母校率いて春夏連覇―沖縄の野球が完成〔高校野球・我喜屋優さんに聞く(下)〕
- 2022年5月7日
1968年夏の甲子園を沸かせた興南の主将だった我喜屋優選手は卒業後、大昭和製紙(静岡県富士市)に入社して社会人野球の世界に入った。数年後、大昭和北海道(白老町)へ。沖縄で生まれ育ち、縁あって北海道が生活の拠点となった。その間、故郷は本土に復帰。自身は都市対抗大会で優勝し、後に監督を務めた。2006
1968年夏の甲子園を沸かせた興南の主将だった我喜屋優選手は卒業後、大昭和製紙(静岡県富士市)に入社して社会人野球の世界に入った。数年後、大昭和北海道(白老町)へ。沖縄で生まれ育ち、縁あって北海道が生活の拠点となった。その間、故郷は本土に復帰。自身は都市対抗大会で優勝し、後に監督を務めた。2006
沖縄県の高校野球史に、選手としても監督としても輝かしいページを記した。興南の野球部監督で以前は白老町で暮らしていた我喜屋優さん(71)。米軍統治下に置かれていた1968年、夏の甲子園で我喜屋主将の興南は旋風を巻き起こした。沖縄勢初の2勝、さらに勝ち進み準決勝進出。大会後、船で沖縄に戻ると盛大に迎え