郷土の自然誌◇9 渓谷の滝と岩が工業都市を造った 今も残る「仮発電所」の痕跡 ネッソウの滝と千歳川渓谷
- 2025年5月12日
平常時は枯れ滝となるネッソウの滝春の放水でよみがえったネッソウの滝滝の上流の翠明橋仮発電所の送水路と思われる滝の横の斜面の掘り割り 支笏湖への入り口に「翠明橋」という、さほど大きくない古い橋がある。千歳川渓谷に架かる橋で、ここを渡って坂を登り、2、3度カーブを曲がると支笏湖である。この橋の下流にある
平常時は枯れ滝となるネッソウの滝春の放水でよみがえったネッソウの滝滝の上流の翠明橋仮発電所の送水路と思われる滝の横の斜面の掘り割り 支笏湖への入り口に「翠明橋」という、さほど大きくない古い橋がある。千歳川渓谷に架かる橋で、ここを渡って坂を登り、2、3度カーブを曲がると支笏湖である。この橋の下流にある
およそ120年ほど前の、この滝の写真が残っている。見ると、現在の放流時の3倍ほども幅が広い。瀑布と言ってよい。滝の上の川岸には何軒もの家が立ち並んでおり、今でもその辺りの地名を「滝の上」という。渓谷に暮らした人々の息吹を感じる地名である。「仮発電所」というのは25坪ほどの木造で、発電量は500㌔㍗
支笏湖は湖水の透明度が高いことで有名だ。青々とした色は「支笏湖ブルー」といわれる。透明で青く見える湖をこの目で見たい、そして湖の中を泳ぐヒメマスを見たい。そんな期待を胸に、水中を観察できる遊覧船に乗った。■遊覧船から水中を眺める50人乗りの遊覧船「サファイア」が、桟橋に着いている。遊覧時間は約3
明治から大正時代の北海道の様子を記した公報誌「殖民公報」に、阿寒湖のヒメマスについて次のような記録がある。「釧路國阿寒湖に特産の鮭・鱒族の一種あり、カバチェッポ(アイヌ名)と稱す…」。以下、現代用語で概要。「大きさは8、9寸(約24~27㌢)背は深緑色、腹部は銀白色、肉色は紅色ですこぶる脂肪に富み
石切り場跡を公園にした「石山緑地」 私たちが住む大地をつくった出来事の一つに、支笏火山の噴火があるということは、このシリーズで何度か触れている。その噴火の形跡が、柱状節理や札幌軟石という岩の形で残っているという。それを見ようと支笏湖と「石山緑地」を訪ねた。 ■遊覧船からの眺め 柱状節理は、支笏
苫小牧市内に残っている軟石づくりの建物は数少ない。錦町・すずらん通りの元中島呉服店石蔵と竹本呉服店石蔵、それに大町・新川通の旧小野質店石蔵がそれで、札幌軟石、あるいは登別軟石を使っていると考えられている。札幌軟石は支笏火山(支笏湖)、登別軟石は倶多楽火山(倶多楽湖)の噴火による凝結溶灰岩。倶多楽火
1933(昭和8年)、美笛川(千歳川)の河口から9㌔㍍ほど山奥に入った沢の上流で、金鉱石の露頭が発見された。ほどなく中島飛行機の子会社の中島鉱業が鉱業権を得、36(昭和11年)には千歳鉱山株式会社が創立され、本格的な操業を開始した。 鉱石の質は実に良く、数年で道内では鴻之舞(紋別)に次ぐ規模の鉱
支笏湖温泉街の北に紋別岳(865・6㍍)がある。支笏カルデラの外輪山の一つである。その北側には湖岸からやや離れてイチャンコッペ山(828・7㍍)があり、夏なら初心者でもひと汗かけば登ることができる。山頂からは支笏湖周辺ばかりでなく札幌方面の山々も眺められ、支笏カルデラ形成以前の風景まで想像ができる。
紋別岳近くの外輪山から見た丹鳴岳、恵庭岳とその右奥の漁岳空から見た紋別岳と支笏湖温泉周辺 支笏湖温泉街の北に紋別岳(865・6㍍)がある。支笏カルデラの外輪山の一つである。その北側には湖岸からやや離れてイチャンコッペ山(828・7㍍)があり、夏なら初心者でもひと汗かけば登ることができる。山頂からは支
火山は多くの恵みを人々に与える。温泉、そして硫黄。 恵庭岳の場合、温泉は丸駒温泉が有名で、大正4年の創業。創始者の佐々木初太郎氏はもともと王子製紙千歳川水力発電所の建設に携わっていた。昭和40年代まで道がなく、湖畔(支笏湖温泉)との間を船で行き来した。 硫黄に関しては、ポロピナイの湖岸に「
弧を描く支笏カルデラ。(写真上部左から)イチャンコッペ山、紋別岳、キムンモラップ、モラップの山々が連なる「第一見晴らし」から山頂の岩塔と火口を眺める■巨大な岩の塊恵庭岳の登山口は、ポロピナイの札幌側にある。山体は切り立った三角すいで、その東側に上部を吹き飛ばしたような爆裂火口と、その下に続く深い沢が
支笏湖北側にそびえる恵庭岳(標高1320㍍)は山頂の岩塔が特徴的で、現在も爆裂火口から噴煙を上げている火山だ。アイヌ語の「エ・エン・イワ」を名の由来とし「頭・とがっている・山」という意味だという。その恵庭岳の上から、支笏湖や周辺の山々の様子を眺める。 ■巨大な岩の塊 恵庭岳の登山口は、ポロ
かつて、風不死岳の登山ルートとして大沢コースというのがあった。大沢は支笏湖に向かって大きく口を開いた沢で、登山路があるわけではなく、険しい沢沿いに進み、何度か涸(か)れ滝を回り込む難しいルート。人身事故があったため「北尾根コース」が開かれた。この大沢が「金次郎の沢」と呼ばれたことがある。「金次郎」
樽前山の北西に位置する風不死岳(1102・5㍍)は、約2万6000年前に支笏湖の南岸に噴出した火山だ。樽前山、恵庭岳とともに「支笏三山」と呼ばれることもある。その山に登り、大地の成り立ちを感じ取る。風不死岳山頂から見た樽前山。火口原と溶岩ドームの様子がよく分かる。写真下部に山頂プレート(裏面)
樽前山の自然誌を紡ぐ時、大きく三つの要素がある。火山、動植物、そして人との関係である。行政的にいえば火山防災、自然環境保護、そして観光である。現状では、観光は安全登山と言い換えることもでき、登山者と登山路の在り方がクローズアップされている。■オーバーユース 樽前山の登山者数は年間3万人とも
昭和20年代初めより以前、苫小牧からの樽前山登山は、錦岡から山麓林を経て西ピークに到るコースが普通だったようだ。昭和7年に秋元重則という人が記した、樽前山登山案内「山への導き」という手作りのガイドがある。ガリ刷り(孔版印刷)で「発行 苫小牧町」とある。それによると「室蘭線錦多峰(錦岡)駅より麓