そもそも45%は10年度の目標として00年度の計画に盛った数字。達成できないから何度も延長している。しかも政府はこの間、市場
数年前に取材した東海地方での女子サッカーの全国高校総体。前半の途中で笛が鳴り、選手がベンチへ引き揚げてピッチが空になった。気温36度超の中、給水タイムだった。後半にも一度あり、初めての光景にちょっと驚いた。 猛暑が続く中、最近は給水タイムがよく見られるようになった。先日行われた苫小牧の少年
天気予報が軍事機密だったと教えられたのは静内町(当時)の支局に勤務していた時だ。以前にも、この欄に書いたことがある。サケの塩蔵の名人と言われたMさんが、東静内の浜辺で海を見ながら教えてくれた。もう40年も前のことだ。「漁師は戦時中、台風が近づいてうねりが出始めても、それがなぜか分からなかったんだ」
最近の小学生は―と言うと語弊があるかもしれないが、妻の友人の娘でうちによく遊びに来る小5女児は省略語をよく使う。ギョースー(業務スーパー)やヤマデン(ヤマダデンキ)など店名はいいが、ゲームキャラクターの略称なんかは一度聞いただけで理解するのは困難。早口でまくし立てられるとお手上げだ。 いつ
終戦から9カ月後に開かれた極東軍事裁判(東京裁判)。戦争指導者たちは何を主張したか。戦後最高のコラムニストと評された深代惇郎さんは「指導者の誰もが戦争を望まなかったが、戦争は天変地異のごとく起こったような錯覚さえ持たせる」と書く。戦後78年目の夏が行く。 2年前に90歳で逝った「歴史探偵」
13日の朝早く、居間の窓を思い切り開けてみた。体のしんまで染み込むような寒さを感じた。14日朝には寒さがもっと強くなった。温度計の数字はさほど変わらないのに朝夕の空気は、もう秋を含んで冷たい。間違いはない。しかし―。 天気予報の判断が難しい。地球温暖化や何万キロも東の太平洋の海面温度の上下
310万人。第2次世界大戦の犠牲者の数だ。うち、軍人・軍属が230万人、民間人は80万人にも達する。数字だけ並べても正直、実感が湧かないほどの膨大な死者。この中に苫小牧市の戦没者631人も含まれる。その遺族や戦禍を知る人は年ごとに減ってきている。戦争を知らない私たちは何を伝えていくべきか。重い課題
ロシアのウクライナ侵攻で始まった戦争は間もなく1年半になるが収束の気配はなく、むしろ戦火は拡大しているかに見える。ミサイルや無人機など最新兵器を使った暴力的な攻防だけでなく、印象操作など情報戦も激しい。真実は何かが分かりづらく、混迷の度を深める。 第2次世界大戦の終結から78年。日本は、広
盆の帰省は、きょうが往路のピークとか。テレビでは空港や高速道路の混雑を伝え、台風への警戒と、続く暑過ぎる夏への注意を今朝もセットで呼び掛けている。わが家も昔、夏と冬には200キロ強の道を家人の実家まで車で帰省していたものだ。まだ小さかった子どものことや若かった自分のことをふと思い出す。 盆
ひと昔前は妙齢になると、大抵は結婚して子供が生まれ、「○○さんのお母さん」とか「おばさん」と呼ばれた。今は未婚者や子供のいない既婚者がいて、安易に「おばさん」と呼ぶと相手を不快にさせることがある。 いつからか女性の集いを、参加者の年代を問わず女子会と呼ぶようになった。また、かつて女性雑誌が
発足当初は岩倉や王子製紙OBに指導を請い、生徒たちの練習環境確保に努めたという。苫小牧東や苫小牧工業が常に立ちはだかり、「勝てずに厳しかったですよ」―。駒大苫小牧高校の校長室を訪ね、松原正三さんにインタビューしたのは2001年冬。高校アイスホッケーの名伯楽から、退職の約1カ月ほど前に、思い出や興味
電話という機械は、半世紀ほど前までは回線を相手とつなぐ時に両手が必要だった。つながれば、あとは左手と左耳と口だけで用事を足すことができた。心も込めず口先だけで生返事をし、右手で落書きをしている人もいた。携帯電話の普及でも小型化、簡便化の傾向は変わらなかった。流れを変えたのはスマートフォン(スマホ)
8月の最終土曜日に開催される日本三大花火大会の一つ「大曲の花火」を見た。秋田県に住んでいた19年前。まだ合併前の大曲市だった。客席にも地響きが伝わる迫力と大輪の鮮やかさに、今まで見てきた花火は何だったのかと思うほど感動した。あの花火師の技を、苫小牧で再び見られるとは思ってもいなかった。 今
とまこまい港まつりが閉幕した。雨で一部のプログラムは中止したが、4年ぶりに市民おどりは復活し、花火大会も圧巻の内容だった。記者もメイン会場や花火会場に足を運び、昨年以上の盛り上がりを肌で感じた。マスク姿もかなり減った印象で、新型コロナウイルス感染拡大前の日常を、着実に取り戻している。 うれ
子どもたちが、たくさんの汗と、時には涙も流して取り組むスポーツ。わが家では次男が小学校からサッカーに挑戦した。ある大会で時間内に勝敗が決まらずPK戦にもつれ込んだ。Kちゃんの蹴ったボールがゴールを外れた瞬間、泣き崩れそうな表情のKちゃんのところにみんなが駆け寄って支えた。言葉は聞こえない。親は抱き
太平洋上の高気圧の張り出した気圧配置が続いている。記録的な猛暑だが、夏の風が海から届く苫小牧の気温は内陸部より低い。夏の涼しさと冬の少雪はこの地域の長所と思う。ただ南風が続くと漂着ごみが増える。大雨の後は根付きの木や生活ごみが河口周辺の海岸を埋め尽くすが、しけでもないのにごみが上がるのは浮遊物が風
36年前、母校へ教育実習へ行く機会があった。まだお世話になった教員が大半で、予想以上に歓迎された。そんな雰囲気に「何かおかしい?」。学校がバタバタしている。 後に知ったが、高校総体の2カ月前だった。バドミントンの会場で、母校からも選手が出場するので盛り上がりもすごかった。 実習が始
職場の床や机の後ろにパソコンや充電器のコード類がたまるようになって何年になるか。足に引っ掛けた、間違って抜いた―という事故の頻度は高まるばかりだ。胆振東部のある町役場の日曜日。清掃の女性の探求心と実行力に、感心したことがある。出勤していた職員の机上のワープロから室外に延びていたコードを抜いた。突然
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」。ロックバンドザ・ブルーハーツの代表曲の一つ、「リンダリンダ」の冒頭フレーズ。世代を問わず愛される曲だが、実際にドブネズミを見たことがある人はそれほど多くないのではないか。 幼稚園児の頃、友達と団地内を駆け回っていて、路上に横たわるドブネズミと遭遇した。
道端のアジサイが涼しさを誘ってくれる。ただ、あまりの暑さで少し元気がないようにも映る。札幌では最低気温が24度前後で推移する「熱帯夜」(25度以上)に近い状態が続き、眠りが浅い。そんな寝苦しい夜。豊平川の大きな花火大会を見に行った。観客で埋まった河川敷では涼風も吹いた。真夏の暑い夏が行く。
朝早く、カラスの鳴き声が聞こえる。カーカーと元気な声ではなくコロコロ、ゴロゴロと甘えるようにのどを鳴らしているのはきっと子ガラス。親に巣立ちへの不安でも相談しているのだろうか。 30年ほど前、越してきて初めての苫小牧の初夏。ハスカップの植えられた住宅街の空き地で子育て中のカミナリシギが夜遅
せきが少し出る。喉に違和感がある。鼻づまりも少々ある。多分、夏風邪だろう。そんな軽い気持ちでいた。ちょうど祝日でかかり付け医は休診。苫小牧市の夜間・休日急病センターを訪れた。玄関先のインターホンで症状を伝える。車で待機して、窓越しに新型コロナウイルスの検査を受ける。 まあ大丈夫だろう。そん
夏の暑さはこれからだというのに、苫小牧市内では早くもトンボが空を舞うようになった。自然界では、もう秋を迎える準備が始まっているのかもしれない。 本州各地では最高気温が35度以上となる猛暑日が続いている。その暑さを数年前に東京で体験したが、5分ほど歩いただけで汗だく。JR駅にあった冷風吹き出
自分の老後を詳細に、厳密に想像したことのある人はどれくらいいるだろう。自分はせいぜい60歳前後のことを大ざっぱに想像したことがあるだけ。死の年齢も死因も、治療や闘病も具体的に想像したことがない。実の父母と義理の父母の4人を送ったが3人目の孫と入れ替わるように50代で急死した義母の死は別として、申し
白老町にあるアイヌ文化の復興・創造の拠点、民族共生象徴空間(ウポポイ)が先ごろ開業3周年を迎えた。年間入場者数は、国が目標数を100万人としたこともあって折々に発表されてきた。 入場者が増えるほど、この文化への理解は広がる。その意味でウポポイが果たす役割に終わりはなく、各種体験プログラムや
1990年代に日本アイスホッケーリーグ・プレーオフ取材のため、東京の高田馬場駅から西武新宿線に乗って試合会場のアリーナがある東伏見駅に向かった。昼下がりですいていた車内に当時の国土計画監督、若林仁さんがいるのが分かった。ライバル王子製紙との大勝負前、日系カナダ人監督が英字の本一冊を手に一人静かに読
視力の低下が進む。新聞を読むときやテレビを見るときに眼鏡が必需品になってから、30年以上になる。20歳を過ぎても視力2・0を誇っていたのがうそのようだ。近くの物には焦点が合わず、遠くの物はぼやけたまま。眼鏡を新調してもほんの数年でまた見えにくくなってしまう。目に良くないのは分かっていても液晶画面の