松下氏は午後8時15分すぎ、苫小牧市若草町の選対事務所に姿を現し、「ひとえに私が至らなかった。誠に申し訳ありません」と支援者に深く頭を下げた。
自民党派閥の裏金事件などによる逆風はやまず、新内閣発足から総選挙まで戦後最短と準備時間も限られた中、松下氏は「私はあくまでチャレンジャーとして臨んだ」と敗戦の要因を一身に受け止めた。
その上で「ご期待を寄せていただいたところは確かに感じた。そうした声に真摯(しんし)に耳を傾けていかなければいけない政党として、自民党は生まれ変わらなければいけない」とし、今後については「胆振、日高のために働く覚悟はあるが、関係者と話し合って決めたい」と述べるにとどめた。