子どもが輝く環境にしたい 保坂(ほさか)俊也(としや)さん(39) 苫小牧市三光町
- 2024年1月22日
苫小牧市新明町にある北都重機の副社長で、今年は苫小牧青年会議所(JC)の第72代目理事長に就任しました。70年続く団体を次世代に引き継いでいくためにも、会員増加を目指し、今まで以上に活動の幅を広げていきたいです。 近年は、中学生が競技の専門的な技術を習得できるようにと、部活動の地域移行が全国的に
苫小牧市新明町にある北都重機の副社長で、今年は苫小牧青年会議所(JC)の第72代目理事長に就任しました。70年続く団体を次世代に引き継いでいくためにも、会員増加を目指し、今まで以上に活動の幅を広げていきたいです。 近年は、中学生が競技の専門的な技術を習得できるようにと、部活動の地域移行が全国的に
2024年の新春の集いは、賀詞交歓の場から一転、黙とうと献杯の場へと切り替わってしまった。父方の祖母の家は能登半島の羽咋から角田(今の空知管内栗山町)に入った石川県の出身。一方、母方の祖父は福井県の大野から三石(今の新ひだか町)に入植した。北海道はいわば「越」の国の人たちが最初に切り開いたフロンテ
昭和30年代、電気洗濯機の普及と時を同じくして、手回し洗濯器「カモメホーム洗濯器」が群馬県の林製作所から発売された。 使用方法は、球体の洗濯槽部分に衣類を詰め(1回の洗濯でシャツ2枚程度)、洗剤と熱湯を注ぎ入れる。ふたを閉めて洗濯槽内部を密閉し、ハンドルを約20秒回転させると、内部に残った
遊びを原点にして、自分や周囲が楽しめることをしようと、数々のアイデアを実現させてきた。苫小牧が道内発祥というカーリングや詩人の宮沢賢治が100年前に苫小牧を訪れたこと、明治時代に苫小牧で製造されていたマッチなどに着目。これらを広く発信しようと、体験会やウオーキング、アート展といった企画を展開してき
先日、よく遊びに来ている中学生の男の子2人が「きょうはいぶり勧学館に泊まる」とのこと。寒いから駄目だと言っても、準備をして親の承諾も得てきたと。どうしてもと言うので、冬休み中だし少し帰りが遅くなるくらいは大目にみることにしました。他の子たちが帰った後、2人はコンビニでカップ麺を買って満足そうに食べ
苫小牧市美術博物館は28日まで、企画展「昔の道具~水と暮らし~」を開催している。電気洗濯機や五右衛門風呂など昭和時代を支えた94点を展示。同館の歴史担当の佐藤麻莉学芸員が2回にわたって解説する。 ◇ 昭和初期、洗濯は家事の中でも重労働であった。5人家族の洗濯物は、年間
―2023年を振り返って。 「当行は昨年末現在、預金等残高は5287億円で前年比14億円増、貸出金残高は2607億円で113億円増と悪くない内容だった。預金はコロナ禍対策の各給付金がなくなって伸び率が下がったが、貸出は不動産投資への資金などで好調。個人向けも住宅ローンの新商品提供など、てこ
ウトナイ湖野生鳥獣保護センターの救護室には、現在14羽の終生飼養の傷病鳥がいます。自動車や建物に衝突するなど、人為的な要因でけがをし保護されたものの、後遺症などにより自然復帰がかなわず、生涯にわたり飼養を余儀なくされた鳥たちです。 この中で最も飼養歴が長いのが、2010年に保護されたフ
子育てに追われ、社会とのつながりが希薄になっていく毎日。だんだん自分自身と向き合える時間が少なくなり、何が楽しいのかも分からなくなってきた時、知人からハンドメード作家やハンドマッサージ師、ネイリストが出店するイベントに出てみないかと声を掛けられ、起業の道が開けた。「自分が助けてもらったように人と人
―2023年を振り返って。 「半導体の供給が回復してきたことで、(自動車部品は)生産減につながるリスクがほぼ解消された。上半期(4~9月)は計画を上回り、売り上げ、営業利益ともに目標を達成できた。一方、10月以降は難しい状況になっている」 「22年度は過去最高の売上高142億400
国立社会保障・人口問題研究所による、日本の地域別将来推計人口の最新版(2023年推計)が発表されました。今回は、2020年10月1日現在の国勢調査報告が基準となり、50年までの30年間の推計人口が5年単位で公表されました。 苫小牧市の総人口は、20年の17万113人から30年後の50年には
―2023年を振り返って。 「新型コロナウイルス禍に伴う規制の緩和で、生産活動は徐々に戻ってきた。トレーラーやコンテナシャシーを生産するフルハーフ北海道は、フル生産しても追いつかないくらい忙しい。断熱パネルなどを手掛ける日経パネルシステム苫小牧工場も、食品関連の引き合いがあって好調。一方、
白老町社会福祉協議会と町ボランティアセンター主催の「第17回カレンダーリサイクル市」(8~10日)は大勢の人で活気づいた。取り組みはカレンダーの販売店が町内に少なく、町民による調達が困難なことから15年ほど続いている。 今回は全国81の企業、個人から5621点を集め、3日間の開催で17万8
「悩み事を抱える母親や子どもらに、食やおきゅう、はり治療で少しでも楽になってもらいたい」 昨年11月、苫小牧市花園町で「女性と子どものための鍼灸(しんきゅう)治療院NicoLani(ニコラニ)」を開院した。東洋医学の観点から、子育てに悩む母親らが健康に暮らしていけるようなケアをモットーにし
2022年の春、白老町に引っ越してきたばかりの頃、お隣のご夫婦から、町内にあるお店のうわさを聞きました。「”かのうち珈琲さん”のコーヒー、めっちゃおいしいよ!」 早速向かってみると、萩野の団地エリアの奥にぽつんと立つ小屋のような建物が、お店になっていました。明るい店
看護師の仕事も家事や育児も、すべて完璧でなければならないと思い込んでいた10年ほど前。追い詰められた心と疲れた体が発するSOSを、鎮痛剤でごまかしながら日々を過ごしていた。 そんな闇を払ったのは、リンパマッサージだった。凝り固まった体が解きほぐされ、元気を取り戻した。弱さも含めた自分らしさ
―2023年を振り返って。 「動きがどんどん加速した1年だった。ウイスキー専売業ベンチャーウイスキー(埼玉)の蒸留所着工は大きなインパクトがあり、ダイナックス(千歳)苫小牧工場のオフサイトPPA(電力販売契約)による太陽光発電設備の運用開始も一つのアピール材料になった。ここ数年で見ても比べ
◇女子サッカー 恵庭市にある北海道文教大学付属高校の女子サッカー部が、昨年12月30日からの全国大会に出場していました。キャプテンは苫小牧市から通っている生徒で、高校生活最後の試合です。ここまでいろんなこと、いろんな思いがあったと思いますが、最後まで全力を出して楽しんで試合ができていたなら
昨年4月、苫小牧市社会福祉協議会に採用され、もうすぐ1年がたとうとしています。 出身は北広島市で、苫小牧と深い縁はなかったのですが、苫小牧市社協では不登校や引きこもりの人に関する取り組みを熱心にしていることを知り、就職を希望しました。自分にも学校に行けない時期があったので、その経験を生かし
大みそかは愛知県の96歳の祖母宅で過ごした。娘であるわたしの母はすでに他界し、一軒家で一人暮らしをしている。同じ通りに住む人たちも亡くなられたり引っ越されたりして、新しい世代の人たちが建て替えて住み始めた。子どもの頃からのなじみだった急勾配の通り。学校帰りは子どもたちが集まり、よくこんな急な坂でと
防災教育や多文化共生を目指すNPO法人エクスプローラー北海道の代表と苫小牧市拓勇東町内会の副会長も務める二刀流。時代や文化の変化に対応しながらまちづくりに貢献してきた。 1970年2月に横浜市で産声を上げ、5歳の時に秋田県に引っ越した。意欲的で何事にも興味を示す性格だったという。
手術後、しばらく口から一般食を取ることができませんでした。点滴や栄養剤を胃ろうで補い、その期間の病床生活では常に上半身、特に胸から肩までを斜めに起こしていなければなりませんでした。身体を平らに寝かせると胃の中のものが逆流現象を起こすのですが、それを抑える食道の機能を病気で失ったからです。
支笏湖といえば水がきれいだというイメージをお持ちの方も多いと思います。支笏湖ブルーと呼ばれる透明度の高い水質は2007~17年度まで11年連続で日本一に輝いています。これは環境省による公共用水域水質測定による結果で、毎年行われているものです。 水質の指標となるのはCOD(化学的酸素要求量)
―2023年を振り返って。操業開始から半世紀の記念すべき年だった。 「一つの大きな出来事。私自身、1999年に現場職員として着任してから計4回、約12年間にわたって勤めてきた縁深い製油所。所長として節目を迎えることができたのは、うれしいタイミングだった。 新型コロナウイルス情勢の変
色鮮やかな光沢を放つ日本の伝統工芸品「七宝焼」は、金属板に色のついたガラス製の釉薬(ゆうやく)を盛って焼き上げ、花や風景を描く。苫小牧市美原町在住の田村かつ子さん(83)は50年ほど前から、七宝焼の魅力に取りつかれている。 きっかけは、長男が通う小学校のPTAサークルに七宝焼があったこと。
謹んで新春のお喜びを申し上げます。新年早々、能登半島地震が発生しました。被災地の皆さまが安心して過ごせる日々が少しでも早く訪れるよう祈っております。 昨年は私にとって、頑張って頑張って苦手なことと向き合い、挑戦し続けた一年でした。今年は、頑張り過ぎず、本音で生きてまいります。2024年の最
―2023年を振り返って。 「紙の生産は新聞用紙も印刷用紙も右肩下がりが続いている。日本製紙連合会の統計でも23年10月時点で、全国の新聞用紙は前年比9%減。苫小牧工場も同様に1割ほど減っている。21年に生産を始めた段ボール原紙も、中国などアジア圏の景気減速の影響を受けて、振るわなかった。
8日にNHK総合で黒澤明監督の名作「生きる」が放送されていた。1952年公開の映画を「なぜ、この時期に」と気になりながら録画し、久しぶりに見た。改めて、見事なストーリー展開に感嘆し、深いメッセージ性が心に響いた。 市役所の市民課長が主人公。30年間無欠勤でまじめな男ながら、事なかれ主義的に
―昨年を振り返って。 「屋台骨を支えてきた自動変速機(AT)の生産が限りなくゼロに近づく一方、ハイブリッド系の電動ユニットは徐々に増えた。2022年度は売上高1929億円で2年ぶりに増収に転じたが、23年度は当初の見立てよりも少し下がり気味に経過している。 新型コロナウイルスの5類
『昔は「でんき」の勉強をしていましたが、今は「てんき」の仕事をやっています。こんにちは、森和也です』というのが講演をさせていただく際の、つかみによく使う決まり文句です。 今から20年前、北見工業大学の「電気電子工学科」に席を置いているときには、まさか将来の自分が「でんき」ではなく「てんき」