わたしの時間 寂しさに寄り添える人に苫小牧市澄川町 渡辺(わたなべ) 悠希(ゆうき)さん(42)
- 2023年10月9日
苫小牧市高砂町にある浄土真宗本願寺派「慧證山正光寺」の僧侶です。「得度習礼(とくどしゅらい)」という研修と試験を受け、お坊さんになりました。門徒(檀家)のご自宅を日々、仏壇に祭られている方の月命日に合わせて伺い、お参りしています。 僧侶は各門徒の家庭と、密接な付き合いがあります。中には高齢
苫小牧市高砂町にある浄土真宗本願寺派「慧證山正光寺」の僧侶です。「得度習礼(とくどしゅらい)」という研修と試験を受け、お坊さんになりました。門徒(檀家)のご自宅を日々、仏壇に祭られている方の月命日に合わせて伺い、お参りしています。 僧侶は各門徒の家庭と、密接な付き合いがあります。中には高齢
踊りを始めて半世紀が過ぎた。夫の転勤で引っ越しを繰り返す中、行く先々で踊りを通して新しい仲間と出会ってきた。苫小牧では民踊サークル「白寿会」に長く所属し、昨年は全国規模の研究集会で講師も経験。「こんなにしわが増える年齢まで踊り続けるとは夢にも思わなかった。これからも体が動くまで踊り続けたい」とほほ
北海道大学の総合博物館の近くに「人工雪誕生の地」という石碑があります。これは、1935(昭和10)年に中谷宇吉郎教授が初めて雪の結晶を人工的に作ったことを記念したものです。中谷は「雪は天から送られた手紙である」という有名な言葉を残した物理学者であり、随筆家です。 私は明治・大正の文豪の生活
白老町役場には、熱意ある職員さんがたくさんいます。移住・滞在交流担当(政策推進課地域戦略推進グループ)主任の溝口泰子さんがその一人です。とても笑顔がすてきな30代くらいの女性で、役場で会うといつも笑顔で手を振って最近の世間話をしてくれます。 出会ったのは昨年の11月、白老町移住PR動画を作
前回のコラムでは「短い夏」と書きましたが、暑く長い夏だったのではないでしょうか。気温が高くなってきているせいもあるのか、サケやマスの遡上(そじょう)の数も年々減ってきているのだとか。毎年のように不漁というニュースを耳にしています。この時期のサケやマスは産卵をするために川へ戻って来るとされますが、そ
苫小牧発明研究会(事務局は電気工事西川組)は1985年の発足以来三十数年、「エコ遊び」や「宝起こし」などを毎年実施してきました。当時は、物が何でもある時代ではなく、自分たちが困ったことについて、いろいろと発想し、創造し、試作を何回も繰り返し、「ものづくり」をしてきました。そのことがきっかけで子供と
白老町内では各地で9日まで、芸術祭「ルーツ&アーツしらおい2023」が開かれている。今年は、昨年まで同祭の関連企画だった屋外写真展や旧竹浦小校庭を使った照明イベントが町民の手によって継承されていくのを目の当たりにした。 まちの歩みの中から生まれた文化を町民が支えていく。そんな動きが広がって
会う方によく言われます。「どれが本業ですか?」「なぜ、いろいろやるのですか?」と。 エステサロンで起業し、その周知のためにイベントに参加し、やがて自分で開催するようになりました。仕事とイベントとのバランスが取れてきた頃にコロナ禍で休業し、イベントも中止となりました。収入がなくなって、どうや
消費税のインボイス(適格請求書)制度が1日に始まった。正確な適用税率や消費税額などを、売り手が買い手に対して伝える請求書で、苫小牧市内でも各事業者や関係団体などが対応に追われてきた。これまで消費税を納めなくてよかった免税事業者が、不利益を被らないよう課税事業者に移行した例がある一方、印鑑店では思わ
理科教育に携わりたいという思いから、今年4月に指導員として、苫小牧市科学センターに勤め始めました。とてもやりがいがあり、楽しく働いています。 展示品の入れ替えや来館者に館内を案内する業務を担当しています。子どもから大人まで、そして外国人にも分かりやすいように説明するのは難しいですが、日々努
北日本の石油エネルギー製造、供給を担い続けてきた北海道製油所。国が掲げる2050年のカーボンニュートラル(CN、温室効果ガスの排出ゼロ)達成に向け、新たな挑戦が求めらている。石油をはじめとする化石燃料は、CN実現の目の敵にされる二酸化炭素(CO2)の排出源だからだ。近年の脱炭素化に向けた急速な動き
書道の道に進んだのは30歳の時。「少しでもきれいな字を書きたい」という気持ちで始めた。筆を執って半世紀以上が過ぎた今でも苫小牧市内の四つの書道サークルでつくる鶴心書道会の代表を務め、公募展に応募するなど精力的に活動している。 太平洋戦争が始まる前年の1940年1月に函館市で産声を上げた。小
2019年、苫小牧市の市民参加演劇で長年演出をされてきた鳥嶋清嗣郎さんから引き継ぎ、演出を担当することとなる。 しかしふたを開けてみると、退職後に自分の時間とお金をふんだんに使ってきた鳥嶋さんがつくり上げたシステムは、仕事と演劇を両立させる自分たちには少々酷な仕組みだった。参加者の作品へ向
北海道製油所には石油製品の安全・安定供給と共に重要なミッションがある。自然との融和。創業者出光佐三が目指した工場緑化の思いを託され、建設当初から「北の大地の公園工場」化を進めたが、潮風など悪条件との戦いは難航を極めた。初代所長・森久氏は、出光初の製油所である徳山製油所(山口県)の緑化にも携わったが
出光興産北海道製油所では操業開始から50周年の節目を機に、日本初という最新鋭の消火車両を導入した。毎分1万5000リットルの放水が可能で、石油コンビナートなど大規模危険物災害に備える。大型化学消防車、大型高所放水車、泡原液搬送車の通称「3点セット」などの充実を図る中、自治体や近隣事業所も体制の強化
北海道に来る前、東京の四ツ谷という町に暮らしていた。四ツ谷には映画「君の名は。」のメインビジュアルとなっている有名な階段が家の近くにあり、国内のみならず海外からも多くの人が訪れていた。その映画では、都会と田舎の男女が入れ替わって生活をするシーンが出てくる。 四ツ谷にいた頃の僕は映像制作会社
石油製品の安全、安定供給を最重要課題とする北海道製油所だが、大惨事となりかねない火災事故を繰り返した。2000年2月に重油直接脱硫装置から出火し、危険物を取り扱う施設が集積する苫小牧港・西港臨海部の石油コンビナートでは初の大規模火災に発展。パイプ内面の腐食が原因で、部品の取り替えなど再発防止を施し
19日に札幌市で開催された第75回全国理容競技大会で、苫小牧市内の理容師渡利勇太さん(36)に第1部門での優勝が告げられた時の動画を見た。本人だけでなく、周りの仲間や後輩の目からも涙があふれ出た。特別な思いの詰まった瞬間に立ち会えた気がした。 道理容生活衛生同業組合苫小牧支部長の青野秀博さ
エネルギーの安全・安定操業を通して、北海道の経済や産業の発展に貢献してきた北海道製油所。その象徴的な取り組みとなっているのが、4年に1度の大規模保全工事。高圧ガス保安法、石油コンビナート等災害防止法など各法に基づいた定期補修工事、シャットダウンメンテナンス(SDM)だ。石油精製の全装置を停止し、隅
祖父母の話。私には父方に96歳の祖母、母方に91歳の祖父と87歳の祖母がいる。高齢になり、認知症や足腰の弱りはあるが、今も施設や自宅で暮らしている。 父方の祖母は、祖父が亡くなってから数十年1人で暮らしており、近くに住んでいても私たち家族を頼ることはほぼ無い気丈な人で、散歩中にごみのポイ捨
苫小牧市真砂町のエネルギー業、出光興産北海道製油所は24日、操業開始から50周年の節目を迎えた。1973年から北海道や東北に石油製品を供給する一大拠点として事業を展開。同社創業者の出光佐三氏が第一義に掲げた「人間尊重」精神の下、地域と共に栄える理想を追求してきた。半世紀に及ぶ歩みに迫る。
昭和54(1979)年は、第2次オイルショックの中にある。第1次ショックのような騒動には至らなかったが、物価が上がり、景気は減速した。そんな中で策定された苫東第二段階計画では重厚長大の方針がなお続けられ、札幌通産局の寺田恵一局長が「苫東のマスタープランの設計者は経済問題の素人。土建屋的発想だ」とこ
地元に貢献しようと、苫小牧市の職員として市民生活課で働いています。今はコミュニティセンターやファミリーセンターの管理運営、町内会の補助金の審査などを担当しています。町内会関係者や市民から「ありがとう」と言われると、うれしいです。 入庁2年目で、考えていたよりも市の仕事には細かい事務作業が多
今年の夏は暑くて、いわゆる”北海道らしさ”がなかった。穂別のお店やガソリンスタンドに寄ると、「先生、これじゃ北海道に来たかいがないな」と声を掛けられた。涼を求めて来たわけではないのだが、「ほんとほんと、なんとかしてよ」と答えて笑い合う。自分もこの町に迎え入れてもらいつつある
白老町本町のしらおい創造空間「蔵」では、同町の美術振興に尽力する地元ゆかりの画家5人(小出昭三、染谷等、高橋淳一、田中照比古、村上和義)の作品を集めた「白老ゆかりの作家たち」が開かれている。 小出、染谷は故人だが、小出の描いた牛、染谷の表現した樽前山などからは、自然の力強さや躍動感を感じる
欧州の最西端にポルトガルは位置しています。欧州大陸の中では日本から最も離れている国ですが、16世紀末ごろから日本に来航して鉄砲を伝来、1860年に日本と修好通商条約を締結するなど、その関係は古くから続いています。 私はこれまでに2回ほど行き、首都リスボン、第2の都市ポルトに加え、ポルトガル
白老町若草町のポロトミンタラには、巨大なパッチワーク「アロアロ」(縦1・05メートル×横5・1メートル)が展示されている。作品はハワイとの交流を元にして生まれ、「アロアロ」はハワイ語で「上品な美しさ」や「信頼」を意味する。 制作のきっかけになったのは、アイヌ文様刺しゅうサークル
5年前の胆振東部地震が起きた日。 苫小牧市の交通の大動脈「国道36号」は、停電で信号機が止まって行き交う車の列が途切れなく続きました。あの日に限っては、横断歩道を歩行者が渡るのは大変困難でした。 私の住む有明町は国道の海側にあり、避難所や食品店は山側にあります。横断歩道を渡ろうとし
「店名の通り気『楽』にドアを開け、料理を『食』べてもらいたい」と店主松枝孝和さん(49)。15日に苫小牧中央ボウル1階部分でオープンした。繁華街で「一杯飲んで『町中華』を楽しめるような店にしたい」と意気込む。 松枝さんはこれまで苫小牧のホテルや札幌の中華料理店などで勤務してきた。中華一筋3
胆振管内にゆかりある作家の工芸品を展示した「胆振―生活と手仕事展」は、作家10人による200点以上の作品を白老町の中心市街地にある旧しらおい発掘堂に集めて開かれている。中には町出身の陶芸家、吉田南岳さん(64)や前田育子さん(55)らの作品も並ぶ。 前田さんは、器のほか大漁旗を再利用した手