目標は頼れる存在 苫小牧市末広町 谷沢(たにざわ) 智美(ともみ)さん(23)
- 2023年4月10日
昨年4月から苫小牧市社会福祉協議会でコミュニティソーシャルワーカーとして働いています。出身は北広島市。大学生の時に苫小牧社協で実習した経験から、苫小牧に就職先を決めました。 仕事では地域のふれあいサロンに関わることが多いです。人間関係の希薄化が進む中でも、サロンを通じて人と人の輪が広がって
昨年4月から苫小牧市社会福祉協議会でコミュニティソーシャルワーカーとして働いています。出身は北広島市。大学生の時に苫小牧社協で実習した経験から、苫小牧に就職先を決めました。 仕事では地域のふれあいサロンに関わることが多いです。人間関係の希薄化が進む中でも、サロンを通じて人と人の輪が広がって
2014年夏。バラエティー番組のロケで富良野へ。フジテレビのドラマ、倉本聰富良野3部作の最終章「風のガーデン」の撮影の地を訪れた。新富良野プリンスホテルの敷地内に、そこはあった。どこまでも続くグリーンの芝生。青い空。白い雲。なんと気持ちの良いことか。あの爽快感は今でも思い出すことができる。
世界初の内陸掘り込み式港湾開港が間近に迫った1963年春、苫小牧の地をはじめて踏んだ。王子製紙苫小牧工場のお膝元。工場社員が暮らす長屋がずらっと立ち並び「釧路と似てるな」。懐かしさを覚えた。 父は釧路太平洋炭鉱の鉱員。社宅の風景は苫小牧とうり二つだった。少年時代に励んだスポーツはもっぱら野
若い頃は、「上司の話を聞く時はメモぐらい取れ」という言葉をよく耳にしたが、私の場合は上司に限らずどんな場面でも基本的にメモを取る習慣がない。 30年前、私は関東圏にある日銀の支店に勤務し、金融経済動向の調査担当者として、支店長が地元企業の経営トップと面談する時には、メモ取り役として同行し報
「反対の人間がいることを示す姿勢が大切だと思った」―。無投票の公算が大きかった道議選の告示が3日後に迫る中、記者会見を開いて立候補への思いを口にした。支援組織がなく、選挙ポスターは告示日にようやく完成。3日かけてすべての掲示板に貼り終えた。名前入りのたすきや「選挙カー」なども自分で用意しながら、独
「いぶり・ひだかで鳥発見!」を連載させてもらう日本野鳥の会苫小牧支部で副支部長を務めている小林誠です。バードウオッチングを始めて約10年。これまでに200種近い野鳥を胆振・日高で観察してきました。そんな私のこの連載を通じて、バードウオッチングが身近なものになればよいなと思っています。 早速
昨年9月、自民党で現職6期の遠藤連道議(69)が引退を表明し、真っ先に立候補する意思を示した。「遠藤道議の引退を知り、チャレンジしたい気持ちが強くなった」と決意した理由を振り返る。当時、党内では他にも立候補を模索する動きがあったが、同党苫小牧支部で協議した結果、遠藤氏の後継候補として公認された。
母からよく言われたことは「若いうちにやりたいことをやっときよ、年取ったらできへんよ」です。50歳の僕が今でも次々といろんなことにチャレンジしているとは知らないだろうと思っていましたが、先日帰省した時にも「若いうちにやりたいことをやっときよ」と言われました。 「僕、もう50歳やで」と言うと、母
「少子高齢化が進行する地域社会をどう支えていくか。北海道は全国の中でも厳しい。とにかく仕事がないと人口減を止められない」―。名前に掛けたキャッチコピー「地域を守る!暮らしを守る!」を掲げ、産業振興や防災、少子化対策などを訴える。 1990年から11年間、札幌市役所で勤務した後、創価学会の職
苫小牧市大成町の元タクシー運転手、安川淳一さん(76)は昨年5月11日の朝、支笏湖で息をのむ絶景に出くわした。 べたなぎの湖面に周囲の山々や青い空などが上下対称に映り込む自然の美があった。毎年、新緑や紅葉の時期に来ていた湖畔だが、初めての体験だった。 今年2月23日付の本紙記事で、
「苫小牧には行政課題がまだまだたくさんある。解決に道筋を付けるため、4期目に挑戦させていただく」―。今回の道議選では唯一の現職。新人3人を迎え撃つ立場だが、「ふるさと苫小牧を住み続けたいまちにしたい」との初心を忘れず、謙虚な姿勢で臨む。 1982年に苫小牧市役所入り。法律や条例、制度にのっ
年が明けた頃から「間もなく自動車の車検の期限が切れます」とのメールやはがきがあちこちから届くように。車検のことをすっかり忘れてしまっていた。納車から3年たったのかという驚きとともに、久しぶりの車検でどうしたらいいものかと戸惑っていたが、ようやく車検先が決まり、ほっとしたところだ。 この自動
駒大苫小牧高校女子硬式野球部で投手をしています。3月下旬に埼玉県で開かれた全国選抜大会では、強豪チームを2安打1失点に抑え、負けはしたけれど自信になりました。 東京都出身で、中学時代のクラブチームの先輩たちを慕って進学。グラウンドに雪が積もっていても屋外で練習をした時は、とてもびっくりしま
2月のコラムで、五十の手習いで俳句を始めたと書きました。AIRDOに赴任する前から東京で幾つかの句会に参加していましたが、札幌に来てからも句会への参加を続けています。コロナ禍以降、出席回数が大幅に減ってしまいましたが、所属結社の札幌支部の皆さんと楽しい時間を過ごしています。 北海道で俳句を
「目指すのは、地域に根差し、信頼される郵便局」―。それをモットーに、これまで8カ所の郵便局を渡り歩きながら、住民との触れ合いを大切にしてきた。入局44年、局長になってから20年。郵便局にささげてきた人生の歩みを振り返り、「地域社会に役立っていると感じられる仕事に就けた自分は幸せ」と笑みを浮かべる。
今年は春の訪れが早いようです。苫小牧市樽前の周辺にはたくさんのハンノキが茂っていて、すでに雄花が垂れ下がり、間もなく花が咲きそうです。ハンノキの花が咲き、コブシの花が咲くと本格的な春へ向かいます。 先日は友人たちと樽前ガローへ散策に出掛けました。森の中はまだ少し雪が残っていましたが、草花は
運転免許を取得して最初に乗った車は、親から譲ってもらった軽自動車。その後は、中古の普通車を2台乗り継ぎました。車に乗り始めた当時は、ガソリンが1リットル100円前後、灯油が35円。今はガソリンが160円前後、灯油が100円なので、大分安い時代でした。 最初に乗った軽自動車は、窓の開閉をする
「だいき、覚悟しろ」。津波に車ごと襲われた母を探す11歳の男の子に、伯母が駆け寄り叫ぶ。商業施設内へ流れ込んだがれきの山に、変わり果てた姿があった。東日本大震災から12年たったいまも、忘れられないテレビ報道の一幕。 出来事は仕事柄もあって5年、10年と節目で捉えがちだが、阪神・淡路大震災や
東高校の生徒について「才能豊かな人が多い」と語る。勉学、部活動それぞれに一生懸命で「いろんな方面で頑張っている」とほほ笑む。 静内高校で教員生活を始めて34年。学生時代は吹奏楽部に在籍し、教員になってからも吹奏楽部の顧問として活躍した。作曲にも力を注ぎ、2005年、07年には全日本吹奏楽コ
「179市町村の網目からこぼれる命がないように。救える命、守るべき暮らしを支えるため、広大な北海道だから『できる』施策を地域と共につくり、実践していく。これが地方自治の神髄だと思う」 政策(公約)のキャッチフレーズに掲げた「誰ひとり置いてきぼりにしない あたたかい道政」への思いを、こう語る
先日、当団体の地域女性活躍推進事業の一環として、苫小牧市の納棺師、山田麻以氏を迎え「デスカフェ」を開催しました。参加された方たちは親子、夫婦、友人、とさまざま。デスカフェでは、一緒に参加した相手に向けて弔辞を書いてみるミニ弔辞ワークと納棺体験を行いました。 私たちは生まれた瞬間から「死」へ
「まずは道民の暮らしを守っていく。ただ、それだけでは駄目で、未来をつくっていかなければいけない。時代の岐路に立つ今こそ、北海道の役割は大きいとの認識で挑戦していきたい」 2期目に挑む政策のキャッチフレーズ「直向(ひたむ)きに北海道を前へ」に込めた思いを、こう語る。 東京都庁職員を退
昨年10月から、苫小牧市柏木町の整体院で働いています。高校卒業後に自衛官を経て札幌市内の建設会社に勤め、現場仕事を重ねる中で腰を痛め、現在の職場にお世話になりました。痛みが良くなっていく実感があり、驚きました。この時に整体師の養成講座があると知り、建設会社で働きながら約1年かけて技術を習得し、今に
朝、診療所の通用口に着いたら、耳慣れない音が頭上から降ってきた。驚いて目を上げると、首の長い真っ白な鳥が隊列を組んで飛んでいるのが見えた。 白鳥だ。本州で冬を越し、シベリアなどに戻る途中、春のひとときを北海道で過ごすとは聞いていたが、こんなに間近にその姿を見られるとは。私は興奮して、近くに
私が旭川高専の学生だった頃、特に印象に残っている社会科の先生がおられた。先生は、ヨーロッパの五つの言語に加え、古代ギリシャ語とラテン語の文献も読解できた。ご専門は「法史学」という分野で、法律に基づく国家体制の変遷などを研究されていた。私と友人数人は先生に強い憧れを抱き、教員室に勝手に押し掛けて弟子
この原稿が皆さんの目に触れる頃、私は日本にいない。私が主宰する奨学金制度『内山アジア教育基金』の活動拠点であるフィリピンを皮切りに、長期世界周遊の途上にあるはず。 今頃は、かつて若い時代をすごしたパリに滞在していることだろう。そこから戦況次第では著名なカメラマンと一緒に、その昔旅をしたウク
「学校は生徒が主人公」と考え、生徒のやりたいことができる学校づくりを目指して尽力してきた。 38年の教員生活の中で32年間は工業高校に勤め、そのうち18年は苫小牧工業高校でものづくりを指導した。苫小牧西高校には2年前に赴任。校長職は3校目で「計20年間苫小牧にいた」と話す。出身は帯広市。
苫小牧産ホッキ貝の殻を創作作品に生かす東芸会木目込人形・押絵、本部講師の吉川芳孝(本名・孝子)さん。ある日、自宅のベランダに並べていた貝殻が風雨にさらされ白くなったのを見て、心身が清められたような気がした。この貝殻を使って世界でただ一つの人形を作りたい―と思い立った。 ホッキ貝を使った作品
人口動向は出生・死亡・移動の3要素で決定され、移動はさておき、出生数減と死亡数増が日本の人口減少の原因とされる。 高齢化に伴い亡くなる人が増えるというのは自然のことわりだが、長生き自体は生活水準の向上など社会の蓄積の成果であろう。結婚した夫婦の子供の数は1・94人(2015年)と人口維持可
おはようございます―。2年前に同校に赴任して以来、ほぼ毎日生徒玄関に出て、一人一人とあいさつを交わしてきた。昨年4月に成人年齢が引き下げられたことを受け、生徒を「小さな大人」として接してきた。 コロナ禍では、どうすれば少しでも通常の活動に戻せるのかを一番に考えた。「学校祭や見学旅行などでき