苫小牧市介護者を支える会会長 菅原 裕子さん(78) 悩みや苦労和らぐように 心に寄り添い親身に支える 人と地域思い福祉活動に力
- 2020年8月22日
さまざまな団体で献身的な活動に取り組んできた菅原裕子さん(78)。認知症患者やその家族などを支援する「苫小牧市介護者を支える会」では2008年から会長を務める。「介護に対する悩みや苦労を抱える人の心が、少しでも和らぐように」と親身になって話を聞き、アドバイスもしてきた。「相談者が『話してよかった』
さまざまな団体で献身的な活動に取り組んできた菅原裕子さん(78)。認知症患者やその家族などを支援する「苫小牧市介護者を支える会」では2008年から会長を務める。「介護に対する悩みや苦労を抱える人の心が、少しでも和らぐように」と親身になって話を聞き、アドバイスもしてきた。「相談者が『話してよかった』
「焼き物は、俺が死んでもどこかで残る」と、自作の花瓶を見詰めながら力を込める。陶芸を習い始めたのは47歳。苫小牧市内で塗装工の会社を経営する傍ら趣味で始め、今では陶芸教室「楽遊窯」を自宅敷地内で運営する。「塗装は周期で塗り変えられてしまうから、大工のようにずっと形に残る物作りに憧れがあった」と振り
「私にとっての教育は、共に育つ(共育)という意味。子どもからたくさん教わった」―。そう語る斉藤けい子さん(73)は、夫の洋一さん(81)と一緒に娘7人、息子3人を育て上げた。長年、平和運動に携わっているのは、「自主自立」という子どもの教育方針も大きい。「自分の意見を持ちなさい、とわが子に言ってきた
鮮やかな黄色の外観にホッキのキャラクターの絵が目を引く苫小牧市港町の「ホッキ貝資料館」。一歩足を踏み入れると、貝殻に願い事を書いた「ホッキ絵馬」が鈴なりで出迎える。展示物は、ホッキの歴史や漁の説明パネル、工芸品、料理のレシピと盛りだくさん。「ホッキ水揚げ量日本一のまちを楽しく紹介できる場所にしたか
60歳以上の選手が所属するアイスホッケーチームの苫小牧キレンカで監督を務める曽根幹さん(70)。日本リーグ出場経験のある名選手も抱え、全国大会出場を重ねるチームで指揮する。監督就任4年目を迎え、「選手ではなく監督に専念してチームの勝利に貢献したい」と意欲的に語った。 苫小牧市出身。弥生中学
白老町萩野で社会福祉法人ホープが運営するフロンティア。障害のある人たちに働く場を提供し、生活自立と社会参加を支援する通所施設だ。イタドリの野草茶作り、広告チラシの印刷、アイヌ文様刺しゅうを施したコースターの製作―。40人余りが利用する施設の仕事は多岐に及ぶ。 「今度はこれを作って売ろうと思
1943(昭和18)年、苫小牧市表町18番地(当時)に開業した大門歯科医院を76年5月に亡夫から受け継ぎ、96年3月の閉院まで、30年間にわたり歯科医として市民の口腔(こうくう)の健康を見守ってきた。閉院後の現在も同じ町内に居を構え、海外旅行やハイキングなど趣味に人生をささげる。 36年、
「安心・安全であること、体に良いこと、おいしいこと、喜んでいただけること」にこだわり、農畜産物や海産物の加工品作りに取り組んでいる。若い頃からのさまざまな経験を得て1次産業と関わることを決め、農畜産施設の施工管理と有機肥料の生産・販売、農畜産品の販売を行い、道外の物産展にも積極的に出展している。
120年の長い歴史を誇る厚真神社で4代目宮司を務める。一昨年の胆振東部地震で社殿や社務所が全壊する憂き目に遭い、「波瀾(はらん)万丈でもなかったけれど、決して平たんでもなかったと思う。まさかこんなに大きな地震に遭遇するとは」としみじみ語る。「神社の再建を成し遂げるのが宮司としての役目」と自らに言い
幼少期から現在に至るまで「ずっと絵を描くことが好き」とほほ笑む。札幌に単身修行に出掛けた15歳から半世紀以上を広告看板制作にささげ、現在は悠々自適に油彩画を描いている。かつて看板などを手掛けた縁で、苫小牧市旭町のファッションメールプラザから依頼され、今年も同所で通算8回目となる個展「絵を楽しむ―遠
「おまえら、バレーボールやるぞ」。苫小牧バレーボール協会副会長の吉田直志さん(65)が光洋中2年生だった1968(昭和43)年の春、同競技に取り組んだ体育の授業中に教員から声を掛けられた。まだ9人制が採用されていたころ。とにかく突き指することが嫌で、それほど上手にプレーしていた覚えはないが、気付け
2018年に創立60周年を迎えた苫小牧漁業協同組合女性部。05年から約15年間、先頭に立ち、前浜産の海産物のPRや浜の活性化に向けて活動を続けている。持ち前のパワフルな明るさでメンバーから愛され、信頼も厚い。 1950年、苫小牧市浜町で3人姉妹の次女として生まれた。実家は4代続く漁師の本家
教職に就きながら陶芸の世界で活躍。退職後は海外でも認められる作家となった。元日本工芸会準会員で陶芸歴66年、教員生活は38年。「教育と芸術は、どちらも創意工夫が必要。新しいことに挑戦して、興味を引き付けなければならない」と共通点を見いだす。何事にも全力で取り組んできた経験の厚みが、数々の作品の力強
審判員として45年にわたり苫小牧の軟式野球を支えてきた沼袋謙さん(69)。的確なジャッジが高く評価され、現在も市内の朝野球大会の審判員を任されるほか、道内各地で開かれる上位大会、全国大会で主審を務めた実績を持つ。苫小牧の審判員の「レジェンド」と言える存在だ。2019年度をもって道軟式野球連盟苫小牧
今年3月に閉園し、48年の歴史に幕を下ろした樽前保育園。2代目園長の鴻野憲征さん(81)は、その閉園をひときわ特別な思いで見届けた。「忙しかったけれど、やりがいがあって楽しかった」と朗らかな笑顔を見せる。 鴻野さんは、7人兄弟の4番目として伊達町(現伊達市)で生を受け、室蘭栄高校に進学した
「私の兄が小学生の頃、スキーをしている時、他の児童のストックが目に刺さって失明したんです」―。苫小牧スキーパトロール赤十字奉仕団委員長を務める山本茂夫さん(66)はスキーパトロールを目指したきっかけについて、4歳離れた兄の事故の思い出を明かす。 「早く手当てしていたら、早く病院で処置できて
「きょうの11時59分までに食べてね。午前0時を回るとガラスに変わるよ」。軽妙なジョークに訪れた客が沸く。販売するのはカニなどを使った「押しずし」。道の駅ウトナイ湖内のすし店海鮮パーク。店主の滝本博さん(71)の愛称は「カニおやじ」だ。 「子どもの頃から内気で引っ込み思案。学芸会は立ち木の
今年20周年を迎える社会人硬式野球クラブチーム「オール苫小牧」の監督を務める本野伸一さん(64)。輝かしい選手時代を過ごした猛将は「これからも『生涯現役』の気持ちで野球に打ち込んでいきたい」と意欲を語った。 苫小牧市出身。物心ついた頃からバットとボールに触れていた。その才能が開花し、啓北中
呼吸がつらい。体が思うように動かない。苦しみながらも一歩一歩、山の斜面を踏みしめる。頂上が見えてきた。あと少し。自分を励まし、ようやく登り切った時、生きている喜びで胸がいっぱいになった。昨年夏の樽前山登山。がんの闘病生活を続けながらの挑戦は3年を数えた。 マラソンを生きがいにし、健脚を誇り
「あ、園長先生だ!」。目を輝かせ、駆け寄る子どもを優しく抱き止める。懸命に話す子どもの口に耳を寄せ、「うん、うん」と楽しそうに相づちを打つ。幼稚園教諭として歩み出してから半世紀が過ぎた今も、認定こども園の園長として現場に立ち続けている。願いは一つ。「命ある限り、子どもと一緒にいたい」 樺太
苫小牧を拠点にさまざまな施設や会館を訪れ、参加者と歌謡曲などを一緒に歌う「お茶の間歌声喫茶 山椒魚」の店主を務める。妻恵子さん(71)と2人で始めた取り組みが広がりを見せ、「うたごえで、健康・連帯・平和を!」をモットーに、仲間と共に演奏を楽しみながら参加者を笑顔にする。 札幌市出身。中学時
厚真、安平、むかわの3町を抱える胆振東部消防組合(本部・厚真町)の発足時から約40年、あらゆる防災に力を尽くしてきた。早来支署長をはじめ、追分出張所長、安平支署長などを歴任し、特に生まれ育った旧早来町、現安平町の防災に大きく貢献した。慌ただしかった一線を退き、静かな日々を送る中、「40年って聞くと
苫小牧市内で最も古いダンススクールの開設者、青木憲隆さん(77)は、社交ダンスの魅力に触れて以来50年間、選手として、プロの指導者として活躍を続ける。小さな頃から体力自慢。野球に打ち込み、ボブスレーの五輪強化選手になったこともある。「一生ダンスに関わっていきたい」。美しく伸びた背筋と柔和な笑顔で話
「苫小牧で一番になりたいという願いを込めてこの店名にしたんだ」。苫小牧市澄川町2の電器店「エース電器」の新谷新一社長(71)は照れながらも笑顔で教えてくれた。 1948年、桧山管内厚沢部町で4人きょうだいの3番目として生まれた。実家は米農家だが、昔から時計やテレビなどを分解して
北海道発祥の「下の句かるた」は、百人一首の下の句を読み上げ、その句が書かれた木札を取る遊び。冬の風物詩として道内の家庭で親しまれてきた伝統文化を継承しようと、全日本下の句歌留多協会苫小牧支部に当たる苫小牧樽前歌留多倶楽部会長の木澤誠次さん(78)は、30年以上普及活動に取り組み、市内の子どもたちへ
長岡造園(苫小牧市新明町)の長岡茂会長(70)は、造園一筋50年のベテラン職人。苫小牧市内の公園木や街路樹の剪定(せんてい)作業と植樹を続けてきた。「かつて苫小牧は緑の少ない場所だったが、ようやく街に樹木が増えてきてうれしい」と語る。 長岡さんの父親は造園会社長岡組(長岡造園の前身)の社長
跳ぶ、回る、ひねる、支持する―。人体の無限の可能性を感じさせてくれる体操競技が大好きだ。だからこそ、半世紀に到達しようとしている競技指導人生では、教え子たちにいつも同じことを伝える。「楽しく続けること。それが一番だ」と。 小中学生のころは「巨人、大鵬、卵焼き」の真っただ中。長嶋茂雄らプロ野
苫小牧市内の保育園に作品を贈り続けるボランティアサークル「キルト・ポエムとまこまい」の代表を務める苫小牧市春日町の三澤洋子さん(79)。ぬくもりのある手作りのおもちゃを子どもたちに届けたい―と制作したキルト作品を年に一度、市内の保育園に寄贈している。「子どもたちが喜ぶ姿を見ると、また頑張って制作し
苫小牧市内の朝野球強豪チーム「オールスターMI」のオーナーを務める岩﨑美江子さん(90)。10年以上にわたり、朝野球のビックタイトルにもなっている苫小牧民報社など主催の大鷲旗や苫小牧商工会議所会頭杯で幾度となく栄冠を勝ち取っている強豪チームの「個人オーナー」としてチームを支えている。90歳を迎えて
スキューバダイビングのインストラクターを40年以上務めてきた苫小牧市明徳町の辻冨雄さん(75)。日本のスキューバダイビングの黎明(れいめい)期からの愛好者で、これまでに教えたダイバーは約230人に達する。長年の指導の実績なども評価され、スキューバダイビングの世界的な教育機関PADIから表彰を受けた