長い旅
- 2023年9月30日
40年ほど前、平取町二風谷の萱野茂さん宅をしばしば訪ねて、アイヌのことやシャモ(和人)のことを教えていただいた。子どもの頃に見たという和人の学者のアイヌ研究の様子も何度か聞いた。 数人でやって来た学者らが、集まったおばあちゃんたちの「研究」をしたそうだ。いろりの周りに座るおばあちゃんたちの
40年ほど前、平取町二風谷の萱野茂さん宅をしばしば訪ねて、アイヌのことやシャモ(和人)のことを教えていただいた。子どもの頃に見たという和人の学者のアイヌ研究の様子も何度か聞いた。 数人でやって来た学者らが、集まったおばあちゃんたちの「研究」をしたそうだ。いろりの周りに座るおばあちゃんたちの
JR苫小牧駅とぷらっとみなと市場を巡回する電気自動車の自動運転バスに乗ってみた。事前に設定したルートを、ハンドルを操作することなく時速20キロでゆっくり走行する。定員は11人。運転手はいないが、その時は監視や操作のためのオペレーターが2人乗車していて、残り9席は満席。シートベルトを締め、立ったまま
ペットを飼っている人であれば、共通認識だと思っていた。「ペットは家族の一員」。いろんなところでよく聞く言葉で、記者はずっとそう感じていた。しかし、ペットとの接し方は、当然ながら人それぞれ。「しょせんは動物」「ペットはペット」などの声も聞く。人間と動物の区別が、必要と考える人は多い。 かくい
札幌市の円山動物園で8月に生まれたアジアゾウ・パールの子(雌)が人気を集め、来園者が増えているそうだ。テレビで見ても、しわくちゃの優しい目と小さな体で、大木のような太いパールの脚に絡まるように歩き回り、乳を求める姿が頬ずりをしたくなるほどかわいい。 弱い動物の子は「この生命を守らなければ」
福島第1原発のALPS(多核種除去設備)処理水の放出が始まって1カ月がたった。東京電力などが海域への影響を数値で示すモニタリングのサイトを設けている。数値のほかに処理水のトリチウムが「これまでも国内外の原子力施設で放出」「海洋放出に伴う人への影響は極めて小さい」などさまざまな情報を提供している。経
小学生の時は今のような少年団ではなく、学校単位で野球部があった。大会も学校対抗で行われていた。対象は5、6年生。当時はスポーツの選択肢が少なかったこともあって大半が野球部に。部員数は50人を超えた。 5年生になって初めての練習日、希望ポジションには5人くらいずつ集まった。5年生は全員打撃練
ふるさとに似合う季節は? 晴れた秋分の日、そんなことを考えながら布団を出た。小川も森もすべてが暖かい春、カラッと暑い夏、ブルっと震え上がる秋、息を吸うと鼻の穴がピタッと凍り付く冬―。今朝の最低気温は何度になったのだろう。日中の暑さへのぐちを忘れたように暖房のことを考えたりする根性なしの自分にあきれ
父「取りあえずきょう病院行っていろいろとやったら…アレ何て言うんだ」 長男「え?」 父「半月板(手術)だとか部分的にやっても良くならんと思うから○%×$☆#▲の方がいいよってことで(中略)そういうような中身で話をしてきたのさ」 江別市の70代の母が
日が短くなった。きのうから彼岸入り。気が付けば、空を見上げると雲の形が変わっている。札幌のビル街に吹く風も随分涼しくなった。猛暑だった夏がようやく過ぎ去り、一気に秋がやって来た。 そんな季節。海の向こうで激闘が続く。ラグビーの世界一を決めるワールドカップ(W杯)。4年前に世界を驚かせたジェ
製薬大手エーザイと米バイオジェンが共同開発した認知症・アルツハイマー病の新しい治療薬「レカネマブ(商品名レケンビ)」が厚労省の製造販売承認を得られる見通しとなった。認知症の原因物質を除去する、初めての治療薬の誕生が近い。先月の新聞報道の大きさを見ればこの薬の完成を待ち続けた患者や家族、医療関係者の
デジタルと聞くと思わず尻込みをしてしまう。昭和に生まれ、電話はダイヤルを回し、文章を書くのは紙とペン。写真を撮るのも一枚、一枚カメラのフィルムを巻いてシャッターを押す。そんなアナログを駆使して育ってきた世代にデジタル社会は戸惑いの連続だ。 そもそも「デジタル」とは。辞書をひもとくと、ラテン
「一雨一度」の言葉通り朝晩の空気はひんやりし、秋の深まりを肌で感じるようになった。昼夜の寒暖差が大きい日もあり、体調管理には十分気を付けたい。 厚生労働省の発表によると、国内の100歳以上の高齢者は9万2139人、うち道内は4634人(15日現在)で、共に過去最多という。最高齢者は大阪府の
世の中には何年も、時には何十年も会ったことのない、顔も忘れたおじさんやおばさんなどの続き柄の親類がいるものだ。何かのきっかけで親兄弟と疎遠になり、音信が途絶えた人たち。東京など大都市の中高層住宅には今、こうした人たちの残した「遺品部屋」が増えているという。独り暮らしで亡くなり、相続人はいない。遺品
大きな自然災害が多い日本。被害を受けたまちには、大切な人を突然亡くした人が多い。悲しみに暮れてもあすを迎えるのは、生きていれば、自分の中の大切な人も生き続けるからだろうか。 あの時に怒った、笑顔になった、悲しい目をした…。自分だけが知っている大切な人が、自分の中にいる。だから
本紙連載「郷土の戦後昭和史―苫小牧市制施行75周年企画」は今週、「昭和53年」を特集した。1978年。国内ニュースではキャンディーズが解散し、「勝手にシンドバット」が大ヒット。当地では樽前山小噴火、イトーヨーカドー苫小牧店開店など、この地で育って出くわした事物と重なる記憶がよみがえった。
親の世代の女性から、子育て中につらかったこととして聞かされたのは「子どもに対する夫の暴力」だ。軍隊に召集され、理不尽な暴力を経験して帰郷した元兵士が多かったのだろう。げんこつや平手打ちだけでなく、皮ベルトでなぐる父親もいたようだ。「普段はそういう人じゃないのに。怒ると止まらなくて。覆いかぶさって子
「オフサイドや!」。スタンド前方に陣取った地元の子どもたちの声で、なぜプレーが止まったのかがようやく分かる。約40年前の近鉄(現東大阪市)花園ラグビー場。当時勤めていた新聞社で高校ラグビーの取材を命じられた。支局のある県予選から始まり全国大会の花園にも行ったが、それまでラグビーの試合を見たことは一
全国各地で空き家が増加傾向だ。国や都道府県、市町村が有効活用を探るなど対策に力を入れているが、住宅総数に占める空き家の割合は1割超。記者も近所で増える「売り家」の貼り紙やのぼりに深刻さを実感していたが、ついに自宅の隣も、向かいも、空き家になった。 かくいう自身も両親から相続した実家を何年も
「学校へ行かなくちゃ。でも行きたくない」。雨がっぱに着替えてから玄関でぐずる娘。出勤する父親は、かっぱを引きちぎって「好きにしろ!」。聞こえてきた母の声に救われる。「行かなくていいんだよ」。知人の60年以上も前の経験を聞くたびに思う。「学校って何だ?」 自分は小学生の頃、風邪一つ引かず、学
サンマは「秋刀魚」と書く。字から素直に姿を連想できる点ではシシャモの「柳葉魚」も思い出す。「秋刀魚」は、昭和の映画監督の巨匠が戦後の庶民の家庭を丁寧に描いた作品名に当てた。作中、当の魚を食べる場面はないが、大衆の食卓を支えた魚の代表なのは確かだ。 先日、サンマの初物を食べた。道東の沖合では
夏の甲子園が終わると、北海道は秋の気配が近づく。例年、甲子園の余韻が残る8月下旬から9月にかけて室蘭支部の秋季高校野球は組み合わせ抽選がある。今月上旬に開幕となるが、今年は3週間ほど遅いという。 遅くなった背景には、8月中旬まで戦う甲子園出場チームへの配慮が考えられるほか、今年から秋の全道
2018年9月の胆振東部地震から、きょうで5年。5年前の6日未明、午前3時7分に始まった揺れを覚えている。後ろから体当たりされたような揺れで目が覚め、本箱の戸が開き、本や資料を吐き出し始めた。日の出までまだ2時間ぐらいか。ラジオを探し出し、階下に降りた家人と震源や震度をどなり合った。 過去
小3年の時、友人間で誕生会を開くのがはやっていた。比較的仲の良い級友に声を掛けて行うホームパーティー。15人ぐらいは呼んでいた。ほとんどが親も知っている同じ国鉄団地の子どもたち。今考えると、3LDKの社宅によくあれだけ人を収容できたなと思う。両親の寝室を含む全部屋が、音楽フェスの会場のような使われ
秋の訪れを初めて感じさせるような涼風を「秋の初風(はつかぜ)」と呼ぶそうだ。戦後最も暑かった今夏。36度超えの猛暑日を含む熱帯夜が続いた札幌も、朝晩はようやくそんな風が吹き始めた。暦も変わって、初秋を迎えている。 ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの歌を思い出している。彼のアルバムを最
東京電力福島第1原発の、放射性物質トリチウムを含む処理水の放出が始まって1週間が過ぎた。一帯の水質や魚類の汚染度に目立った変化はなく、廃炉作業本格化への転換点としては順調な滑り出しに見える。しかし中国の放出への反発は厳しく、大量の迷惑電話が内外の公共施設にかかってきたり、中国の日本人学校に石や卵が
2018年9月6日。本社編集局は早朝から右往左往していた。停電でパソコンが動かない。新聞を印刷する輪転機も止まったままだ。新聞を発行できるのか。そんな不安の中でも「発行しない」という選択肢は思い浮かばなかった。 社所有の車両から一時的な電源を確保し、災害協定を結んでいる新聞社の力を借りて何
最近、空を見上げることが少なくなった。30年ほど前に富良野岳麓の旅館の庭から見た星空をいまだに忘れない。まさに宝石箱をひっくり返したように輝く「満天の星」。同じような星空をその後、観望する機会もなく過ごしてきた。 30日夜から31日未明は今年最大の「スーパームーン」が出現。苫小牧市西部地区
日本人の人数は前年に比べ80万523人減の1億2242万3038人となった。減少数は1968年の調査開始以降で最大だった。死亡数は156万5125人で、これも過去最多。総務省が先頃発表した、今年1月1日現在の住民基本台帳に基づく人口動態調査の結果だ。 多死社会という、見慣れない言葉が以前の
あと1週間ほどで胆振東部地震の発生から5年になる。厚真町で観測された最大震度7の揺れは、44人が亡くなり(災害関連死を含む)停電が道内のほぼ全域に及ぶほどのすさまじさだった。 大きな自然災害が起きるたび、私たちは被災経験を無駄にすまいと、それ以上の災害を想定して不測の事態に備える。しかし、
スケート名人が突如現れた。その数年ほど前から滑走する人たちの姿が苫小牧で散見されてはいたものの、ある男性のスケーティングはとりわけ先駆的だった。〈速さ、バックで滑る格好のよさ、また身も軽く、ジャンプあるいはグルグルと弧を描く華麗な滑走ぶり〉が見物人たちを驚かせ、楽しませた。「50年のあゆみ 苫小牧