岩倉博文苫小牧市長は2006年7月の就任以降、持ち前のリーダーシップを発揮してきた。前市長が不祥事により任期途中で辞職したことを受け、市役所の信頼回復や組織改革に力を注いだ上、公約でも最重点に掲げた財政健全化を着実に進展。一般会計は12年度からこのほど認定した23年度まで、11年連続で10億円超の黒字を達成。将来に向けて財政基盤を強化した。
ハード面では、衆院議員を経て培った人脈や腕力などを背景に、国や道などへの粘り強い要望を続け、次々と「長年の悲願」を達成した。20年12月には道央自動車道・苫小牧中央インターチェンジ(高丘)が開通。港湾管理者として本道最大の物流拠点、苫小牧港の港湾機能も強化。23年1月には東港周文埠頭(ふとう)で新岸壁が着工し、27年度の本格使用開始に向けてつち音を高くする。
ソフト面では、福祉やごみゼロなど政策課題に1年かけてまちぐるみで進める市独自キャンペーン、「大作戦シリーズ」も市長公約で、市民の機運醸成につなげた。市公式キャラクターとまチョップ誕生、道内初の男女平等参画都市宣言、ヤングケアラー支援条例の制定なども進めた。さらに脱炭素化を進めるゼロカーボンシティ宣言、この春の子育て支援拡充など、常に時代の先を見据えて取り組んできた。
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一方、14年8月にJR苫小牧駅前の旧商業施設「苫小牧駅前プラザエガオ」が閉鎖して以降、「旧エガオ問題」は解決まで約10年を要した。民事訴訟にまで発展して市が敗訴し、長らく空きビルが駅前にある事態に、「市長が決断できないからだ」などの批判がくすぶった。
カジノを含む統合型リゾート施設(IR)の誘致も、19年に道が見送りを表明して事実上立ち消えとなったが、岩倉市長は意欲を絶やさず争点を残した。
目立った失政は見当たらなかった岩倉市政だが、市長5期は苫小牧市政史上2人目で、多選批判やマンネリ化の指摘も。市長選では「岩倉1強」ともいえる強さを誇ったが、無風は18年のみだった。
ただ、岩倉市長はそれらをはねのけ、苫小牧の発展に汗を流した。病気から回復途上だった今年6月には、最重要課題だった苫小牧駅周辺の再開発に向け、土地の一部を所有する不動産業の大東開発(苫小牧市若草町)と合意にこぎ着けた。26年には解体に着手する計画も打ち出し、駅前から動線をつなぐ複合型施設市民文化ホールも同年3月にオープンする予定だ。
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岩倉市長の後任を決める市長選は12月1日告示、同8日投開票で行われる。政財界を中心に「岩倉市長だから、できたことがある」という声は多く、新たな市長が後継として力を振るえるかは未知数だ。道9区(胆振、日高管内)から与党の代議士がいなくなり、先行きに不安感をのぞかせる声も少なくない。
苫小牧商工会議所の宮本知治会頭は「今後も苫小牧は国費が必要となる。市長は国政とのネットワークがないと。このままでは有力視されてきた海底ケーブルもどうなるか分からない」と注文。苫小牧港をPRするポートセールスなどを岩倉市長と取り組んできた苫小牧港開発の石森亮前顧問会長も「(岩倉市長は)衆院議員で培ったネットワークが生かされていた。若い人たちがどう引き継いでいくかが大事」と説く。
岩倉市長は、駅前問題やカーボンニュートラルなど「市政は今、脚光が当たる部分と心配な部分がある」と指摘する。新市長には岩倉市政が積み残した取り組みの継続や見直し、人口減少や少子高齢化対策、老朽化が進む公共施設の方向性の決定など、差し迫る課題の解決が求められる。岩倉市長は辞意を表明した臨時記者会見で後継は指名しなかったが、「新しいリーダーの下、全員が力を合わせてやってくれると思っている」と期待を寄せた。
(この企画は報道部・石川鉄也が担当しました)