苫小牧市高齢者福祉センター長 松本(まつもと) 誠(まこと)さん(65)
- 2022年5月13日
4月1日付で、苫小牧市高齢者福祉センターのセンター長に就任。「高齢者の目線に立って、利用者が明るく健やかに安心して過ごせる施設にすることが大命題」と語る。 各種講座や教室は昨年に続き、5月から新型コロナウイルスの感染防止対策を徹底させながら実施。「少しずつ日常を取り戻したい」と意気込む。
4月1日付で、苫小牧市高齢者福祉センターのセンター長に就任。「高齢者の目線に立って、利用者が明るく健やかに安心して過ごせる施設にすることが大命題」と語る。 各種講座や教室は昨年に続き、5月から新型コロナウイルスの感染防止対策を徹底させながら実施。「少しずつ日常を取り戻したい」と意気込む。
地球温暖化や気候変動をもたらすとして、二酸化炭素やフロン、メタンなどの温室効果ガスの削減が求められています。そんな中、環境省は過日、国内の温室効果ガス排出量が7年連続で減少したと発表しました。全国各地で再生可能エネルギーの導入が進んできているのを感じます。 ここ千歳市も今年2月に「ゼロカー
氷都苫小牧で屈指の歴史と伝統を誇る苫小牧工業高校アイスホッケー部に4月、1年生8人が入部した。一時は試合に必要な6人にも満たないほど部員数が減少し、存続の危機に立たされていた。「伝統あるチームでプレーがしたい」と志高く同部の門をたたいた新入生を迎え入れ、部内は活気を帯びている。堀内駿主将(3年)は
20年間苫小牧市内の学校で一般教諭と教頭を務め、4月に校長として歩み始めた。「教員として育ててもらった苫小牧で校長職ができてうれしい」とほほ笑む。 夕張市で生まれ、むかわ町や白老町で育った。北海道教育大学釧路校卒。前任は苫小牧拓勇小学校の教頭。子どもたちが笑顔で学校生活を送れることを第一に
「一枚の絵、一輪の花が心を和ませ、ワンフレーズのメロディーが勇気を与えてくれ、17の文字が人生を彩ってくれる」 苫小牧市文化団体協議会の林廣志新会長が就任あいさつで述べた言葉だ。美術や音楽といった文化活動がいかに人の生活と密接に関わっているか。その思いが伝わってきた。 新型コロナウ
苫小牧西小学校の児童たちは「人懐っこく、素直でちょっとシャイ」と印象を語る。「校長室の敷居を取り払って、できるだけ子どもたちと接する機会をつくりたい」と意気込む。 札幌市生まれ、苫小牧市育ちで北海道教育大学函館校卒。前任はむかわ町鵡川中央小学校の校長で、校長職を務めるのは2校目となる。思い
29日午前10時から苫小牧市表町のまちなか交流センター・ココトマで行うフードバンク事業にボランティアで関わります。会場に来た青年や学生、ひとり親家庭の人などに、無料で食料品や日用品を配ります。 自分も19歳の娘がおり、同じ年代の若者に何かできれば、とすでに数回、手伝いました。感謝され、手応
白老で見られるアイヌの衣服の歴史において、明治時代以前から続く家系で受け継がれてきた衣服が、いつ頃から白老という地域単位で受け継がれるようになったのでしょうか。諸説ありますが、観光の拠点を現在のポロト湖畔に移し、舞踊や博物館展示のために衣服が製作されるようになった昭和40年代ごろと言えそうです。
民法で定められた成人年齢が初めて引き下げられ、18、19歳でも契約が可能になったことは自立の道を開くことにつながり、前向きに捉えられる。ただ18、19歳の人たちが望んで成人になるわけではなく、引き下げによって不利益が生じることは避けなければならない。 選挙権をより広く与える発想に異論はない
苫小牧市植苗のウトナイ湖野生鳥獣保護センター。2階のギャラリースペースに、勇払原野の動植物を丁寧に描いた点描画がずらりと並ぶ。29日までを期間とした新作展。木の板に描いた下書きにはんだごてで焦げ目を付け、輪郭や陰影を表現する。「勇払原野にたくさんいる動植物に興味を持つきっかけになれば」。そんな思い
1968年夏の甲子園を沸かせた興南の主将だった我喜屋優選手は卒業後、大昭和製紙(静岡県富士市)に入社して社会人野球の世界に入った。数年後、大昭和北海道(白老町)へ。沖縄で生まれ育ち、縁あって北海道が生活の拠点となった。その間、故郷は本土に復帰。自身は都市対抗大会で優勝し、後に監督を務めた。2006
4月の定期総会で成人年齢の18歳への引き下げを取り上げ、会員に対し若者の生活トラブルを防ぐ活動に一層力を入れていく必要性を訴えた。高校生でも悪質な勧誘を受け、だまされるリスクが高まると数年前からたびたび情報発信し、若い人たちに十分気を配るよう呼び掛けてきた。 協会は消費者トラブルを防ぐため
沖縄県の高校野球史に、選手としても監督としても輝かしいページを記した。興南の野球部監督で以前は白老町で暮らしていた我喜屋優さん(71)。米軍統治下に置かれていた1968年、夏の甲子園で我喜屋主将の興南は旋風を巻き起こした。沖縄勢初の2勝、さらに勝ち進み準決勝進出。大会後、船で沖縄に戻ると盛大に迎え
暖かな陽気で眠くなる新緑の季節となりました。春はウトナイ湖の野鳥たちが子育てを始める季節でもあります。そんなウトナイ湖の観察路に鮮やかな紅色の姿で現れるのが「ベニマシコ」です。観察路でよく見られる場所は、胸ほどの高さの低い木が密生する、林とヨシ原の中間の環境です。「ピッポ、ピッポ」という鳴き声が特
私の一票なんて―と思っている人もいると思うけれど、市議選などはそんな一票が当落を左右する。その人の一票で政治が変わるかもしれない。 2年前から苫小牧市選挙管理委員会事務局で書記を務めている。選挙の啓発活動が主な業務で、高校生らの出前講座を担当している。 出前講座は2015年6月に「
錦岡連合町内会から分離する形で、1998年4月に設立された。 高齢化などの影響で、なかなか思うように活動できないが、限られた役員で知恵を絞り、今後も町内会を維持していく方針だ。 2018年に母子2人が死亡する事故が発生したこともあり、交通安全への関心が高い地区でもある。 登
4月1日付で苫小牧本社から白老支局へ異動になった。赴任して1カ月たったが、事情があって4月の最終週から支局に入ったので本格的な支局生活はこれからだ。 持ってきた400枚の名刺は、すぐに無くなった。追加の300枚も半分が無くなろうとしている。記者1人だけの支局勤務は初めてだが、7年前は地域に
将来を見据え、まずは貯蓄の習慣を身に付けること。欲しいものがあってローンを組むときは、収入に見合った返済計画を立ててほしい。 2009年から小中学校や老人クラブなどを対象にした「金融教室」を手掛けてきた。現在は研修部アドバイザーとして、主に職員の研修業務に携わっている。 苫小牧信用
信念を持ち、社会に参画することこそが「大人」―。 町内会役員や民生委員児童委員、男女平等参画に取り組む市民団体のメンバー、住民有志の見守り組織「おせっかいおじさん・おばさんの家」の発起人…。さまざまな立場でより良い地域の在り方を考え、実践し、発信し続けてきた経験から、そう確信
函館税関苫小牧コンテナ検査センターで貨物の輸出入申告審査や薬物の混入がないか検査する通関業務に従事しています。申告外物品などを発見した際にやりがいと責任の重さを感じています。今年は税関発足150周年で、11日には取り締まり強化期間もスタートします。市民生活に安心安全を届けるため、身を引き締めて励み
白老地方では、儀礼等の特別なときに、ルウンペと呼ばれる木綿の衣服が着用されていました。ルウンペは、複数の布を縫い合わせて製作され、木綿の古裂(ふるぎれ=古い布の端切れ)を細く切ったものが縫い付けられ、その上に刺しゅうが施されています。 北海道南西部に位置する白老町は、町内に複数のコタン(集
解氷されたスケートリンク上に1基の照明がともる。「わあ、きれい」―。水面(みなも)にくっきりと出現した施設内の反転映像に、来場者から感嘆の声が上がった。 白鳥王子アイスアリーナ=苫小牧市若草町2=で15日、「水鏡見学会」が開かれた。新型コロナウイルスの影響で3年ぶりの実施となった人気イベント。
苫小牧市若草町の若草団地に入居するほぼすべての世帯が加入している。 定期的にふれあいサロンを開き、参加する会員同士の交流を絶やさず続けてきた。カラオケなどのサークル活動でも親睦を深めている。 特殊詐欺事件が市内でも発生しているのを受け、高齢者向けの詐欺被害の対策講座や終活セミナーも
苫小牧市植苗の観光庭園「イコロの森」が21日、今季の営業を再開した。事前取材で数日前に同園へ伺い、驚いた。毎年、冬期の休園中に苗を育てている大型ビニールハウスが、大雪の影響でほぼ全壊していたからだ。その状況は、18日付の本紙で紹介した。 2月に倒壊したが、雪解けが進んだ4月上旬からハウス内
苫小牧市のICT推進室に勤務しています。18日に開設したマイナンバーカードセンターでの窓口対応が主な仕事です。4月に危機管理室から異動したばかりなので、まず仕事に慣れることが目標です。 マイナンバー制度は、行政の効率化などを図るシステムです。不安などから申請をためらう人がいるかもしれません
「おはよう。昨日はいい試合だったね」「まさかあそこでホームランとはね」 まるで高校の野球部の会話のようだが、これは私がいま勤務する職場の朝の一こまだ。もちろん、話題になっているのは北海道日本ハムファイターズのこと。 長く東京の立教大学で教授を務めていた私は、この4月からむかわ町国民
国立アイヌ民族博物館では、アイヌ文化の地域性に注目した展覧会を定期的に企画することを計画しており、現在、第1回としてテーマ展示「地域からみたアイヌ文化展 白老の衣服文化」を開催しています。 19世紀ごろまで、アイヌ民族は、北海道、樺太、千島、東北北部などに住んできました。現在多くのアイヌ民
1998(平成10)年、平取町から苫小牧市桜木町へ移住して24年たつ。海や森など自然に恵まれ、人口も多い街だけど、観光の目玉になるような場所が少ないと感じる。スポーツの関連施設は充実しているものの、子どもたちが楽しめる遊園地のような施設があれば、「もっと人が集まる街になるのではないか」と苫小牧への
今回は鵡川神社の三上剛宮司にお薦めスポットとして紹介を受けた、鵡川稲作の発祥の地とされる場所に建つ石碑を見に行ってきました。米作りの盛んなむかわ町ですが、生涯学習センター報徳館(旧二宮小学校)近くにある、知る人ぞ知る場所だそうです。 石碑に刻まれている碑文には、「明治二十六(1893)年、
4月1日付で着任。「いかにして労働者が安心して働ける職場をつくってもらうか。行政の役割を果たしたい」と抱負を語る。 東京の大学を卒業後、1994年、当時の労働省(現・厚生労働省)に入庁した。栃木県や神奈川県の労働基準監督署などを経て、前任は北見労基署の署長。苫小牧労基署は、11年に監督課長