4

24(水)

胆振の
明日の天気

雨 夜 くもり

14 / 8

主要

苫郷文研、松浦武四郎の足跡たどる 七条大滝訪れ絵と比較

2018/7/2配信

 今年3月、生誕200年を迎える幕末の探検家松浦武四郎の足跡をたどる苫小牧郷土文化研究会(郷文研、山本融定会長)の活動「志古津日誌を歩く」の第2回目が先月、苫小牧市丸山の七条大滝で行われた。昨年は、千歳川会所跡(千歳市本町)から支笏湖に至る道を巡ったが、今年は武四郎が「夕張日誌」に描いた「ユウフのソウ(滝)」を訪ねる歴史散歩。郷文研がその滝と考える七条大滝を目指し、会員18人と往復4キロの林道を歩いた。

 6月17日に行われた活動には、60~80代の会員18人が参加。曇り空の下、丸山の国道276号沿いの林道入り口から、七条大滝に向けて東へ約2キロのなだらかな林道を歩いた。しっとりした林の湿気は終始心地良く、滝が近づくにつれ、ザアザアと響く滝の音がどんどん大きくなる。

 30分ほどで現場に着くと、会員は黙って滝を見上げたり、「武四郎の絵に似ている」などと感想を述べ合ったりした。健脚を見せた山本融定会長(80)は「過去の検証を踏まえ、改めて武四郎の滝だと思った」と感慨深げに語った。

◇    ◇

 武四郎は1857年、40歳の時に幕府から新道調査などの使命を受け、石狩川や天塩川を河口から上流部までさかのぼる第5次蝦夷地調査を展開。後に23冊にまとめられた調査報告書「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌」の一冊「志古津日誌」には、千歳から樽前方面に至る旅の行程が記されている。

 同年7月16日、アイヌの人たちの案内で、千歳神社(千歳市真町)近くの千歳川会所を出発し同川に沿って西へと進み、オサクマナイ(現在の烏柵舞近く)で一泊。翌17日に支笏湖にたどり着き、湖岸に小屋を作って休んだ。

 18日は樽前山麓を越えようとしたが、天候悪化で道の検分は難しいと判断。いったんオサクマナイに引き返し、19日にユウフソウなどを経て、樽前に到着してユウフツ請負人の家に泊まった―とある。

 この行程の中で、武四郎は勇振川上流部でユウフのソウを見ており、夕張日誌にスケッチを残している。

◇    ◇

 勇振川上流部には代表的な滝が三つあり、かつて地元ではどの滝がユウフのソウか議論になった。1990年には市や旧苫小牧営林署などが武四郎が見た滝を特定するため、勇払川滝の名前を考える会を発足。日誌の記録などを基に上流から数えて3番目の滝をユウフのソウと断定し、勇振(ゆうぶり)の滝と名付けた。残りの滝については最上流域の滝を付近の林道名にちなみ七条大滝、次の滝を丸山遠見の滝とした。

 一方、市内外の郷土史家からは著書や論文で「踏破ルートから大きくはずれている」「スケッチと似ていない」などと疑問の声も出た。

 郷文研は、97年に調査に着手。現地調査などから七条大滝をユウフのソウと結論付けた。理事の橋爪好伸さん(71)は「(勇振の滝までは)険しい谷を2度登り下りしなければならず、新道調査の使命がある武四郎が立ち寄ったとは思えない」と話す。

◇    ◇

 昨年7月21日に行われた「志古津日誌を歩く」の初回は、千歳川会所跡を出発し烏柵舞を経て、支笏湖までの約24キロを巡った。先人の旅に思いをはせながら1888年にサケのふ化事業が始まった場所である北海道区水産研究所千歳さけます事業所や王子製紙第一発電所、支笏湖ビジターセンターなどを見学した。

 郷文研は、来年以降も武四郎の足跡を訪ねる活動を継続する方針。次回は滝を見た武四郎が口無沼を経由して覚生に抜けていく行程に沿って、林道約5キロを散策する計画だ。

 土地の文化や暮らしを愛し、膨大な記録を数多く残した武四郎。その業績には及びもつかなくても、この地で記者として働く以上、100年後の世にも役立つ記録をこつこつと残したい。そんなことを考えながら、ただ滝を眺めた。

紙面ビューアー
ニュースカレンダー

週間ランキング

集計期間 04/17 〜 04/24

受付

苫小牧民報社から

クリップ保存しました
マイページへ
クリップ削除しました
マイページへ
会員登録するとクリップ登録機能が使えます。
詳しくはこちら