2 自主防災組織 災害への備え次代に、「訓練、小規模でも定期的に」
- 2021年3月12日
苫小牧市内の自主防災組織(以下自主防)は、全国各地の大規模自然災害を教訓に構築、強化が進められてきた。1995年の阪神淡路大震災を契機に誕生し、2004年の新潟県中越地震など事有るごとに、地域住民が防災意識を高めてきた。11年3月の東日本大震災の影響はとりわけ顕著で、この10年間で地域の防災力は向
苫小牧市内の自主防災組織(以下自主防)は、全国各地の大規模自然災害を教訓に構築、強化が進められてきた。1995年の阪神淡路大震災を契機に誕生し、2004年の新潟県中越地震など事有るごとに、地域住民が防災意識を高めてきた。11年3月の東日本大震災の影響はとりわけ顕著で、この10年間で地域の防災力は向
東日本大震災から10年を迎えた11日、宮城県石巻市を7年ぶりに訪れた。市町村別死者・行方不明者が3971人(総務省消防庁まとめ、3月1日時点)と最多だった同市。各所で市民が犠牲者を慰霊し、深い悲しみに包まれていた。 同市の沿岸部に位置し、津波で大半の建物が流された南浜地区は、石巻南浜津波復
大雪の3月2日。支笏湖温泉地区では一日で30センチの積雪がありました。日が長くなって季節の移ろいも感じられていた時に降ったドカ雪に、私たちのみならず森の生き物もびっくりしたことでしょう。 その日、斜面を駆け上がるエゾシカを見ましたが、雪に足を取られズッコケながらの様子に「動物も苦労している
10日午前、岩手県釜石市を出発し、同県宮古市へ向かった。2011年5月に苫小牧市社会福祉協議会の職員が、宮古市社協で支援活動する取材をして以来、約10年ぶりの訪問。当時は市街地を黒い津波が襲う写真を見て衝撃を受けたが、今はJR東日本と三陸鉄道が乗り入れる宮古駅周辺で住宅が再建されていた。
東北地方を中心に、かつてない規模の被害をもたらした東日本大震災。苫小牧市内も2メートル超の津波が到達し、各方面で影響や被害が生じた。樽前山の噴火や地震がメインだった苫小牧市の防災政策は、震災を契機に津波対策も重要視するようになり、津波避難計画や津波ハザードマップの策定などにつながった。 ◇
今年1月、長野県で全国高校総合体育大会冬季大会が開かれた。苫小牧東高校アイスホッケー部の主将だった仲見颯太=なかみ・そうた=(18)は、インターネット配信された各試合の動画を食い入るように見詰めた。「うらやましい」―。思わず本音が漏れた。 2年生だった2020年1月の高校総体で5年ぶりの8
日曜日のウトナイ湖ネイチャーセンター(苫小牧市植苗)。デジタルカメラを手に、レンジャーに「これはカワウですか?」と熱心に尋ねる少年がいた。市内しらかば町在住の豊田侑生(ゆうき)君(日新小6年)。4年生の時、校外学習でウトナイ湖野生鳥獣保護センターを訪れ「望遠鏡でいろいろな野鳥を見て興味を持つように
東日本大震災の発生から、あす11日で10年を迎える。更地を整備して復興が進んだまち、家族や知人を津波で失いながらも、懸命に生きる人たちの姿は―。2014年3月以来、7年ぶりに東北を訪れ、「被災地の今」を伝える。(室谷実) 9日午前、新千歳空港から飛行機で仙台空港に到着し、レンタカーで岩手県
苫小牧市の40代女性は昨秋、職場の同僚が新型コロナウイルスに感染し、濃厚接触者として検査を受けることになった。症状は全くなかったが同僚は同じフロアで働いており、検査対象になったことは当然のように受け入れた。 検査は同僚の感染が判明した翌日に行われた。その日は朝、38度ぐらいの発熱があり、喉
東日本大震災の後、宮城県南三陸町に多くのボランティアの協力で誕生した観光スポットがある。志津川地区袖浜の「北の恋人岬」。佐藤良夫さん(73)は優しく語り掛けるように話した。「震災で友人や大事なものを失ったが、全国から支援が届き、多くのつながりができた。お金では買えない財産」と、しみじみと振り返る。
樽前山を望む自然豊かな町。モットーは「住民全員がファミリー」で、2003年に開館したのぞみコミュニティセンターを中心に、地域における体育、文化の拠点として学生や住民らがイベントなどを通じ「絆」を築き上げている。 地域や親子の触れ合いを深めようと毎年10月に行う「子ども餅つき大会」。つきたて
春はバードウオッチングに最適な季節。観察スポットはウトナイ湖や北大研究林など幾つもあるが、近所の公園や住宅街など身近な場所でも野鳥の姿を楽しむことができる。春の野鳥の楽しみ方を紹介する。 野鳥にとって春は恋のシーズン。オスは自慢のさえずりでメスにアプローチし、ペアが成立すると産卵、
苫小牧南高校女子バレーボール部の佐藤里咲=さとう・りさ=(18)は、4月から北海道職員として社会人の第一歩を踏み出す。新型コロナウイルス禍を乗り越え、「人のためになる仕事がしたい」と思い描いてきた夢を見事にかなえた。ただ、高校生スポーツ部員として迎えた競技の締めくくり方には寂しさを覚えたが、すぐに
「苦しみや悲しみ、さまざまな感情を乗り越えてやっと10年。何もないところに一から会社をつくり上げるのは本当に難しかった」。22メートルを超す津波で建築物の7割以上が被害を受けた宮城県南三陸町戸倉地区。眼下に広がる穏やかな海、磯のにおいが届く「たみこの海パック」の事務所で、阿部民子さん(59)は安堵
住 所…苫小牧市沼ノ端中央3の3の5 電 話…0144(82)8499 診療時間…月・火・木・金曜日 午前9時~午後7時 (午後0時半から2時まで昼休み)、 水曜日は午前9時~午後0時半
苫小牧市サンガーデンで緑化相談員をしています。樹木医でもあり、このまちのシンボルの一つ、ハスカップの自生種を保全する活動に取り組んでいます。ハスカップは株ごとに実の味や形が違う、とても面白い木です。苫小牧での自生種の繁殖や栽培方法を確立するため、関係者と保全活動に力を注いでいます。ハスカップを通し
半世紀以上にわたり、道内外で道路の舗装工事を手掛けた。夜間や冬の厳しい環境でも工事が行われ、作業員が労働災害で命を落とす事例も見聞きしてきた。安全第一を誓い、毎年、早朝の安全集会で事故防止を呼び掛ける。数々の地域貢献事業にも取り組む日々だ。 1945年3月、静内町(現・新ひだか町)で生まれ
2020年5月20日、新型コロナウイルスの影響で全国高校野球選手権大会が中止になった。鵡川高野球部の副主将だった西村天辰=にしむら・てんしん=(18)は、鵡川町内の仮設寮でテレビ画面越しにその瞬間を見届けた。「夏の甲子園が無くなる話は少し前から仲間内で飛び交っていたけど、いざ現実を突き付けられると
皆さんは、「ガン」という水鳥をご存じですか。カモとハクチョウの間くらいの大きさで、日本には数種が渡来し、そのうちのマガンとヒシクイがウトナイ湖ではよく見られます。主な繁殖地はロシア方面。越冬地の多くは本州にあり、渡り経路の途中に位置するウトナイ湖には、春と秋に飛来します。例年2月下旬ごろ、北上して
「すべて税金なので、一定の条件を付けてやるのが賢明」―。開会中の苫小牧市議会定例会で、新型コロナウイルスに伴う市の対策をめぐり、岩倉博文市長がそんな風に答弁する一幕があった。市議が現状の課題を挙げ、追加の支援を迫る。市は限られた財源の下、立案した施策の意義を説く。それぞれ正当性を主張し合う展開。助
戸長役場では、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の鵡川村ご訪問に当たり、1911(明治44)年6月16日付で、鵡川から辺富内(現在の富内)に至る各地の代表者をもって委員会を組織しました。そして式典当日までに永安寺に設置した奉迎事務所ヘ参集し、当日は健康診断もあるので遠方から来て居住地と事務所を一日で往
苫小牧市が新型コロナウイルス感染症対策の支援策を考える上で、根拠の一つにしたのが影響調査の結果だった。昨年9月1日を基準日とし、市内の全7323事業者を対象にアンケートを実施。約25%の1824事業者から回答を得て、コロナ下の経営状況、必要とする支援策、働き方などの実態を把握した。市担当者は「回答
父と子で参加するみそ作り体験や、妊娠中の母親を対象にした育児講習会、子育て世代の食事会など、地域住民の孤立を防ごうと幅広い世代に向けた行事を積極的に展開している。 活動を通して、次世代の役員獲得に向けたつながりを創出するのも大きな目的だ。 取り組みが奏功し、役員の年代は10代の現役
新型コロナウイルス感染の「第1波」が道内に到来した昨年3月上旬、苫小牧市は影響の実態把握を本格化させた。コロナ禍で止まりかねない経済に危機感を強め、岩倉博文市長や2人の副市長、担当職員は公式行事などの相次ぐ中止で空いた時間を生かし、業界団体などからの聞き取りに走った。「まだ影響はないという業界もあ
苫小牧工業高等専門学校の1年生です。苫高専の魅力を学外に発信する動画を募集した初の「苫高専ムービーコンテスト」(同校主催)で、最優秀賞を受賞しました。動画は昨年10月から今年1月にかけて、独学で作り上げました。製作を通じ、改めて学校の魅力を知りました。約2分の作品で、動画投稿サイト「ユーチューブ」
昨年12月のある朝、苫小牧市内の50代男性は喉に痛みを感じた。唾を飲み込むとちょっと痛い程度。せきや発熱はない。普段から年に数回、喉に痛みが出るため、「またか」と思って仕事に出た。 しかし、話をするとたんが絡み、職場で「声が違う」と指摘を受けた。仕事を中抜けしてかかりつけ医を受診したが、医
衣服や織物などに色合いを施すために、生地となる布や糸の染色が行われる。国立アイヌ民族博物館の収蔵資料展「イコロ」では、シキナ(ガマ)のコーナーで花ござなどに染色された植物繊維が織り込まれているのを見ることができる。鮮やかな黒や赤の色は、資料によってその色みや濃淡が異なる。アイヌ民族は、赤色染料とし
苫小牧市内の居酒屋やバーなどで20年以上働き、今は錦町で「Bar Genie(バー ジーニー)」を営む板東悟さん(44)。長年かけて培った人脈は広く深く、常連客が集ってきた。新型コロナウイルス感染拡大により昨年、売り上げはほぼ半減したが「『大変だろうけど頑張って』と声を掛けてくれたり、少人数で来店
苫小牧市美術博物館で3月7日まで収蔵品展「色と絵~彩のひみつ~」が開かれている。同館が収蔵する絵画の色彩に着目した企画で、北川豊、砂田友治、福井正治など苫小牧市ゆかりの画家の作品が並ぶ。同館学芸員の大谷明子さんに展示作品の中から選んだ1点について解説してもらう。 ◇ ~「藍の親馬仔馬
「こんなときにお店をやるなんて」―。新型コロナウイルスの緊急事態宣言下の昨年4~5月。店に届いた手紙を目にしたとき、「覚悟はしていたけど『ぐさっ』ときた」。苫小牧市錦町で居酒屋「港町トマコマイ飲食街ゴーゴー食堂」を経営する鈴木正人さん(48)は話す。午後7時以降、酒類の提供を自粛すると道が10万円