(5)缶詰工場こぼれ話 (2019/1/26) 1881(明治14)年、開拓使長官の黒田清隆は、資金を投じ北海道を10年かけて開拓する「開拓使十年計画」の終了を前に、明治天皇に北海道への行幸を陳情した。 …
(4)缶詰事業の終幕 (2019/1/25) 海外進出に向けて順調なスタートを切ったかに見えた美々鹿肉缶詰工場だが、1880(明治13)年1月に原料のエゾシカ肉の入手量が予定よりも大幅に下回った。 エゾ…
(3)鹿肉缶詰の海外進出 (2019/1/24) 開拓使は美々など道内各工場で製造した缶詰を海外に輸出することを考えていた。このため、ラベルは海外でも通用するデザインを目指し、鹿肉缶詰の場合は、2頭の鹿と開…
(2)美々での缶詰造り (2019/1/23) 明治時代、北海道の行政や開拓を担った開拓使は、地場産業の育成と近代化を推し進めるため、缶詰の製造に着手する。彼らは米国から魚肉缶詰技師U・S・トリートを雇っ…
サケと並ぶ大切な資源 (2019/1/21) 苫小牧市美術博物館で企画展「美々鹿肉缶詰工場展」が3月3日まで開かれている。明治期、苫小牧地域に開設された官営缶詰工場の史料や人間とエゾシカの関わりを考古学…