子どものための 選定図書 〔小学校低学年向け〕 (2) 「せんそうがやってきた日」 作・ニコラ・デイビス 絵・レベッカ・コッブ 訳・長友恵子
- 2022年8月6日
今もまだウクライナとロシアの間では、戦争が続いています。ニュースなどを見て、「もし、日本でも戦争が起こったらどうなるの?」と、不安に思う子もいるのではないでしょうか。 戦争によって国を追われた難民の半分以上は子供だそうです。家族や学校生活を奪われた上に、避難した国で受け入れてもらえなかった
今もまだウクライナとロシアの間では、戦争が続いています。ニュースなどを見て、「もし、日本でも戦争が起こったらどうなるの?」と、不安に思う子もいるのではないでしょうか。 戦争によって国を追われた難民の半分以上は子供だそうです。家族や学校生活を奪われた上に、避難した国で受け入れてもらえなかった
皆さんは、「根室」というまちを知っていますか。タンチョウヅルが子育てをする風蓮湖、朝焼けに銀色に光るサンマ、海から揚げた昆布を干す人たち…。北海道の東の端にあり、皆さんが住んでいる苫小牧市と同じく、海に面しているまちです。 この「ねむろんろん」という本は、根室でよく取れている
苫小牧署管内でも有数の人口密集地域を管轄する。小学校5、中学校3校が点在し、登下校時間帯に子どもの安全を見守る活動が欠かせない。 通学する児童生徒が横断する機会が多い道道苫小牧環状線は昼夜問わず交通量が多い。大きな交差点もあり、子どもが巻き込まれる事故の防止は大きな使命だ。JR糸井駅では、
さまざまな情報が飛び交うコロナ禍。インターネット上では新型コロナウイルスに関するゴシップ(うわさ話)やデマが目立つ。ちまたに流れる間違った情報に、振り回される人も多いのではないか。 「感染したことを責められて自殺した人がいるらしい」。そんな情報がネットに流れたこともあったが、「~らしい」と
苫小牧ジャズクラブのギタリストです。苫小牧南高校でジャズオーケストラ部に入部し、ジャズと出合いました。その時の雰囲気などに合わせて即興で演奏できるのが魅力。定期的な演奏活動を続け、研究にも打ち込んでいます。 9月にはジャズ界の重鎮の生演奏が楽しめるコンサートが市内で予定されています。この機
苫小牧市内の最西部にある交番。閑静な住宅街が広がり、少子高齢化が進む西部の中でも錦岡小学校や凌雲中学校があり、子どもも多い地域だ。 子どもを交通事故や犯罪から守るため通学路の安全を重視し、パトカーの赤色灯を点灯させて巡回する「見せる警戒」活動に注力する。吉野武志巡査部長は「不審者事案が多い
新型コロナウイルスの影響が長引く中、屋外でグルメを楽しむキッチンカーイベントが盛んになってきた。普段あまり口にしない珍しい料理も売られ、人と人との接触を減らしながら外で食べたり、テークアウトできたりする。 地元の官民連携組織が苫小牧港キラキラ公園を会場に2~17日の土・日限定で企画した「キ
駒大苫小牧高校野球部の主将として、夏の甲子園出場を懸けた南北海道大会に出場しました。初戦負けでしたが、仲間や指導者と共に歩んできた3年間に間違いはなかったと思っています。苫小牧市出身の父が同部のOBだった縁で東京から進学。幾つになっても駒大苫でプレーした誇りを持ち続けていきたいです。後輩には、彼ら
私が勤務していた東京の診療所では、「患者さんから贈答品をもらうのは原則禁止」となっていた。今はほとんどの医療機関がそうだろう。中には、「どうしても先生に受け取ってほしくて」と患者さんが置いていったお菓子や小物もすべて送り返す、というところさえある。「ちょっと徹底し過ぎでは」とも思うが、それが今のル
「お客さんから感謝されるというのは、とてもうれしいことですよ」 長年にわたり苫小牧市柏木町で生花店を営み、地域に親しまれてきたこれまでを振り返り、愛される店づくりへの決意を新たにした。 1944年2月、5人きょうだいの長男として、幌泉村(現えりも町)の漁師の家に生まれた。夏になると
先日、むかわ町の穂別キャンプ場に行ってきました。国道274号線沿いにあるため見つけやすく、札幌圏からのアクセスもばっちり。現地では大自然がお出迎えしてくれ、サヌシュベ川でたくさんの子どもたちが川遊びをしたり、釣りをしたりしていて楽しそうでした。 施設はバンガロー、ツリーハウス、オートサイト
プロの物書きである以上、文章表現にはとても気をつけている。 仕事柄人種や民族といった出自の違う人々としょっちゅう出会っている。違う人種との間に生まれた人のことを”混血”と呼ぶのはマスコミ的に完全なタブーとなっている。 一方で、「あの人は日本とアメリカのハーフ
「氷上の甲子園」と呼ばれる第17回全国高校選抜アイスホッケー大会が8月2日に苫小牧市で開幕する。昨年の大会では、新型コロナウイルスの大規模クラスター(感染者集団)が発生、150人もの陽性者を出す結果となった。国立感染症研究所からは感染拡大の主な要因の一つとして「リンク施設内の換気不足」が指摘された
合併前の旧鵡川町全域が管轄。シシャモの名産地として知られるむかわ町の治安維持に努めている。 2カ月に1回、交番と地域の町内会による合同パトロールを実施している。町は2000日以上の死亡事故ゼロの記録をつくったことがあり、交通安全の意識は高い。渡部陸男警部補は「事件事故が無い安全な町を目指し
暑さが苦手な体質だ。年齢のせいなのか、その傾向が年々顕著になっている。つい先日も屋外での取材後に具合が悪くなり、2、3日回復しなかった。この夏は、どうやら猛暑になるらしい。首を冷やすためのアイテムを買い集めたが、夏本番が不安で仕方がない。 辛さに拍車を掛けているのが、コロナ下でのマスク生活
苫小牧市植苗の「道の駅ウトナイ湖」内のすし店、海鮮パークを2014年から経営しています。リピーターが来てくれることがうれしいです。朝のラジオ番組に、たまに「苫小牧のカニおやじ」のラジオネームで、「霧が濃い」「道路が(凍って)テカテカだ」など、その日の苫小牧の情報を投稿しています。コロナで減った客足
学校教員として34年にわたり子どもたちに情熱を注いできた。校長も務め、教育に全力で当たった人生を振り返り、「生徒たちとの思い出を今でも大切にしている」と語る。 1947年10月、様似村(現様似町)で生まれ、両親が営む旅館を生活の場に少年時代を過ごした。「とにかく遊ぶことが好きで、勉強はほと
▽全員で息を合わせる 夏本番を迎えた今月7日、むかわ町の宮戸小学校体育館では児童たちの力強い和太鼓の音が鳴り響いていた。 「ドーン」「ドンドン」「カッカッ」「カカッ」―。 全校児童が集まって行う今年度最初の練習だった。和太鼓に触れるのは、昨年秋の学習発表会以来。当時の感覚を
2020年に発足したわが家の小さな環境グループ「地球お守りチーム」も早いもので3年目を迎え、海岸を中心に毎月、ごみ拾いをしています。当初は家族だけで活動することが多かったのですが、ありがたいことに、一緒に活動したいという友人たちも声を掛けてくれるようになり、今では数家族で活動する機会も増えました。
▽全力を出し切る 「やる気はあるか?」「覚悟はあるか?」「最高の運動会にしよう!」 6月11日、むかわ町宮戸小学校のグラウンドで子どもたちが気合の雄たけびを上げていた。それに大人たちが右手を上げて応戦する。「おー!」 朝方の強雨の影響が残るグラウンド。運動会は予定より30分
日本のプロ・オーケストラ界は、かつて東京・大阪が中心だった。これはプロスポーツ界も同様だ。北海道の人たちは、「北海道日本ハムファイターズ」や「コンサドーレ札幌」を心からサポートしている。今や間違いなく「おらがチーム」である。オーケストラも似ている、と僕はつねづね思っている。 俯瞰(ふかん)
▽田んぼに子どもらの声 「冷たい」「転びそう!」 6月上旬、むかわ町宮戸小学校から歩いて5分ほどの場所にある田んぼで、子どもらの歓声が響いていた。 行ってみると、同校の全校児童が田植え体験をしていた。今春の入学生はいなかったので、田んぼの中にいたのは2~6年生10人。はだし
住宅街と繁華街が密接する地域の治安維持を図る。苫小牧緑小学校と和光中学校があり、通学する児童生徒の安全を守るため、巡回を徹底して事故や犯罪の抑止に努めている。片岡宮里巡査は「登下校時間帯のパトロールでは、不審者がいないか重点的に見ている」と話す。 札幌市出身の片岡巡査は2021年4月に警察
10日に投開票された参院選の期間中、米イェール大学の助教授成田悠輔さんの著書「22世紀の民主主義」を読み、政治について考えさせられた。 著作では「若者が選挙に行き、政治参加したくらいでは何も変わらない」と断言。30歳未満の若者は「超超マイノリティー(少数者)」で、60~70代と同等の投票率
日本オーケストラ連盟と石川県音楽文化振興事業団は24日、「オーケストラ・アンサンブル金沢」苫小牧公演を苫小牧市民会館大ホールで開催する(苫小牧民報社共催)。同オーケストラの魅力について、専門家2人の解説を紹介する。 ◇ どんなジャンルの音楽でも、出演者と演奏曲目がコンサー
4月から苫小牧市植苗のウトナイ湖サンクチュアリ・ネイチャーセンターで、日本野鳥の会のレンジャーとして働いています。希少鳥類保護が担当で主にシマフクロウの調査、研究、保護活動をしています。 出身は苫小牧市。ウトナイ湖には小学生の頃によく来て、何でも知っているレンジャーに憧れていました。当時の
日中戦争が始まった1937(昭和12)年、岩手県花泉町(現一関市)で7人きょうだいの末っ子として生まれた。8歳になったばかりの夏に終戦を迎えるが、戦時下の記憶はあまりない。ただ、10歳離れた兄の趣味の一眼レフカメラにいつも憧れのまなざしを送っていたことは、今も忘れない。 中学卒業後、手に職
釧路アイスホッケー連盟は今年、創立50年の節目を迎える。1972年9月に釧路スケート連盟から分離独立。初年度は小学生から一般の計26チーム632人の登録だったが、十條製紙の日本リーグ加盟(74年)などを経て、82年は小学年代だけで20チームを数えるまでになった。 2001年度は小学生494
「海の日」の18日に、むかわ町大原の法城寺でまちおこしイベント「HOJO(ほうじょう)フェス」を町の後援も受けて開催する運びになりました。町民有志と共につくる「むかわ町防災連携委員会」の代表を務めさせていただくことになり、「神社仏閣」を軸にした地域活性化をずっと願ってきた私の願いがようやく形になろ
苫小牧、帯広に追い付き追い越せ―。並々ならぬ対抗心が釧路を強くさせてきた。先陣を切ったのは1960年開校の私立釧路第一高。当時、苫小牧工業高や帯広三条高などが優勝争いを繰り広げていた全国高校総体スピードスケートの男子総合で、65~70年に6連覇。女子も71年に総合優勝した。 「絶対に負けな