頭の中の霧
- 2024年7月17日
今年で40歳になる記者だが取材先や周囲から実年齢より10歳ほど若く見られることが多い。時には20代に見られることもしばしば。それでも中身は40歳。疲れが取れなかったり、思うように体が動かなかったりもする。 そんな中、数カ月前から気になっているのが、思考や集中力の鈍化。何気なくインターネット
今年で40歳になる記者だが取材先や周囲から実年齢より10歳ほど若く見られることが多い。時には20代に見られることもしばしば。それでも中身は40歳。疲れが取れなかったり、思うように体が動かなかったりもする。 そんな中、数カ月前から気になっているのが、思考や集中力の鈍化。何気なくインターネット
厚真、安平、むかわの胆振東部3町で夏祭りシーズンを迎えた。町それぞれに特徴があり、歌手やタレントのステージショーも展開されて大勢の人でにぎわった。出店が会場に軒を連ね、夜には鮮やかな花火が打ち上げられる光景も広がった。 厚真町の田舎まつりは、町中心部で田舎まつり音頭パレードが盛大に行われた
17歳の時から献血を始めて、3カ月に1度献血をする生活を続けている。 日本赤十字社のCMを見て「血液を必要としている人がいる」と知り、興味本位で献血ルームに行ったのがきっかけだった。子どもの頃から注射は得意な方だったので、社会貢献の気持ちと献血後の血液検査結果を楽しみに続けている。
ここ数年、まちのために「自分に何かできないか」と考え、行動に移す高校生を取材する機会が増えた。 先日も、学校でも職場でも家でもない「第三の居場所」づくりを目指す高校生グループの活動を取材した。生徒の中に入って取材をしていると、記者も若返ったような気持ちに。それと同時に、ただひたすら怠惰な高
白老に暮らして3年目の本格的な夏を迎えつつある中、早くも秋に向けて「飛生芸術祭」や「ルーツ&アーツしらおい」といった芸術祭開幕の知らせが耳に入ってきた。画家や映像作家らが町内入りするうわさも耳にする。 複数の作家たちが1カ月以上、町内各地に滞在しながら町ならではの文化や歴史をテーマに調査を
コロナ禍が明け新千歳空港や札幌のまちには海外や国内からの旅行客が戻ってきた。一方で物価高もあり、道内各地に波及するには時間がかかりそうだ。 飲食業界ではコロナ禍の影響が続いている。戻らぬ客足に苫小牧のある店主は「(まちの)店が半減した」と厳しさを語る。今後も電気料金や食品、原材料などの値上
5月17日付本紙に載ったある事件のその後について記したい。4月下旬以降、冷蔵庫や洗濯機の解体されたプラスチック部材を詰め込んだビニール袋が、苫小牧市内で相次いで投棄された問題だ。 取材の時点で、市は宮前町や日吉町など市内西部の住宅街のごみステーションを中心に計20カ所で被害を確認していた。
1月末まで編集局整理部に在籍していた。記者が書く原稿や通信社から配信される記事、写真などの「素材」を紙面に配置し、見出しを付け、「新聞」の体裁に整える仕事だ。 10年ぶりに報道部に配属されて4カ月。若い頃に経験した記者職とはいえ、社外に出掛け、さまざまな人と会い、話を聞き、写真を撮らせても
仕事終わりに毎日ジムに通っているが、駐車場で車上生活者をよく見掛ける。生活に困窮し、やむを得ず車で暮らす人は一定数存在する。以前は道の駅に多かったが、看板や見回りで立ち退きが強化され、コロナ禍を機に急増している24時間ジムが新たな拠点になっているようだ。 車上生活は食費や燃料費などは発生す
苫小牧に帰ってきて2カ月余が経過した。少人数でも手を取り合って―という地方の町と比べれば、どこに行っても大所帯だが、決まって耳にするのは「人手が足りない」。今、多くの企業が抱える喫緊の課題だ。 自分が学生だった20年ほど前は「就職氷河期」と言われる時代。試験を受けても簡単に採用されることは
1985年に故郷で国際科学技術博覧会があった。期間中、秀才肌の友人T君が自転車で万博に出掛けた帰りに事故で亡くなった。 「銀河鉄道の夜」の主人公ジョバンニとカンパネルラのような仲だったが、中学校がT君は私立、自分は公立で疎遠になってしまった。彼の死はその1年後。そのせいか、作品に強烈な思い
この頃、苫小牧市役所の館内放送でゆったりとしたBGMが流れ始めた。「ジャズ」、「オルゴール」に「ボサノバ」まで。まるでカフェにいるかのようだ。カフェ巡りが趣味の記者は、市役所内で記事を書きながら「なんとなく心が落ち着くな」と感じている。 始まったのは3月21日からで、市職員の働き方改革の一
アイスホッケーアジアリーグが今月上旬に閉幕した。シーズンを通してレッドイーグルス北海道を取材し続けた。新監督の下、「成長」を掲げて2冠を目指し、選手やスタッフはもちろん、ファンさえも同じ目標に向かう光景を何度も目にして胸が熱くなった。目標には一歩届かなかったが、試合に臨むチームの姿をずっと見てきて
3月に胆振東部支局へ異動し、1カ月半が過ぎた。2月は引っ越し作業に追われ、あいさつ回りが十分にできなかった。取材で出会い、厚真町に行くことを言えなかった苫小牧の関係者に「今までお世話になりました」と伝えたい。 同支局は、同町と安平町、むかわ町の3町を回る。主な市街地が5カ所あり、それぞれ距
3月下旬、苫小牧市民活動センターで開かれた、市内春日町在住の秋葉洋一さんと恵子さん夫妻の写真展を取材した。ユーモアあふれる構図に笑わされながら、心癒やされる温かな時間を過ごさせてもらった。 2人の写真のモチーフは独特だ。ひび割れた道路に落ちた1枚の枯れ葉。誰かの家の外壁とそこに映る何かの影
白老町は、町人口に占める65歳以上の町民の割合を示す高齢化率が2月末時点で46・8%と、道内有数の高齢者が多いまちとして知られている。一人暮らし世帯も多く、地域福祉や防災など多くの分野で解決すべき課題が山積している。 一方、取材などで接するお年寄りたちの多くは、とても明るく笑顔が多い印象だ
ある銭湯で女性たちが寂れたまちの今後を語るうち、次期町長選に候補者を擁立しようと盛り上がる。苫小牧市内の劇団「演劇及び文化創造集団C.A.W」(鈴木英之代表)が今月、同市で公演した「ウオーターガールズ 令和銭湯物語」を鑑賞した際、そんな一幕があった。 女性5人の人間ドラマを描いた会話劇。不
最近、気温が上昇して雪解けが進み、冬の間は見られなかった水たまりが現れるようになった。先日、取材で小学校に朝一番で行った時のこと。「おはようございます!」と元気な声を掛けられ、振り向くと、まるで自衛隊のレンジャー部隊のように泥だらけの児童がいた。そう、車に水を掛けられたのだ。「命懸けの通学路」と言
隣町の厚真町を拠点に約5年過ごした胆振東部支局から、本社の苫小牧に帰ってきた。慣れない担当業務に四苦八苦しながら、ここ数日を過ごしている。 特に初日は体も動かす羽目になった。忘れ物を取りに会社へ戻った後、12階建ての市役所へ。記憶があいまいなことから途中迷子になり、階段の上り下りを繰り返し
25日に、東日本大震災で多くの犠牲者を出した宮城県石巻市を訪れた。同地で話を伺ったのは、津波で長女の愛梨さん=当時(6)=を失った佐藤美香さん(49)。幼稚園児だった愛梨さんは、送迎バスで避難中に津波に巻き込まれ、その後に町を焼き尽くした火災で亡くなった。 幼稚園は高台にあり、津波に襲われ
スポーツ部に異動して早くも1カ月が経過しようとしているが、ウインタースポーツの魅力を実感する日々を送っている。 ウインタースポーツの経験がない私にとって競技を見ること自体初めてで、最初は不安が大きかった。 しかし、一度試合を見てみると新しい発見が多く、観戦するだけでも勉強になること
連日ワカサギ釣り解禁の記事が掲載される中、先日同僚たちと白老町のポロト湖へ向かった。初心者3人を引き連れたのは、2年前からワカサギ釣りに魅了されているSさん。慣れた手つきでポイントに穴を開け、私を含め3人に釣り具の使い方や餌の付け方を教えてくれた。 ピクピクと動いたらリールを巻き上げる―。
1月27日から今月3日まで、国民スポーツ大会(国スポ)冬季大会が苫小牧市で開かれた。国民体育大会から名称が変わって最初の大会で、苫小牧開催は2006年以来、18年ぶり。各競技で熱戦が繰り広げられた。 学生時代、アイスホッケーをしていた記者は06年大会に石川県代表として参加した。今大会は外側
自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を巡り、堀井学衆院議員(比例道代表ブロック)の記者会見を取材するため27日、登別市民会館に向かった。開始時間の1時間前に到着したが、多数の報道陣が建物内に集まっていた。 だが、堀井氏の秘書から、1時間半の予定だった会見時間を30分に、質問は1社2問まで
年明け早々、身内の葬儀で宗谷管内浜頓別町を訪れた。これまで何度も訪れたことがあり、記者も以前、住んでいたことがある町だが、今回の訪問では驚く発見があった。 何気なく町を散策していたら、見慣れたマークが目に留まった。円を描き、その内部に横棒を書き入れた、苫小牧の市章だった。 「遠く離
白老町社会福祉協議会と町ボランティアセンター主催の「第17回カレンダーリサイクル市」(8~10日)は大勢の人で活気づいた。取り組みはカレンダーの販売店が町内に少なく、町民による調達が困難なことから15年ほど続いている。 今回は全国81の企業、個人から5621点を集め、3日間の開催で17万8
8日にNHK総合で黒澤明監督の名作「生きる」が放送されていた。1952年公開の映画を「なぜ、この時期に」と気になりながら録画し、久しぶりに見た。改めて、見事なストーリー展開に感嘆し、深いメッセージ性が心に響いた。 市役所の市民課長が主人公。30年間無欠勤でまじめな男ながら、事なかれ主義的に
ありがたいことに日本全国に掛け替えのない「縁」がある。人と人との結びつきを強く感じる季節だ。 毎年秋に親族と青森県へ墓参する。その際に少々フライング気味の「お歳暮」リンゴを贈るのが慣例だ。 「元気にしとったかい」と声を弾ませるのは奈良に住む祖母のいとこ。京都の大学在学中は何度もお世
先日取材した防災訓練で、消防団員が「火災の時は119番、もしくは公衆電話の緊急通報ボタン」と呼び掛けた時、「公衆電話、いつから使ってないんだろ?」と思った。 記者は20代。携帯を持たされたのが中学からで、小学生までは公衆電話を利用していた。なけなしの10円で母親に用件が伝えられるよう早口で
「インフルエンザだったわ」―。 今月中旬のある土曜日の話。家族から一報を受けた。「同じ場所にいたら(周りにも)うつるよな」と思った時にはすでに遅く、翌日に1人、さらに翌日また1人と感染が広がり、うつらなかったのは生活をほとんど共にしていない私だけだった。急きょ休暇願を出して病院への送迎と家