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爆撃機「飛龍」墜落から70年 遺族や関係者、兵士らの冥福祈る

2015/7/15配信

 終戦1カ月前の1945(昭和20)年7月15日、日本陸軍の重爆撃機「飛龍」が苫小牧市柏原に墜落し、搭乗の若い兵士6人が命を散らした。あの悲劇からきょうで70年―。飛龍の佐藤久市機長=山形県出身=の遺族や関係者が15日、墜落現場にある慰霊碑で70回目となる慰霊祭を行い、兵士らの冥福を祈った。佐藤機長のめいに当たる水戸ともみさん(74)=山形市=は「若い人の命が奪われる戦争は絶対に起こしてはいけない」と、戦後70年の節目に平和への思いを語った。

 慰霊祭には、ともみさんと夫の寿也さん(68)の他、慰霊祭実行委員の井上芳郎委員長(83)や佐々木昭彦苫小牧市副市長、地域住民など14人が参列した。水戸さん夫妻が訪れたのは2010年以来、5年ぶり。

 慰霊碑の前に設置された祭壇には、佐藤機長の遺影や遺品、飛龍の残骸なども添えられた。参列者は読経に合わせて焼香、原野で無念の死を遂げた兵士らの安らかな眠りを祈った。井上委員長はあいさつで「墜落して大きな火柱が上がり、黒煙が昇った」と墜落時の様子を回想。「時代や人が変わろうと兵士らの碑を守っていく」と力を込め、「いつまでも平和な日本、戦争のない日本をと願っている」と話した。

 飛龍は45年7月15日、陸軍松本飛行場(長野県)を目指して樺太を飛び立ち、北海道上空を飛行中、苫小牧の柏原の雑木林に墜落、炎上した。駆け付けた地域住民が燃え盛る機体から兵士らを運び出したものの、乗員7人のうち、佐藤機長=当時26歳=ら6人が死亡。この日は米軍による北海道空襲があったことから、米軍機の攻撃に遭ったとも、エンジントラブルともいわれているが、真相ははっきりとしていない。

 終戦の45年8月15日、地域住民が墜落現場に慰霊碑を建立。以来、兵士らの命日に合わせて毎年、地域住民らが慰霊祭を続けている。

 終戦の間際に苫小牧で起きた悲劇。ともみさんは「70年もの間、慰霊を続けていただいた地域の方々に感謝しています」とし、「戦争で真っ先に犠牲になるのは若い人たち。戦争はしてはいけない」と慰霊碑を前にそう言った。
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