昨年、25年ぶりだろうか。苫小牧を訪ねた。とある講演会。その時に隣席にいらしたのが苫小牧民報の宮本社長。北海道の思い出や文筆業をしていることを話したことがきっかけとなり、わたしのまだ知らぬ苫小牧の魅力を聞かせていただいた。そんなご縁で愛知県出身、現在は東京在住のわたしが、連載をさせていただける運びとなり、ありがたい限りである。
さかのぼること25年。大学を卒業してすぐ、名古屋―仙台―苫小牧を結ぶ太平洋フェリーの中で、船内MCの仕事をしていた。毎夜ラウンジで、お客さまのリクエストに応えながらの歌謡ショーがある。生ピアノの伴奏というぜいたくなショータイムだったが、わたしは、その司会のお仕事。
ある寒い冬の晩。波は強く、船は揺れ、わたしはピアノにつかまりながらごあいさつをした。「船の旅、楽しんでいらっしゃいますか? こんばんは」。揺れもあり、部屋で休まれている方が多いのか、ラウンジに集まったのはぽつりぽつりと数人のお客さま。
「リクエストございますか?」と声を掛けると、一人でいらしていた中年の男性が手を挙げた。グレーのタートルネックにグレーのハンチング、コーデュロイのパンツ。ドラマでみる刑事のようなその男性は「夜来香(イエライシャン)リクエスト」とおっしゃった。李香蘭さんの歌うチャイナメロディーの代表曲らしい。美しいピアノに乗って女性歌手が歌う夜来香は、荒波に揺れる冬の船旅にぴったりであった。
「では次のリクエストどなたかございますか?」の声に、手を挙げたのは先ほどの男性だけ。「えーと、同じ方ですが…」と言いながら、拙い司会のわたしはどうすればよいか分からず、その男性にリクエストを聞くと「夜来香」とおっしゃった。
またですか? と、そこにいた全員が思ったと想像する。仕方なく2度目の夜来香を。男性は目をつむりながら涙をこぼした。3度目のリクエストで、またその男性が夜来香。それが5度目まで続き、その晩は、夜来香を5回も聴いたところで、お開きとなった。
「皆さま太平洋フェリーの旅、この後もお楽しみください。あすは苫小牧に到着いたします」。締めのあいさつの時、ラウンジにはすすり泣く男性とわたししかいないという、なんともシュールな夜であった。
今になれば、あのお客さまは中国の方だったのかな、とか、かつての愛する人を思い出したのかな、とか、すすり泣く男性に心寄り添おうと努力できるが、まだ20代の臨機応変さがないわたしには、初めての夜来香も、初めての人前で泣く中年男性の対応も、荷が重過ぎて倒れそうだった。
部屋へ戻り一息ついて窓から外を見るとどう猛な波が窓に打ち付けていた。北の海はわたしの知っている海とはほど遠かった。あすは憧れの北海道。苫小牧に着く。(タレント)
あおき・さやか 1973年愛知県生まれ。名古屋学院大学外国語学部卒業後、2003年ワタナベエンターテインメント所属。テレビのバラエティー番組、リポーター、ドラマ、舞台のほか「母」など執筆活動でも注目される。