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進む公立化議論-変わる千歳科技大-

(上)必要迫られた改革

2017/11/9配信

 ■3年前に”警鐘”鳴る

 「マイナーチェンジでは限界がある。必要なのは抜本的な改革だ」と内部協議の中で経営陣は意を決した。

 2014年度、千歳科学技術大は運営のかじを大きく切る必要に迫られた。入学者数は過去最低の164人、960人の定員充足率は前年度比13・4ポイント減の81・2%。同大はこれらの数字を”警鐘”と捉えた。

 1998年の開学。以来大手企業にも学生を輩出し、メーカーなどへの「就職に強い大学」と言われ続ける同大。就職率は現在も90%以上をキープしている。

 しかし、事業活動収支の推移を見ると01~06年度にかけて黒字だが、その後は1億~2億円規模の赤字が続いた。学生の定員充足率は、07年度に初めて90%を下回り、10~13年度にかけて盛り返したものの維持はできなかった。

 後の推移でも15年度は74%、公立化を市に要望した16年度は71%で定員割れが続いた。

 ■再生の一手「公立化」

 同大が行ってきた改革は、AO入試やセンター試験の導入、大学院修士課程の設置、学部学科改組、教職課程設置―など。いずれも「マイナーチェンジ」的手法だ。

 14年度から模索した抜本改革は、手法として(1)自力改革(2)合併(3)公立化―の選択肢があった。(1)は学部新設が挙げられるが、費用面の負担が大きく、長期的な見通しが立たずに断念。(2)は最後の手段。

 最も現実的な(3)が浮上した。同大は設置費用98億100万円のうち、市が85億7000万円を負担しており、市税が既に投入されている経緯も大学側の念頭にあった。

 公立大には▽自治体が直営▽自治体から一定程度自立した公立大学法人が運営や予算計上―の両設置形態がある。同大は、このうち後者で存続を探る道を検討し始めた。現状で国から受け取る私学助成金2億円は打ち切られるが、学生数に応じて12億~14億円を見込む地方交付税交付金を受けて財務運営し、学費を引き下げる。学生を集め、大学再生の”正のサイクル”を創出する―という方向性だ。

 15年に公立化の検討は本格化し、翌年12月、市に要望書を提出。それを受けた市も議論を開始した。

 ■変化する時代

 科技大設置の発端を振り返ると、先端技術産業都市を目指す市が関東の有名私立大の誘致に積極的だった1980年代にさかのぼる。当初は各大学との交渉が何度かつまずいたが、92年に武蔵工業大(現・東京都市大)を運営する学校法人五島育英会が美々地区に大学設置の意向を示し進展。当時の東川孝市長が95年4月の市長選で大学設置を公約にして再選を果たした。

 バブル経済崩壊の影響があった情勢下、五島育英会は大学設置を先送りとしたが、市は同会からの人的支援を受けつつ「学部学科検討委員会」を設置。大学の「誘致」は「新設」に方向転換した。

 同委員会の中心人物が、慶応大教授の佐々木敬介氏(故人)。後の科技大初代学長となる光科学の権威。同会は「光分野」の教育体系を築き、95年7月、市は本道初となる公設民営方式で新たな学校法人の設立を構想。市議会の議決、国からの認可を経て、98年4月に1学部2学科制の千歳科学技術大学が開学した。

 それから19年。光の持つさまざまな特性を利用し、産業発展と社会生活の向上を担う光科学研究は科技大の看板だった。これらを基にした「光産業」は、電子工学系や情報通信の産業に取り込まれつつ「ITバブル」崩壊などで勢いが減衰。産学官連携の中で、新たな立ち位置を大学が求められる時機が到来した。

 また、国内の大学が増加する一方で、18歳人口は減少。競争力を高めなければ地方の私大が生き残れない状況も訪れている。

 

   ◇

 千歳市は10月25日、千歳科学技術大学を19年4月に公立化させる方針を打ち出した。今後市議会のチェックを経て、来年3月には公立化の是非が決まる見通し。同大の沿革と議論の経緯を振り返り、未来を考える。

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