火消しの精神息づく「龍」 (5)
- 2021年6月25日
消防と龍 戦前、戦後を経た1948(昭和23)年、消防組織法が施行された。これにより警察行政の一部であった消防は警察から分離し、各市町村の責任とする自治体消防が発足した。 同年に市制施行となった苫小牧市においても、市消防本部、市消防署、市消防団が誕生した。新体制は、消防職員(署長以
消防と龍 戦前、戦後を経た1948(昭和23)年、消防組織法が施行された。これにより警察行政の一部であった消防は警察から分離し、各市町村の責任とする自治体消防が発足した。 同年に市制施行となった苫小牧市においても、市消防本部、市消防署、市消防団が誕生した。新体制は、消防職員(署長以
コイノボリ大火の翌年、1922(大正11)年に苫小牧町は消防組詰所の建設、ガソリンポンプや腕用ポンプの追加購入、沼ノ端・錦多峰の私設消防組を設立するなど消防組織の改編や設備の導入を積極的に行った。一方で、火防線の設置や地番改正など、大火の教訓を生かした新しいまちづくりに取り組んでいた。 そ
コイノボリ大火が発生した時、消防組には消火設備として1919(大正8)年に購入した最新鋭の飛行機式12馬力ガソリンポンプ1台と、腕用ポンプ3台があった。しかし、ガソリンポンプは分解整備中で使えなかったという逸話が残されている(今回の展示準備中に、王子製紙の消防組が所持するガソリンポンプで消火活動を
1921(大正10)年5月1日、日曜日の午後1時20分ごろに、三条通6丁目付近から火災が発生した。 火は町の中心部であった本町、幸町、元町を焼き尽くし、海岸まで燃え広がった。わずか2時間半で町役場、警察、郵便局、学校などの町の主要施設を含む1007戸(全焼998戸、半焼4戸、倒壊5戸)を焼
苫小牧市美術博物館で7月4日まで、企画展「コイノボリ大火と苫小牧消防史」が開かれている。同館の佐藤麻莉学芸員が、大火を中心に市の消防史を5回にわたって解説する。 1894(明治27)年、消防組規則の制定を契機に全国で公設消防組が次々につくられた。 苫小牧では、81(同14)年から89(