友人のアパート 押部(おしべ) 直樹(なおき)

友人のアパート
押部(おしべ) 直樹(なおき)

 若い頃は車をいじるのとサーキットを走るのが大好きでした。当時は車関係の仲間が神戸市に多くいました。

   1995年1月のこと。14日の夜から神戸市に住む友人のアパートに泊めてもらい、15日と16日は2日続けて一緒にサーキットに行き、16日の夜遅くに戻ってきました。友人は「きょうも泊まっていけば」と言ってくれたのですが、翌日は仕事だったので帰ることにしました。

   姫路市の自宅に帰り、眠りに就いたのは17日の午前3時でした。そして目覚ましが鳴っていないのに目が覚めました。時計を見ると午前5時40分です。何で目が覚めたのだろうと考えていると、遠くからゴーッという音が聞こえてきます。トラックが走っているのかと思っていたらカタカタと揺れだしました。そしてとんでもなく大きく長く揺れました。

   阪神淡路大震災です。

   両親の無事を確認し、神戸市に住む親戚と友人に電話するも、つながりません。2日後、食料をいっぱい持って親戚の家に行き、無事を確認しました。友人はアパートが崩れて連絡が取れなかったのですが、共通の知り合いから、無事でいて、以前から戻りたいと話していた千葉県の会社に戻ったと聞きました。

   半年後、連絡先が分からないので、千葉県の会社に行ってみました。友人は車の競技に出場しに茨城県に行っていると教えていただいたので、茨城県の会場に行くと、友人を見つけることができました。声を掛けるとすごく驚かれ、その夜は久しぶりに友人のアパートで、朝まで語り明かしました。

  (苫小牧市のぞみコミュニティセンター館長)