知り合いに、いつも怒っているみたいな顔をしているおばあさんがいる。「がん」闘病中の仲間に対して「おい、そこのがん患者!」と呼んでみたり、ふくよかな女性にはお構いなく「朝青龍」とか「栃ノ心」とか力士のニックネームを付けて、いじったりしている。
コミュニケーションのキャッチボールどころか、相手の顔面に至近距離で豪速球をバッチーン!と当てていくスタイル。そばにいる人は、さながら鼻血ブーである。
でもそのおばあさんは人と集まるのが好きなようだ。集まりには必ず一番乗り。どんと上座に陣取っては「あんた!若いんだからみんなにお茶を入れてやんな!」と若手にあごで指示。そこで、次の集まりの日、いつも通り一番乗りのおばあさんに「皆さんに、お茶を入れてもらえませんか?」と尋ねてみた。すると「お茶なんか誰もいらないよ! みんな飲みたきゃ自分でやるわ! 子どもじゃあるまいし」と眉間にしわを寄せている。…なかなかに難しい。
ある日、留学生を自宅に受け入れた時の話を楽しそうにしている姿を見た。自分が「日本の母」だ、と。この人は理想の自分像と、口から出る言葉の差が激しいだけかもしれない。そう思った。本当は何を伝えたいのだろう? 何に笑うのだろう?
周囲からは何度も「そんなやつほっとけ」と言われている。でも結局、ほっとけない。というか、興味や好奇心の方が勝っている。だって私も理想の自分像と今の自分に差がある、いわば、生きづらい仲間だもの。
(NPO法人木と風の香り代表・苫小牧)