勇退校長(7) 凌雲中学校 前田 辰夫さん 明るく楽しく通う
- 2024年3月28日
大学卒業後、一度は民間企業に就職したが「好きな日本史の勉強を続けたい」と社会科教員を志した。 京都市出身。仏教大学卒業。教員生活は苫小牧啓北中学校で始まり、苫小牧市の2校と安平町で社会科教員、同市と平取町で教頭。市教育委員会で生徒指導主幹を務め、凌雲中学校の校長となった。 教育者と
大学卒業後、一度は民間企業に就職したが「好きな日本史の勉強を続けたい」と社会科教員を志した。 京都市出身。仏教大学卒業。教員生活は苫小牧啓北中学校で始まり、苫小牧市の2校と安平町で社会科教員、同市と平取町で教頭。市教育委員会で生徒指導主幹を務め、凌雲中学校の校長となった。 教育者と
出身は雪まつり「かまくら」で知られる秋田県横手市。中央大学を卒業し、大学の事務職員となったが、教員の夢をかなえようと一念発起し、実現させた。 教員人生は中学部の全生徒が11人という十勝管内大樹町の生花小中学校で始まり、国語の教員として白老町や室蘭市の学校に勤めた。 この道を志したの
小学校教諭だった父親の背中を見て育ち、中学時代に出会った体育教員にスポーツの楽しさを教えてもらったことがきっかけとなってこの道を目指したという。 教員時代はバドミントン部の顧問として汗を流した。自身も選手として全国教職員大会に出場しており、ノウハウを生徒に伝授した。 苫小牧明倫中学
小学校教諭をしていた父親の背中を見て育ち、学生時代に数カ月英国に留学して本場の英語に触れたことから「外国人と打ち解ける喜びを伝えたい」と英語教師を目指した。 登別市出身。神奈川大学卒業。教員人生は苫小牧東中学校が皮切りで安平町、白老町、苫小牧市の中学校などに勤務した。 2017年3
函館市で生まれ育ち、地元の北海道教育大学函館校を卒業。白老竹浦中学校で国語科の教員として教職の道をスタートさせた。 大学では書道を専攻。「国語科教育を専攻した人には負けないぞ」という気持ちで授業研究に打ち込み、胆振管内の国語科の研究会にも所属。著名な講師を招くなどし、より良い指導を追究した
小中学生時代、話が面白く、いつも笑顔で接してくれた先生に出会ったことがきっかけで同じ道を目指すことを決意した。 洞爺湖町出身。北海道教育大学旭川校卒業。これまで壮瞥町、伊達市、登別市、苫小牧市の小学校に勤めた。全校児童約50人の小規模校から約900人の大規模校まで経験し、両方の良さや課題を
教員だった父親の背中を見て、子どもと関わる仕事に憧れ、教師を目指した。 後志管内岩内町出身。北海道教育大学旭川校卒業。教員人生は苫小牧明徳小学校で始まり、苫小牧市内7校、安平町1校の小学校に勤めた。 教員時代はバレーボール少年団や陸上のクラブを率いて体を動かす喜びを伝えてきた。
東高校の生徒について「才能豊かな人が多い」と語る。勉学、部活動それぞれに一生懸命で「いろんな方面で頑張っている」とほほ笑む。 静内高校で教員生活を始めて34年。学生時代は吹奏楽部に在籍し、教員になってからも吹奏楽部の顧問として活躍した。作曲にも力を注ぎ、2005年、07年には全日本吹奏楽コ
「学校は生徒が主人公」と考え、生徒のやりたいことができる学校づくりを目指して尽力してきた。 38年の教員生活の中で32年間は工業高校に勤め、そのうち18年は苫小牧工業高校でものづくりを指導した。苫小牧西高校には2年前に赴任。校長職は3校目で「計20年間苫小牧にいた」と話す。出身は帯広市。
おはようございます―。2年前に同校に赴任して以来、ほぼ毎日生徒玄関に出て、一人一人とあいさつを交わしてきた。昨年4月に成人年齢が引き下げられたことを受け、生徒を「小さな大人」として接してきた。 コロナ禍では、どうすれば少しでも通常の活動に戻せるのかを一番に考えた。「学校祭や見学旅行などでき
社会福祉法人や社会福祉協議会で9年間の勤務した後、一念発起して教員を志した。「民間で社会人経験を積んだ大人として子どもたちに見本を示し、福祉と教育をつなげられる教員を目指してきた」と話す。 留萌管内天塩町出身。東北福祉大学卒。教員人生は苫小牧啓明中学校から始まった。厚真町、白老町、苫小牧市
運動の楽しさを子どもたちに伝えたいと、体育教諭の道を志した。校長になった今も、体育授業に参加したり、昼休みに生徒と一緒にバドミントンを楽しんだりしている。 室蘭市出身。北海道教育大学函館校卒。1986年度に後志管内島牧村の島牧原歌中学校に赴任し、教員人生が始まった。勇払中学校では2000年
毎朝、学校の前に立って児童らとあいさつを交わし、見守り続けてきた。「子どもたちが将来、社会で活躍できるよう、基本となるあいさつなどのマナーの大切さを教えてきた」と語る。 小樽市出身。北海道教育大学函館校卒。1987年度に教員人生をスタートさせ、初任校は厚真軽舞小学校。その後、胆振・日高管内
「みんな一緒に」をキャッチフレーズに男子も女子も仲良く、学校生活が楽しいと思えるような学校づくりを目指してきた。 「時には失敗もしたが、反省を糧に次はもっとうまくやろうという思いで今まで続けてきた」と自身の歩みを振り返る。 室蘭市出身。北海道教育大学旭川校卒。苫小牧明倫中学校を振り
2019年4月に開校した苫小牧ウトナイ中学校の初代校長として、学校づくりに尽力。生徒が自ら判断し、行動することを前提とした教育に、あらゆる場面で取り組んできた。「信じてあげることで、子どもは成長し、教師の予想をはるかに超えて成長することを改めて学んだ」と振り返る。 苫小牧市出身で、仙台大学
苫小牧沼ノ端小学校には地域住民から送られた遊具がグラウンドにあり、休み時間に児童と遊んで過ごす先生たちが多い。一般教諭だった頃の自身の姿を重ね、「共に遊ぶことで、いろいろなことが見えてくる。すごく良いことだ」と語る。 苫小牧市出身。北海道教育大学岩見沢校卒。苫小牧豊川小学校を振り出しに、大
「先生が満足し、幸せを感じるのではなく、まずは子どもたちの思いが先にそうなければならない」と、児童が喜ぶ姿を見て、教師が会心するような学校にしたいと考えてきた。 室蘭市出身で、北海道教育大学函館校卒。初任地は、長万部中学校。外から見える日本を知りたい―と、コスタリカ大使館付属サンホセ日本人
2011年度に校長の任に就いて以降、卒業式では毎年、学びやを巣立つ児童たちに語り掛けてきた。「人に感謝されることは、生きている中で最もうれしいこと。あなたがいて良かったと思われる人になってもらいたい」。思いやりを持つ人になってほしいという思いからだ。 様似町出身。北海道教育大学函館校卒。伊
「人間は一人では生きていけない。自分のことだけではなく、周囲を気遣う心が、社会を生きる上でのベースとなる」と思いやりを持つ大切さを指導してきた。 えりも町出身で、札幌学院大学を卒業。それまで自身を指導してくれた先生たちを尊敬し、渡島管内福島町にある福島商業高校を皮切りに、37年間の教員生活
「教育は、人と人との触れ合いを通じて行われる営み。公平で、見返りのない愛情が大切だ」と教育的愛情を一番の教育理念としてきた。教え子が「目標を達成したり、うれしそうな顔をしたりすることを見ることが喜びだった」と振り返る。 苫小牧市出身で、自身も同校の卒業生。「母校で定年を迎えられ、幸せなこと
生徒たちには「失敗をしてもよい」と挑戦することの大切さを説いてきた。たとえ結果に結び付かなかったとしても、自身の壁を一つ一つ乗り越えていけば「努力する過程で得られるものが違ってくる」と強調。それを生徒たちが「実感してくれたときが喜びだ」と語る。 釧路市出身。道内を転々として育ち、北見市での
「教育に携わっていなければできない体験を数多くさせてもらい、ありがたい気持ちでいっぱい」と約38年の教員人生を振り返る。 室蘭市出身。高校時代に柔道部の顧問をしていた恩師の影響で、教員になることを決意。「子どもたちが最も多感な時期に、成長や変化を実感したい」と中学校教師の道を選んだ。
「先生っていいな」―。ひたむきな子どもたちの姿が日々そう思わせてくれた。室蘭市出身。北海道教育大学函館分校を卒業後、長万部小学校に赴任。職場の仲間などに恵まれた教師生活を過ごし、後ろ髪を引かれる思いで教育人生の幕を閉じる。 「海外教育を学びたい」とマナウス日本人学校(ブラジル)にも3年間勤
自身も苫小牧和光中学校の卒業生で、「思い出のある良い学校で定年を迎えられた」と目を細める。今月で退職とあり、3月上旬には自ら教壇に立ち、「挫折をしても諦めずに自分を信じる姿勢の大切さを伝えたい」と3年生に道徳の授業を行った。 三石町(現・新ひだか町)の出身で、小学4年生の時に苫小牧市へ越し
約38年の教員生活では数多くの出会いがあり、時には親になった昔の教え子に再会することも。「お金では決して買えない財産ですね」とほほ笑む。 苫小牧市出身。日本大学法学部を卒業後、北海道立釧路養護学校に赴任。その後は苫小牧市と室蘭市の中学校に勤めた。 生粋の苫小牧っ子で、小学生からアイ
漠然とした夢から始まり、36年間にわたった教育者の道―。釧路市生まれ、北海道教育大学釧路分校を卒業。初任校の釧路町立遠矢小学校で出会った先輩方の教えが、その後の教員生活の礎を築いたという。 「分からないと素直に言える人間を育てる」がモットーで、真っすぐに向き合ってきた。次世代を担う子どもた
「子どものさまざまな気持ちを受け止めた上で、育てていくのが僕らの仕事だ」と児童の心に寄り添った指導を大切にしてきた。 十勝管内の新得町で生まれ、芽室町で育った。北海道教育大学釧路分校を卒業し、様似小学校を振り出しに、教員生活38年間全てを小学校で過ごした。三つの管内を経験したが、退職の日が
信念は「信頼される学校づくり」。管理職になってからは、保護者や地域の人には誠実に、かつ丁寧に接するよう教職員たちにお願いしてきた。 桧山管内今金町出身。北海道教育大学釧路分校を卒業後、古里に近い奥尻町の奥尻小学校に赴任した。「プールが無く、水泳学習は海で実施していたことにまず驚いた」と懐か
教育の本質を考え、目的や課題意識を持ちながら生徒に接してきた。生徒指導に苦労した時代もあったが、それぞれが異なる家庭環境で育つ子どもたちであることを理解し、一人ひとりに対して寄り添う教育を目指した。 小樽市出身。北海道教育大学函館校を卒業後、時間講師や学校事務を経て1986年に教員生活が始
今年度開校70周年を迎えた勇払中。同校で勇退を迎えるのは22代目の加藤悟校長が初めて。「『話』を持って『輪』をなし、『和』を作る」を座右の銘とし、教員生活37年間を務め上げた。「地域住民や歴史とのつながりが深い学校。素朴で素直な生徒ばかり」と4年間を振り返る。 室蘭市出身。国士舘大学卒業後