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被災地はいま-西日本豪雨・倉敷市真備町

(上)生活再建になお時間 災害から1カ月「早く戻ってきたい」

2018/8/16配信

 「バッシャーン!」。家庭用冷蔵庫を軽トラックの荷台から降ろそうとした時、ドアというドアから真っ黒に濁った泥水が飛び出してきた。直撃は免れたが、地面から跳ね返ったしぶきが衣服をまだら模様に汚す。記者が初の災害ボランティアで行った、最初の作業。腹をくくった。

 いても立ってもいられなかった。今月9日、必要な道具をそろえ倉敷市災害ボランティアセンター(中国職業能力開発大学校内)へ向かった。お盆前の平日にもかかわらず、受け付け場所の体育館にはボランティア志願者の長蛇の列。1159人も集っていた。5人1組のグループを結成し、倉敷市真備町に設置された中継地点へバス移動。同町内で最も被害が大きかった箭田(やた)地区への派遣が決まった。

 小田川の決壊地点から150メートルほどしか離れていない堤防沿い。築100年以上の立派な瓦屋根の家に住んでいたのは、女性(72)と母親(97)、娘(38)の3人。「こんな遠い所までよう来てくれて、ありがとうございます」。浸水被害に遭い、毎日の片付け作業で疲れ切っているはずなのに、冷えた飲料水まで用意し笑顔で出迎えてくれた。

 「力のある人、一緒に乗っていってくれませんか?」。突然声を掛けてきたのは、会社員の三宅倫永さん(26)。真備町から25キロほど西側の井原市在住で、実家や友人宅も豪雨で被災しているが、7月下旬から軽トラックを駆使してボランティア活動に奔走している。「国道沿いはだいぶ片付きましたけど、1本路地に入るとまだまだ」。そう教えてくれた。

◇   ◇

 冷蔵庫など大型家電一式を降ろして戻ると、仲間たちが休憩していた。熱中症対策のため20分稼働、10分以上休憩がボランティア活動の決まり。グループ内でタイムキーパーも決められ、厳密に時間管理を行う。

 「もう腕が乳酸でパンパンです」。仲間の一人で大学生の泉恒平さん(20)は苦笑い。記者がいない間、彼らは住宅内の家財道具や畳の搬出に汗を流していた。特に泥水をたっぷり吸い込んだ畳は、想像以上に重い。寝室部分の畳7枚を軽トラに積み込む作業だけで1時間近くも費やした。

 四苦八苦する記者やボランティア仲間の周りを跳ね回る生き物がいた。正体はカエル。住宅近くに広がる水田から卵やオタマジャクシが流れ込んだのか。あまりの多さに鳥肌が立った。玄関を占拠していたアップライトピアノ2台を他のグループ員と総出で屋外に出した後、土砂を土のう袋に詰め込むさなかに作業終了。約4時間の滞在で、実働は2時間あるかないかだった。

 「風景が一変してしまいました」。物の仕分けを休みなく行っていた被災女性は肩を落とした。それでも、2階まで浸水しすっかり変わり果てた自宅や、庭先をゆっくり見渡しながら「やっぱりここが一番落ち着く。早く戻ってきたい」。言葉は力強かった。

 倉敷市災害ボランティアセンターには、16日までに延べ3万人以上のボランティアが駆け付けた。「高速道路や新幹線、JRなど利便性がよく、県外からもたくさん支援していただけている」と佐賀雅宏副センター長。ただ、9段階に分かれた被災住宅の再入居に向けた作業工程は、まだ2番目の家財搬出にめどが付いた程度。今後も床板剥がし、床下の土砂出しといった時間と労力を要する工程が待ち受ける。

 「1カ月たって、もっときれいになっていると思っていた。まだまだ時間が掛かることを実感した」とグループリーダーを務めた大学生の豊田晶常さん(20)は言った。被災地の復興には、これからも多くの力が必要だと切に感じた。



 西日本を中心に猛威を振るった「平成30年7月豪雨」は、7月6日の最初の大雨特別警報発令から1カ月以上が過ぎた。各県に土砂災害や河川の堤防決壊をもたらし、200人以上が命を落とした平成最悪の広域水害。51人の死者を出し、4600戸が浸水に遭った岡山県倉敷市の真備町に足を運び、被災地の今を見た。

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