⑥学校再開から1カ月半 充実の日々過ごす、休校しないか不安も
- 2020年7月20日
新型コロナウイルスの影響による臨時休校が明け、苫小牧市内の小中学校で通常授業が始まってから1カ月半が過ぎた。この春、苫小牧東小学校の6年生に進級した矢野柚依(ゆい)さん(11)=王子町在住=は「学校に毎日通えて、とてもうれしい」と顔をほころばせる。 両親と2歳の弟の4人暮らし。元来、読書や
新型コロナウイルスの影響による臨時休校が明け、苫小牧市内の小中学校で通常授業が始まってから1カ月半が過ぎた。この春、苫小牧東小学校の6年生に進級した矢野柚依(ゆい)さん(11)=王子町在住=は「学校に毎日通えて、とてもうれしい」と顔をほころばせる。 両親と2歳の弟の4人暮らし。元来、読書や
新型コロナウイルスの感染拡大で打撃を受けていた、新千歳空港発着の国内線が回復基調だ。航空旅客は今月まで激減しているが、8月は主要各社の増便が目立つ。関係者は引き続き感染拡大防止策を徹底し緊急事態宣言が解除された6月以降、少しずつ回復する旅客需要を歓迎している。 同空港を運営する北海道エアポ
【小学校高学年向け】 「プラスチック・プラネット 今、プラスチックが地球をおおっている」 著 ジョージア・アムソン/訳 大山泉 最近、お菓子の包装が紙パッケージになっているものがあるのを知っていますか? 今、プラスチックのごみが大きな問題になっています。 この本は
60歳以上の選手が所属するアイスホッケーチームの苫小牧キレンカで監督を務める曽根幹さん(70)。日本リーグ出場経験のある名選手も抱え、全国大会出場を重ねるチームで指揮する。監督就任4年目を迎え、「選手ではなく監督に専念してチームの勝利に貢献したい」と意欲的に語った。 苫小牧市出身。弥生中学
皆さんこんにちは。夏らしくなってきましたね、いかがお過ごしでしょうか。新型コロナウイルス対策で手洗いの励行やマスクの着用、不要不急の外出自粛などさまざまな予防活動に取り組まれている方が多いこととお察しいたします。 このたび人生で初めて、一般紙の連載をしてみませんか―というお声掛けをちょうだ
イランカラプテ(こんにちは)。新型コロナウイルスが私たちの社会に大きな影響を与えている中、季節は何事もなかったかのように夏へと移り変わりました。ふと、山や野原に目をやると、高く伸びた茎に幾つもの緑がかった白色のユリの花が咲いているのを目にすることがあります。それは、アイヌ文化の中でもギョウジャニン
「来年4月には開院30年という節目を迎える。4代にわたって受診してくれるご家族もいて本当に感謝です」と語るのは今井勝己院長(57)。苫小牧で生まれ育ち、札幌市内の高校を卒業後、東日本学園大学(現北海道医療大学)に進学。歯科医師の国家資格を取得後、同市内の医療機関で4年ほど勤務医を経験し、
―ウポポイで働くきっかけは。 「高校卒業後、札幌学院大に進学し、学芸員の資格を取りました。北海道の歴史、アイヌ語やアイヌ文化の勉強を始めたのは大学生になってからです。学芸員になるためにもっと勉強しようと思い、北海道大大学院に進みました。博士後期課程に進学すると同時に、旧アイヌ民族博物館でア
白老町萩野で社会福祉法人ホープが運営するフロンティア。障害のある人たちに働く場を提供し、生活自立と社会参加を支援する通所施設だ。イタドリの野草茶作り、広告チラシの印刷、アイヌ文様刺しゅうを施したコースターの製作―。40人余りが利用する施設の仕事は多岐に及ぶ。 「今度はこれを作って売ろうと思
水泳のアブロス日新スイミングクラブ(苫小牧)に所属する木原繁樹(28)は昨年、日本マスターズ男子50メートルバタフライ25~29歳で日本一に輝いた。続く10月の札幌年齢別競技大会男子200メートルメドレーリレーでは、胆振管内在住の競技仲間と4人一組のチームを結成して同種目北海道短水路記録も樹立。苫
―ウポポイで働くきっかけは。 「大学の4年間、地元の白老町を離れ、『もっと生まれた町や自分のルーツについて、自信を持って話せるようになりたい』と思い、アイヌ文化に関わるようになったことがきっかけです」 ―どのような準備をしてきましたか。 「これまでの期間は主に『ウエカリ チ
早いもので、今年も一年の半分が過ぎました。恒例のイベントやお祭りが次々中止となり、いつもの季節感がないまま月日ばかり流れてしまったように思いますが、自然は変わることなく季節の歩みを進めています。 支笏湖温泉の園地では今、ツルアジサイの花が見頃を迎えています。ツルアジサイは名前が示す通り、他
ウポポイは、昨年5月に施行されたアイヌ施策推進法を具現化する施設だ。新法はアイヌ民族を先住民族として法的に位置付け、民族の誇りが尊重される社会の実現をうたっている。ウポポイが誇りや尊厳の回復につながる場になってほしいと切に願う。 ウポポイは、施設や野外を含めて全体が博物館という見方ができる
―ウポポイで働くきっかけは。 「母親がアイヌ民族で、私も小学生の頃から踊りをやるなど、アイヌ文化に関わってきました。伝承者(担い手)育成事業に3年間参加して旧アイヌ民族博物館に就職し、アイヌ文化を学び、伝える取り組みを続けてきました。私はウポポイで調理実習を担当しますが、食についても地元札
新型コロナの影響で遅れていたウポポイ開業がいよいよ間近に迫り、やっとここまで来たというのが実感だ。白老観光協会は、町の指定管理者として運営する観光インフォメーションセンターを拠点に、ウポポイを生かした観光振興に努めたい。食やアイヌ文化、自然など地域資源を活用した新たな体験メニューをつくったり、いず
中庭回廊を「舞台」として展開する本展は、人型のオブジェに対し、現代社会のほころびがもたらす「風化」に立ち向かい、光を求める人々のイメージが投影されている。回廊の床に配されたオブジェの数は千体に達するというが、理工学者・青木広宙氏(千歳科学技術大学准教授)の協力の下、そこには光技術を応用したライティ
―ウポポイで働くきっかけは。 「高校卒業後に旧アイヌ民族博物館に就職し、アイヌ文化に初めて関わりました。私はアイヌ民族の血が入っているわけでもなく、アイヌ文化を深く知らずに育ったので、何か強みというか得意なものを―と、先輩から歌や踊り、楽器の演奏、刺しゅうや着物の仕立てを教わってきました。
白老町の人口減少が急速に進んでいる。若者は都会へと流出しており、このままだとまちが活力を失い、機能しなくなってしまうのでは―と心配している。こうした中で、ウポポイが地元で開業するのは非常に明るい話題だ。ウポポイ見学で多くの観光客が白老を訪れることが予想され、このチャンスを十分に生かすべきだと考える
原作は、戦争時代の故・向田邦子さんが家族との思い出をつづったエッセー「眠る杯」。戦渦に巻き込まれ、多くの子どもたちが、学童疎開を強いられました。爆弾は飛んで来ないけれど、つらく、寂しい田舎での生活です。 向田さんの妹は、文字も書けないくらい幼かったのに、家族と離れ、遠い田舎へ行きました。自
「あ!私も、同じ」 新しい学校に行った時、知らない場所で待ち合わせをする時、初めて会う人と話す時、外国の方に声を掛けられた時、「ビクビク」は急に大きくなって、心を苦しくさせてきます。 この絵本を読むと、言葉も通じない外国に引っ越してきた女の子が、不安な気持ち「ビクビク」に押しつぶさ
苫小牧市美術博物館で中庭展示Vol・14が開催中だ。中庭展示空間を活用したインスタレーション(架設展示)を紹介するシリーズ企画で、2013年の美術館機能増設に伴うリニューアルを機にスタート。今回は、札幌在住の美術家・艾沢(よもぎざわ)詳子(1949~)のインスタレーションを紹介している。展示につい
―ウポポイで働くきっかけは。 「親が日常的にカムイノミ(儀式)などアイヌ文化の伝承活動に取り組み、子どもの頃から自然と参加していました。大人になってから儀式に参加していると、周りから質問されるようになりましたが、アイヌ文化を深く知らないことに気が付きました。伝承者(担い手)育成事業に参加し
われわれ商工会はウポポイを地域経済の活性化に生かしたいと考えており、開業が近づくにつれ、期待感は高まるばかりだ。4日の土曜と5日の日曜日、町が開設した駅北観光商業ゾーンの観光インフォメーションセンターが人でにぎわっていた。駐車場の車を見ると、札幌ナンバーが目立った。ウポポイに近い大町商店街では、席
「仕事も趣味も同じようなものなのでよかった」―。苫小牧市植苗の道の駅ウトナイ湖でパート勤務する佐藤恭子さん(39)。観光案内所をおおむね週4日担当している。徐々に客足が戻り始める中、ソーシャルディスタンス(社会的距離)を意識しながら接客。戻りつつある日常にほっとしている。 コロナ禍で同駅は
海上で人や物の輸送を担うフェリーも、新型コロナウイルスの感染防止に力を入れている。苫小牧港を発着するフェリー各社は、カウンターへのビニールシート設置や乗船手続き前の検温などが当たり前になった。旅行需要の低迷が続く中、ソーシャルディスタンス(社会的距離)を保ちながら利用者数をどう増やすか。試行錯誤が
かつてアイヌ民族のコタンがあった白老は、アイヌ文化と深い関わりのあるまちだ。町としても文化振興に取り組んできたが、アイヌ民族の尊厳回復、文化復興のナショナルセンターが白老に誕生したことは誠に喜ばしい。日本の先住民族について白老から世界へ発信する拠点ができたという意味でも、このまちにとって千載一遇の
子どもたちに読んでほしい本として、苫小牧市教育研究会学校図書館教育研究部会が選定した「2020年度苫小牧子どものための選定図書」。今年度新たに加わった20冊の中から18冊を同部の会員が紹介する。(毎週月、水曜日に掲載します) 【小学校低学年向け】 「まいごのしにがみ」 作 いとう
―ウポポイで働くきっかけは。 「壮瞥町で両親が民芸店を営み、父は熊彫り(木彫り熊制作)、母は踊りをしている中で育ちました。若い頃はアイヌであることに向き合うことはなく、むしろ避けてきました。30代の時に知里幸恵銀のしずく記念館(登別市)の館長、故横山むつみさんと出会い、今までの考えが変わり
1943(昭和18)年、苫小牧市表町18番地(当時)に開業した大門歯科医院を76年5月に亡夫から受け継ぎ、96年3月の閉院まで、30年間にわたり歯科医として市民の口腔(こうくう)の健康を見守ってきた。閉院後の現在も同じ町内に居を構え、海外旅行やハイキングなど趣味に人生をささげる。 36年、
5月下旬に苫小牧市内で開かれた苫小牧管工事業協同組合の総会で、新しい代表理事に選任された。「水道は大事なインフラ」と受け止め、水道メーターの検針など組合の活動で収益性を高め、組合員の知識向上や発展に貢献する考えを示す。 業界動向については、将来的な人口減少で一般住宅における水道設備設置工事