人生の大きな転機を50歳で迎えた。損害保険会社に勤めていたが、突き動かされるような気持ちのままに退職。キリスト教を学び伝える道に進んだ。牧師となり8年を迎えようとしている今、新型コロナ禍や物価高騰、人間関係の希薄化といった社会情勢の中、自分は地域のために何ができるかを模索し続けている。「信仰や宗派などに関係なく、悩んでいる人の気持ちを少しでも軽くできるような働きができれば」。それが、この地に遣わされた者の使命に感じている。
京都府八幡市で3人きょうだいの長男として誕生。幼児期に福島県の福島市に家族で転居し、郡山市で高校生時代を過ごした。福島市内の大学に進学して経済学を学び、山形県内の企業に就職。その後、広告代理店や保険代理店などで勤務してきた。
社会人としての経験を重ねる一方で、次第に自分の人生に思い悩むように。生きる上でのヒントを得ようと、さまざまな宗教について学んだ。特定の信仰は持っていなかったが、50歳を手前に教会に通い始めたことで光を見いだした。ある日、牧師の話を聞くうちに心が大きく動かされるのを感じ、神学校に行くことを決意。「石橋をたたいても渡らない慎重な性格だけど、この時ばかりは我ながらすごい行動力だった」と振り返る。
仕事を辞め、50歳で埼玉県川越市の日本キリスト教会神学校に入学。4年間の課程を終え、札幌市の教会で牧師としての学びを重ねた後、2016年11月、苫小牧のプロテスタント系教会では最古の日本キリスト教会苫小牧教会に牧師として着任した。
初めての土地での慣れない仕事。苫小牧教会の伝道開始から100年を迎える記念事業も控え、無我夢中の日々を送った。そんな中でも、信者かどうかは一切問わず、人生に悩む市民の相談にも耳を傾けてきた。中には生活が困窮し、「お金を貸してほしい」と助けを求める人もいた。
しかしコロナ禍を境に、そのような苦しみの声が教会に届かなくなった。「みんな幸せならそれでいいのだが、悩んでいる人は今も絶対にいるはず」。コロナ禍で切れてしまった地域との縁をつなぎ直すため、地域に開かれた教会を目指そうと発案。市内の合唱サークルの練習場所として教会の施設を開放したほか、7月には日本を代表するオルガニストを招いたパイプオルガンコンサートも開催。市民が気軽に足を運ぶ機会の創出に取り組んでいる。
「自分も失敗だらけの人生だった。孤独の中で辛い思いを抱えているのではなく、駆け込み寺のような場所として教会を使ってもらえれば」。地域コミュニティーの中で果たす役割を日々、考え続けている。(姉歯百合子)
◇◆ プロフィル ◇◆
丸徹(まる・とおる) 1959年2月生まれ。神学校の在学時、小樽市の教会での実習を機に北海道が大好きに。世界平和について学び、考える市民グループ「思想と信教の自由を守る苫小牧市民会議」の代表を務める。苫小牧市本町在住。