恵庭市史にどう表記? 旧島松駅逓所「開設所在地は恵庭」の説も
2017/6/17配信
恵庭市が編さん中の「恵庭市史」で、旧島松駅逓所の開設時の所在地を恵庭と明記するのか―。こんな質問が16日の市議会定例会一般質問で取り上げられた。同所にはクラーク博士が有名な「青年よ、大志を抱け」の言葉を残したとの説があり、恵庭にとって重要なポイントとなる。注目される市の判断は―。
柏野大介氏(市民希望の会)の質問。市は2020年の発行を目指し市史を編さん中。ぎょうせい(本社東京)に委託し専門家も交え執筆が進んでいる。前回市史を発刊したのは1979年。この間、明らかになった情報も補完する形で作業を進めている。
旧島松駅逓は現在北広島市にあるが、この場への移設は1884年で開設時(73年)は島松川の右岸(恵庭)だったとの説がある。札幌農学校の初代教頭のクラーク博士が”駅逓”で有名な言葉を残したとされるのは77年4月。この説が正しければ恵庭での出来事だった可能性が浮上する。この内容は1979年発行の市史では触れていない。
柏野氏は恵庭にとって重要との観点から、市内小学生の社会科副読本などにも島松川右岸で開設との記載もあることを踏まえ新たな市史で明確に記載するよう求めた。理事者側は15点の関係資料を収集し、専門家の分析が進んでいるとした上で「新たな市史で史実に基づき編さんしていくかは、これからの作業」と慎重な姿勢を示すにとどめた。
ただ、柏野氏などによるとクラーク博士が言葉を残した「駅逓」は、この駅逓を指しているのか、はっきりしていない面がある。別な説が北広島側にもあり歴史の謎を解明するには多くの壁が待ち受けていそうだ。