時代を生きて 苫小牧シニア倶楽部代表 濱口 正光 さん (70)勝利の喜び原動力に 古希迎えなお野球と向き合う
- 2025年4月19日
今年度、軟式野球の苫小牧シニア倶楽部で代表に就任した。幼い頃に三角ベースで遊んでいたころから野球が好きという気持ちを動力として、競技に取り組み続ける。社会人野球で活躍し、現在の苫小牧シニア倶楽部まで野球を楽しんできた。倶楽部の代表として「選手一人一人の肉体、精神的な状態を気にかけるなど、視野を広げて
今年度、軟式野球の苫小牧シニア倶楽部で代表に就任した。幼い頃に三角ベースで遊んでいたころから野球が好きという気持ちを動力として、競技に取り組み続ける。社会人野球で活躍し、現在の苫小牧シニア倶楽部まで野球を楽しんできた。倶楽部の代表として「選手一人一人の肉体、精神的な状態を気にかけるなど、視野を広げて
「AIスーツケース」は内蔵のコンピューターやセンサー、カメラを使って通行人や障害物を避ける=1月22日、東京都江東区 盲導犬の代わりに視覚障害者を誘導するロボット「AIスーツケース」の実証実験が、4月に開幕する大阪・関西万博の会場で行われる。最新モデルでは生成AI(人工知能)で使われる技術を活用し、
人手不足が深刻化する介護現場で、短時間の「スポットワーク」や有償ボランティアを活用し、人材を確保しようとする動きが広がっている。介護職の資格がなくてもできる業務を担ってもらうことで、現場の負担を軽減する狙いがある。厚生労働省は「介護現場との接点を持ってもらうことで、新たな人材の掘り起こしにもつなが
政府が2月に決定した新たな「エネルギー基本計画」は、急増する電力需要に対応するため、原発を「最大限活用」する方針を打ち出した。2011年の東日本大震災後、可能な限り原発への依存度を減らす方向に舵を切った政策の再転換だ。発電時に二酸化炭素(C O2 )を出さない原発を脱炭素電源と位置付け、40年度の
まちに恩返しを―。そんな思いを長年抱き、いろんなことをしてきた。暮らす地域のため、35年間にわたり苫小牧啓北町内会会長を務め、2021年から名誉会長に就任。生まれ育った厚真町のため、苫小牧厚真会の会長は今も続けている。これらの多年の功績が認められて、昨秋には国から叙勲も受けた。「自分はいい時代を過ご
36歳の時、夫が病で急逝。幼い3人の子どもと、夫婦で切り盛りしていたコンビニエンスストアを守るため、無我夢中で生きてきた。60代を手前にようやく一息ついたころ、自身の生き方を見詰め直す学びと出合った。物事の捉え方が変わり、人とのつながりの大切さも再認識。仕事の傍ら、学ぶ楽しさを味わっている。「まさか
ミラノ・コルティナ五輪最終予選を3戦全勝の1位で終え、喜ぶ日本代表の選手ら。中央は小池詩織主将=2月9日、ネピアアイスアリーナミラノ・コルティナ五輪最終予選の中国戦でプレーする伊藤麻琴(手前右、19番)=2月9日、ネピアアイスアリーナ アイスホッケー女子の2026年ミラノ・コルティナ五輪最終予選が2
約半世紀にわたり白老の地域住民に愛されたスーパーくまがいの運営会社、熊谷商店の会長。2007年には道が選ぶ「いってみたい商店街&お店」の最高賞である大賞を受賞するなど地域に密着したユニークな営業戦略が評価された。昨年8月、道内中堅スーパーへ事業譲渡したものの生鮮品の目利きや手腕に焦点を当てた番組が
むかわ町穂別で「j&ow木村時計・眼鏡店」を営む。穂別で生まれ育ち、商工会の会員、消防団員として活動を長年続けてきた。時計や眼鏡の販売、写真スタジオなどを開設し、町内外から利用者が訪れている。技術の向上に意欲を燃やし、昨年は地域への貢献が認められ、叙勲の瑞宝単光章を受章した。1952年3月、穂別で
自民・公明両党は昨年12月、所得税の課税最低基準である「年収103万円の壁」を123万円に見直す方針を2025年度の与党税制改正大綱に明記した。実際に引き上げられれば30年ぶり。ただ、先の衆院選で議席を増やした国民民主党は、当初から主張する178万円案を取り下げていない。通常国会では、3党間の今後
ノーベル平和賞のメダルと賞状を受け取る日本被団協の代表委員ら=2024年12月10日、オスロ(時事) 2024年のノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、核兵器廃絶への思いを新たにして、被爆から80年の節目の年を迎えた。核兵器を取り巻く国際情勢は厳しいが、被爆者は「核と人
旧優生保護法(1948~96年)に基づく強制不妊手術の被害者らへの補償法が施行された。手術を受けた本人に1500万円、配偶者に500万円の補償金を支給する。いずれも亡くなっている場合は遺族が請求できる。人工妊娠中絶の被害者には、一時金200万円を支払う。国は被害者らの申請手続きを弁護士が無料でサポ
手からファイヤー、何の変哲も無い帽子からコーラが次々と出てくる。持ちネタは200種類以上で、お年寄りや子どもたちを前に見事なマジックを披露。「あっと驚く顔が見たい」と笑顔を見せながら、マジックで人々をとりこにしてきた。空知管内由仁町で産声を上げ、新冠町など道内を転々と移り住んだ。小学校3年生の時